第3話・踏みにじられた想い
なんだこれ? 目の前の光景が信じられなかった。殿下はユカに愛称で呼ばれて咎めなかった。愛称呼びなんて許婚だったマダレナはもちろんのこと、俺だってしたことはない。許されなかったからだ。
俺達の前でイギアル殿下は常に隙のない態度でいたしキリっとした表情を崩さなかった。それが王族というものなのかと思っていた。だが違ったようだ。
殿下はユカの前で破顔している。それが本心からのものと知れて悔しかった。
お馬鹿なキリルがまだその場に立ち尽くしている俺に気がつき、足で脇腹を強く蹴ってきた。
「まだいたのか? さっさと出ていけっ」
「キリル、気持ちは分かるけどその辺にしといてあげて」
「ユカさま。こいつを庇うのか?」
「彼のしたことは許せないけど、だからといって暴力に訴えるのはさすがに可哀相だわ」
ユカがしおらしい態度を見せる。先ほどまでは俺を散々強気で批難してきたくせに。演じているのは丸分かりだ。でもそれが殿下には、彼女の思いやりと映ったようだ。
「さすが私のユカだ。きみこそ聖女に相応しい。汚れたあの女がいなくなって清々した」
殿下は不快そうに顔を歪める。マダレナを心底嫌うような態度を見せ、彼女がいなくなって良かったようなことを言ったのが許せなかった。
「マダレナさまがいなくなった? マダレナさまは……?」
「あ。別に追い出した訳ではないわよ。あたしが新しく聖女になってイギアル殿下と結婚するって言ったら、急に姿が消えたの。でも……あたしのせいなのかしら?」
「気にするな。ユカ。おまえのせいじゃない。あいつのことだ。勝手に姿を消しただけだろう。恐らく許婚だった私の気を引く作戦のつもりだろうが、そうはいかない。あんな女のことなど放って置け。そのうちノコノコ姿を現すだろう」
俺の言葉にユカがビクッと反応する。殿下の前でわざとらしく庇護欲を買う態度が憎らしかった。殿下はユカの演技を見抜けてないのか全面的に信じ、マダレナがいなくなったのは、自分に対する当てつけだとしてユカには気にするなと言っていた。
「マダレナさまはここにしか居場所がないのに。マダレナさまをどこにやった?」
今まで許婚だったマダレナのことを心配する様子も無い殿下に腹が立つ。殿下を誑かしたユカを睨み付けると、彼女罪悪感からか目を反らしながら言った。
「そんなこと言われても知らないわよ。もしかしたらあたしがいた元いた異世界に行ってしまったのかもね。この世界に聖女は二人もいらないでしょう?」
「……! 元いた世界?」
「ユカっ」
ユカの言葉に不審を覚えると、慌てて殿下が止めに入った。ユカの方は「あ。ごめん」と、軽い調子だ。
「これって言っちゃいけないことだったのね。アル」
「この事は他言無用だ。彼女は異世界からやってきた」
イギアル殿下が脅すように言ってきた。誰かに告げたなら命はないぞと圧力をかけてくる。キリルが動じない所を見るに、こいつも知っているようだ。俺より馬鹿を選ぶんですね? 殿下。
「なるほど。これまでこの国の為に尽くしてこられたマダレナさまを追い払ってまでも、異世界の情報は魅力的だということですか?」
「そんな言い方をしなくても。……それに彼女が私を望んだのだ」
俺の言葉に殿下は都合が悪く思ったのか誤魔化そうとする。
噂は聖殿にも届いていた。二、三ヶ月前に王宮に異世界人が姿を見せたと。その異世界人を王宮では保護していると。このユカがそうだったらしい。
異世界人が落ちてくるのは何百年か一度の行幸。王家がそれに目を付けたとしてもおかしくはない。
イギアル殿下は寵妃腹の子で、すぐ下には王妃腹である弟王子がいる。まだ陛下は王太子を決めてないので、後継者争いが水面下で起こっているらしいとも聞く。
もし、イギアル王子が王位を手に入れる為だけに、長い間婚約していたマダレナを蹴って、異世界人であるユカを選んだというのなら屑だとしか思えない。
俺はお世話係としてマダレナのお側に長いこと仕えてきたから知っている。彼女が殿下を慕っていたことを。
聖女マダレナは、何年か前にイギアル殿下から一度だけもらった誕生日プレゼントを大切にしていた。それはこの国の神獣を模した白猫熊のパペットで、物欲を持たない彼女の唯一の宝物となった。
もらった日は、大喜びではしゃいで興奮して寝付かれなかったものだ。その事を昨日のことのように思い出せるというのに。
「マダレナさまはあなたを……!」
マダレナの想いをぶつけてやりたくなったが、言いかけて止めた。それは俺が言うべきことじゃない。言ってやれない悔しさに、唇を噛みしめることしか出来なかった。
すると視界の隅に白い物が映り込んだ。猫のような愛らしさを持ちながら尖った三角の耳に丸顔。目の周りは黒く縦長に縁取られ、腹部と手足は黒い毛に覆われながら全身真っ白な生き物を模したもの。
「それは……」
「あ。これ? マダレナがいなくなった後に残っていたの。可愛いと思うけどちょっと薄汚れているし、あたしの趣味じゃないし、あなたにあげるわ。これを持っていたらひょっとしたらあなたの慕うマダレナに会えるかもね」
ユカがパペットを放り投げてきた。
「マダレナってあたしと同い年の十六歳なのよね? こんなのをまだ持っているなんてマダレナってばお子様なのね」
と、キリルと一緒になって笑い出した。王子の反応は見たくもなかった。
白猫熊のパペットはイギアル王子が特注で作らせた物。それをマダレナは大事にしていた。
その純粋な想いをこいつらは踏みつけた。許せない。そう思いながらも俺はパペットを握りしめる事しか出来なかった
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