第10話「もう自分でも止められないぜェ!」
気が付いたら、視界が緑。
「あたたた」
体中に何かが刺さる。身動きすると道着が引っかかり、パキパキと乾いた音が響く。
どうやら、茂みに突っ込んでいたらしい。
「こんのっ!」
枝に構わず、無理やり体を引き起こす。
校門からそんなに離れていない。
まず目についたのは、横転したリヤカー。車輪に陸上部が使う槍がはまっている。それで急ブレーキがかかり、僕は吹っ飛んだのだろう。
すべて穂村さんの掌の上だったんだ。囲まれた状態に秋水さんが耐え切れなくなって逃げ出すのを、待っていたのだ。
その先読みはもちろん、真に恐ろしいのは、即座に人員を確保できる求心力だ。穂村さんは過激な活動が恐れられる一方、シンパも多いと聞く。狂気一歩手前だが、信念のある人ではあると思う。その結果、一声かけるだけで、多くの人が動員できるのだ。
それは僕らにない――むしろ欲しい力。
ただの一般人の僕と、ただのエキセントリックガールな秋水さんには真似できない。
僕たちは僕たちなりのやり方を考えなければならない。
――秋水さんは?
思い出した。今まさにその風紀委員に追いつめられた状況なのだ。
視界をめぐらせると、いた。
留学生の女の子の首を後ろから左腕で固定し、右手で抜き身の刀を振りかざしていた。舌を出しながら「ヒャッハー!」とか高笑いし、周囲を取り囲む風紀委員を威嚇している。
……は?
「なにしてんだァァッ!」
いやまあ、なんとなく流れはわかる。
追いつめられてどうしようもなくなり、手近にいた女の子を捕まえて人質にしたのだ。
したのだ、じゃねえよ。
するなよ。
「おのれ秋水桜子、どこまで堕ちれば気が済むんですか――」
苦い表情の穂村さん。常に余裕があった彼女の表情をここまで歪ませるとは。
彼女が左手をかざそうとした瞬間――
「おおっと風紀委員さんよォ、下手なことはやらないでくれよ? この子に何があっても、らこさんは知らねェぞォォォ」
「
刀の刃を女の子の目の前にちらつかせる。
女の子は顔を青くして震えている。もともと肌が白いせいか、普通以上に血が引いているように見えた。
「くっ――総員、動くな!」
「そうそう、おとなしくいうことを聞いていれば、無事にすむんだからよ」
なぜか秋水さんは悪党口調だった。悪党に扮しようとしてたら、調子に乗ってきちゃったのかもしれない。
「ところでお嬢ちゃん、名前はなんていうんだい? お国はどこ? What’s your name? Where are you from?」
思いのほか発音がよかった。
「こ、コルレット、だよ。フランス から きたよ」
「コルレットちゃんか、いい名前だねぇ。私は秋水桜子。らこちゃんって呼んでいいからよォォ!」
そこも悪党かよ。
「ら、らこちゃんは、なんでこんなこと、してるです?」
「おいおい、コルレットちゃんは日本語が上手じゃねえかオイ? たまんねえなこりゃ!」
もう悪党なのかなんなのかわからなくなってきた。
「らこさんの要求は――三つだ! おいテメエら、耳かっぽじって、よく聞けよ!」
秋水さんが高らかに叫ぶ。
「まず、天然モノのタイヤキをもってこい! 数は――えっと――100万匹だ!」
アホか。
今思いついただろそれ。
「なっ」
「100万匹だと?」
「そもそも天然モノのタイヤキとは?」
彼女を取り囲む風紀委員に動揺が走る。彼らは大まじめに彼女の要求を受け止めていた。
穂村さんが毅然と答える。
「わかりました、用意します」
「え? いいの?」
あっさり意見が通ったことに驚いてか、素に戻っていた。うれしそう。
「ただし100万は多いので、時間をいただきます。構いませんでしょうか」
「いいよいいよ――ゲフン、い、いいぜェ! 今日はタイヤキ祭りだヒャッハー!」
「あとの二つはなんですか?」
「じゃあ、二つ目だ! 二つ目は――ええっと……」
今考えるなよ。
「じゃ、じゃあ、三日月宗近だ!」
アホか。
天下五剣が一振りだ。
博物館に所蔵されて展示会のときくらいしかお目見えしない国宝である。
「わかりました、用意します」
「え、ホントに?」
驚きのあまり声が裏返っていた。
「ええ、本校の美術教諭は国立博物館に学芸員として勤めていた経歴があると聞きます。そこから、交渉していきます。ただ、やはりこれにも時間がかかりますので、ご理解ください」
「理解するする! あいあむあんだすたーんど!」
浮かれすぎて知能が低下していた。
そういえば、聞いたことがある。
