第8話「秋水桜子は認められません」
燃え上がったチラシがめらめらと翻っていた。
「うわああああ!」
一緒にいたげんしけん――現代視覚文化研究会――の三人が悲鳴をあげる。なんというか、典型的な三人組だった。100キロは優に越える巨漢と、背は190センチほどなのに体重は40キロくらいしかなさそうな細身と、僕より小柄な人――全員メガネで男子。
もちろんチラシではなく、一緒にくべられているやたら胸が盛り上がった美少女抱き枕に向かってだが。
「うるさいですね」
そして火を背にこちらをにらみつける彼女。
短く切りそろえられた髪。端正な顔つき。涼しい眼もとで、こちらを見下す。
昼休み。風紀委員から違反物について校舎裏に呼び出しをくらい、やってきたらこんな光景を目の当たりにした。
風紀委員 筆頭構成員
噂は聞いていた。
かなり過激な活動をしていると。
それが、これだ。違反者を呼び出し、その目の前で違反物を火にくべる。学校内でこんなことやっていいのか? 申し訳程度に水が入ったバケツが用意されているが、消防法とか大丈夫か?
「違反者には罰を。泣き叫ぶようなら、はじめからしなければいいんです」
「で、でも、僕たちはちゃんと申請してたぞ!」
「ええ、たしかに。本日の午後三時半――つまり放課後。校門前での展示・催行の許可は、出しました。しかし展示物がこれでは――」
「るるたんの何がいけないんだ!」
るるたんというらしい。知らないキャラだ。たぶん18歳未満は知らないはずのキャラっぽい気がする。
「なんですか、あの胸は。男性の欲望に歪曲された体――吐き気を覚えます」
「あの立体性と柔軟性、弾力感を構築するために、僕たちがどれだけがんばったと思ってるんだ! シリコン、ポリマー、ゴム、絹――あらゆるなめらか素材の中から、お胸の感触により近しいものを厳選したんだ! 比較対象は会長のおなかだけど!」
「会長のおなかも、本物のお胸と素材は同じ!」
「むしろ穂村女史のお胸なんかより――」
「ふん」
穂村さんが腰のスプレーボトルから液体を火の中に放つ。
可燃性の液体だったようで、一気に火が燃え上がった。
火の中で溶けていく美少女。不自然に盛り上がった胸のあたりが、粘質性のある白い素材が糸を引いて燃え落ちる。わっと黒い煙が沸き上がった。
「る、るるたん!」
「るるたんのお胸がぁぁぁ!」
「ぼ、僕らの血とか汗とか染まったるるたんがぁぁぁ!」
奇声を発しながら、三人の男子が穂村さんに飛びかかる。
だが、具体的に何をしようと思ったわけでもないだろう。ただたまらず体が動いてしまっただけのように見える。
「あら、恐い」
穂村さんは涼しげにそうつぶやき、深く腰を落とす。
まず左拳で一人。次に右拳で一人。その勢いのまま後ろ回し蹴りで最後の一人。
それぞれみぞおちに容赦ない一撃を叩き込む。
げんしけんのお三方は、音もなく崩れ落ちた。
「いけませんね、殿方が大勢で婦女子にいきなり迫ったら、恐怖心を与えてしまいますよ。知ってます? 恐かったら正当防衛が成立するんですからね」
そういいながら、腰に下げたスプレーボトルを拳と足に振りかける。
つんとする刺激臭が鼻をつく。
アルコールだった。
「ああ、愚にもつかない汚物が燃え上がり浄化される瞬間――とても美しい光景だと思いません?」
そうこぼして、炎に目をやりうっとりしている。
やばい。
たとえば秋水さんにやばいと思ったことは何度もあるが、それとは全然質が違う。
もっと狂気じみたものを感じる。
「――あの、うちのチラシ、何か問題があったんですか?」
「鬼滅の刃、でしたっけ?」
穂村さんは腕を組んで、あきれたような口調で言う。
「世間では何やら持てはやす風潮があるようですけど、ようするに殺し合いの話ですよね? 少年少女が血まみれになって敵を斬り殺す。まるで戦時中の戦意高揚のプロパガンダのよう。こんなものに子供まで夢中になるなんて、まったく、世も末だわ」
「いやまあ、あれは敵というか鬼なので――」
「鬼なら殺していいの? 人の形をして、人の言葉を話すのに? 友愛を説きながら異教徒は殺せと唱える一部の宗教みたいな理屈ね」
「……ちなみに読みました? 鬼滅は」
「読むわけがないじゃない。読まなくたって、大体わかるわよ」
ダメだ。
これは話しても埒が明かないタイプの人だ。
「まあ、別にそれはいいんです。あの猥褻造形ならまだしも、このチラシ程度なら撤去にあたりません。公私の境はわきまえておりますから。同じように、広告禁止箇所への貼付、部活の広告上限超過、広告内容変更申請の遅滞――言い出せばきりがありませんけど、それも目はつぶれます。しかし――」
懐から写真を取り出す。
秋水さんだった。
鼻ほじってた。
奥のほうに引っかかってるのか、鼻の下を限界まで伸ばして小指の第二関節まで突っ込んでいる。
女性として――いや、人として、文字通り致命的な一枚だった。
「秋水桜子は認められません」
「ああ……」
うすうす、そんなことじゃないかとは思ってた。
この人があの子を放っておくわけないもん。
だから風紀委員に呼び出されたとき、秋水さんには伝えないことにした。その判断は間違っていなかった。
穂村さんは明水さんの醜態写真に念入りにアルコールを噴射し、火の中に投げ入れる。
一瞬で灰になった。
「居合道部のことは、聞き及んでいます。部員不足で、来月には廃部になると」
「よくご存じで」
「生倉先生が、風紀委員の担当教諭でもありますから」
そういえばそうだった。
生徒指導主任が風紀委員の顧問にもなる。
「個人的には、剣道部と居合道部のことはどうでもいいんです。いっそ斬りあって勝負をつけてもおもしろいんじゃないかと思うくらい」
風紀ってなんだろ?
「ただ、秋水桜子を入れるのなら、話は別。居合道部は明確に風紀委員会の敵となります。部員不足だとしても、彼女を外してほかの部員を探したほうが、まだ再建の道としては現実的ですよ?」
いやはや。
まさか顧問と同じ忠告を受けるとは。
「ひとつ、いいかな」
「なんでしょう」
「秋水さんが何をしたの?」
穂村さんが肩をすくめる。今更なにを聞くのだこのメガネ、と言わんばかり。
「いや、わかってるよ。彼女が何をしたかなんて、聞かなくたってわかる。昨日今日の付き合いだけど、振り回されっぱなしだ。でも、穂村さんのは違う。秋水さんを目の敵みたいにしてて、まるで公私混同――」
拳。
ゴツゴツとした、何度も皮が剥けて硬くなった拳ダコで視界が覆われる。
遅れて、生暖かい風が僕の前髪を揺らす。
「ああ、いけない。思わず殴りかけてしまいました。ここで殴ったら、正当防衛にはなりえませんからね。あぶないあぶない」
笑顔で微笑む。
でも目が笑ってない。
そして言外に言っている。
てめえの鼻っ面なんていつでも潰せンぞ。
「あれ、アッパレじゃん」
呼んでないのにやってくる、安定の秋水さんだった。
なんか食ってる。
たい焼きだった。
ホカホカだった。
「ああ、これ? おいしいよ。なんと天然もののたい焼きなのだ!」
「天然? たい焼きに天然や養殖があブ――」
口に突っ込まれた。
「養殖は一枚の鉄板で何匹もたい焼きを焼くタイプ。世の99%がこれ。天然は一枚一匹の焼き器。きめ細かい焼き加減が魅力なんよ。こんなのがまさか学校の近くにあるとはね、見つけた時は驚いたよ」
たしかに表面が程よい焦げ目でカリカリしてる。
しっとりしたあんこも甘すぎずおいしい。
「買い食い、ですか?」
「むおう!」
秋水さんがおののく。
「風紀委員の人!」
僕にたい焼きの袋を預けて、自分は刀を両手で守るように抱き抱える。
「らこさん、居合道部に入ったのです。もうお刀さんを自由に差して歩ける身分なのですよ!」
いやそんな理屈通じるわけないだろ。
「たしかに、部活ならばしかたない」
通じたよ。
いいのそれ?
ちょっと色っぽい二次元には異様に厳しいのに?
「しかし、これはだめです」
僕の手からたい焼きの袋をかっさらう。
「あ、風紀委員の人も食べたい? いいよ一個なら。ぐへへ、お代官様、こちらコゲメ色の菓子にございま――」
手際よくアルコールをたい焼きの紙袋に吹きかけ、燃え尽きかけていた美少女抱き枕に投げ捨てる。
新たな燃料を入れられて、炎は再び燃え盛る。
秋水さんは、越後屋風の笑みを浮かべたまま固まっていた。
あたりに小麦粉が燃える香ばしいが漂ってきたところで、秋水さんが我に返る。
「うわああああああ!」
慌てて炎に向かおうとする――のを、僕はとっさに止めた。止めようとはした。後ろから抱えるが、例の異様な体幹で僕の体などものともしない。
「あさましい」
穂村さんが嘆く。同時に、彼女の右足が緩やかに持ち上がる。
僕が見えたのはそこまでだ。
突然支えを失い、僕の体は落下する。直後、頭上で何かが空を切った。それが何かを考える間もなく、地面に叩きつけられる。
「あぶな。なにすんの!」
秋水さんが、僕の足元に立っていた。さっきまで僕が後ろから追いすがっていたのに、一瞬で僕の後ろに動いていた。
穂村さんが放った蹴りを秋水さんがとっさに退いて避けたのだろう。で、僕だけ取り残されてその場に落ちた。蹴られなくてよかった。
「緊急避難、という言葉をご存じで? 人命にかかわるような非常時なら、何をやってもいいんです」
穂村さんが自分の背後を示す。
たい焼きは袋ごと真っ赤な炎に飲まれ、燃え盛っている。
「あなた、私が蹴りで止めてなかったらヤケドしてましたよ」
「……アッパレ、この人何言ってるの?」
「秋水さんを助けるために蹴り飛ばそうとしたんだって」
「頭おかしいんじゃないの? 自分で燃やしといて」
その意見にはおおむね同意するけど、秋水さんと意見が合うとは変な感じだ。
「違反物を燃やしたのは、れっきとした風紀活動です。違反物を焼却することで徹底した規範を示すのです。炎とともに、汚れた悪性も浄化する。ちゃんと風紀委員会則にも記載されてます。学校の創立当初からある、伝統です」
ただのクソ校則じゃないか。
「いいよ、絶対たい焼き拾うから!」
秋水さんが、地を蹴る。
穂村さんに高速で体当たりでもするのか――そう思った瞬間、穂村さんとぶつかる直前で真横へと跳ぶ。
フェイントをかけて身構えたところを、迂回しようとしたのだろう。
穂村さんが、その方向へ回し蹴りを放つ。
鞭のようにしなやかな横薙ぎ。
「おわちょ」
秋水さんはそれもとっさに避けるが、体勢が崩れる。
すかさず距離を詰めてきた穂村さんの左右の拳で連撃を受ける。
これを手の甲でいなす。
「すごい」
思わず素直な感想が口をついた。
思想はアレにしても穂村さんは一流の格闘家なのは間違いない。その彼女と拮抗している。
「刀、ないほうがいいんじゃないですか?」
穂村さんが真面目な顔で言った。
「体の動きを邪魔してますよ。現にさっき、迂回したとき、刀がなければ私の蹴りも届かなかったはずです」
「やだよ」
秋水さんの答えは明快だった。
そして柄を握りながら、ちらりと僕のほうを見る。
「むしろここは、封印されしこのお刀さんを解放するとき――」
「なわけないだろ」
つい今朝がた、部活外では抜くなと約束したばかりだった。
一応こっちに聞いてくるだけまだマシかもしれないが――。
僕はため息をつきながら、バケツの水を火に放つ。
ジュワ、と小気味いい音を立てながら、炎が鎮火。真っ白な煙が舞い上がった。
「な」
穂村さんがあっけにとられた顔をする。秋水さんにかかりきりで、僕のことなんて眼中になかったのだろう。
おかげで難なく火を消せたのだが。
「別にいいでしょ。もうほとんど燃え尽きてるし」
「まあ、そう、ですが……」
悔しそうな表情。その顔を見ただけで、いくらか胸がすっとした僕は、性格が悪いんだろうか。
「ああ、たい焼き!」
秋水さんが飛びついてくる。穂村さんは横目で見ただけでもう止めはしなかった。
「うぅ、消し炭になってる……」
彼女が灰の中から拾い出したのは、真っ黒に炭化した残骸だった。
食べた。
「おおおい!」
出した。
「苦い」
ぺっぺ。
そりゃそうだ。
涙目になってる秋水さんに、穂村さんが言う。
「これに懲りたら、悔い改めてくださいね。あなたはそうじゃなかったはずですから、秋水桜子さん」