人質解放を請け負う交渉人は、まず相手の信頼関係を構築を目指すらしい。本来は敵対する相手と信頼関係とは妙な感じがするが、お互い人である以上、言葉を交わせば通じ合う部分も出てくる。そこで和解し、人質の安全と解放を目指す。
穂村さんが秋水さんの無茶な要求をすべて受け入れているのも、その方法論と同じかもしれない。
現に、秋水さんは油断しきっていた。
コルレットさんに向けていた刃も、たいぶ下りてしまって切っ先が下を向いている。
「あとひとつはなんでしょう?」
「えっと、そうだなぁ。どうしよっかなー」
もうサンタさんにプレゼントを頼む子供並にウキウキしていた。
「コルレットちゃんはほしいものある?」
「え? あ……」
困らせていた。
人質にする質問ではない。
と、そこで秋水さんと目が合った。
はっとしていた。
肝心なことを思い出したように――
「居合道部に部員をあと3人ほしい!」
そこで言い出すのか。
「ダメです」
穂村さんが、明確に言った。
「それは認めません。あなたがいる以上、居合道部には消えてもらいます」
「え?」
秋水さんも、僕も、風紀委員の面々も一瞬虚を突かれる。
今までの無理難題に比べれば、だいぶハードルが低い要求だった。そこで断るのなら、さっきまでの交渉はなんだったのか。
そして、我に返るのが一瞬早かった秋水さんが、それに気づく。
背後から飛びかかろうとする、柔道部男子の姿に。
「――このっ」
秋水さんが刀の柄頭を鳩尾に叩きこむ。
そのままうずくまり、動かなくなった。
あっけにとられていたとはいえ、大の男を一撃でのしてしまうあたりはさすがである。
再びコルレットさんに刃を向ける。
「あっぶな! ちょっと風紀委員、ひどいよ! らこさんを油断させて捕まえようとするなんて!」
刀で人質とってる人間には言われたくないとは思う。
もう少しで完全に秋水さんの気が抜けて捕まえられたはずだ。なぜ最後の問いだけ、まともに答えてしまったのか。
それはわからないが、ただ、同じ手はもう通じないだろう。
「ほんとに怒った! らこさん、悪に染まります。人質にもひどいことしてやります。ヒャッハー!」
耳元にふーって息をかける。
「
コルレットさんはびくんと震える。
「や、やめて ください」
「ヒャッハッハァ! こんなのまだ序の口だぜ! よい子が見ちゃいけないこと、いろいろしてやるぜェェ!」
「やめなさい!」
穂村さんが叫ぶ。もう策は尽きたのか、先ほどより余裕がなくなっている。
「やめてほしけりゃ、さっきの三つを用意するんだな! じゃないと、どうなっちまうか、らこさんにもわかんないぜェ!」
本当にそうだ。
彼女は、ここから先どうするつもりなのだ。
いかに風紀委員といえども秋水さんの要求を叶えることなんてできやしない。
そんなこと、秋水さんにだってわかってるだろう。
かといってこのまま膠着状態を続けるわけにはいかない。いずれ先生も騒ぎを聞きつけるだろうし、その場合、冗談では済まない。
「ん?」
秋水さんがこちらに目線を送る。
パクパクと、僕に向かって声を出さず口だけ動かしている。
なにかを伝えたいようだ。読唇術なんて心得ていないが、よく観察してみる。
口を大きく開けてる。母音は――
あ
口を尖らすように――
う
少し横長に口を開き――
え
同じ形にもう一度――
え
あ・う・え・え
――たすけて。
「さぁて、次はどうしちまおうかなァ! もう自分でも止められないぜェ!」
僕に止めてくれってことかよ!
助けてほしいのは僕のほうだ。
ここまでこじれた状況をどう解決すればいいというのか。
いまさら普通に謝ったって、相応の処分は免れないだろう。
「よォし、次は髪のにおいをくんくんしちまうぞ! ふんふん……おぉ? エレガントなバラの香り……ベルサイユ!」
「ひぃぃぃぃ!」
コルレットさんが顔を真っ赤にして暴れる。
そのとき、彼女のスカートから紙切れが一枚落ちてきた。
鬼滅の勧誘チラシ。
昼休みに穂村さんに焼却されたやつだ。
「……まさか」
ひとつ、打開案が脳裏をよぎった。
ただ、うまくいくかはわからない。不確定要素が多いし、見切り発車もいいところ。当然秋水さんに伝えることもできないし、よけい状況が悪化する可能性もある。
『馬鹿野郎、勝ち目がそれしかないんなら、張るしかねぇだろ』
橘先輩の声が脳裏をよぎる。
そうですよね。
僕は袴を払い、立ち上がる。
あんなでも、れっきとした僕の後輩だ。
それならその尻ぬぐいをやるのだって、先輩としての務めなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます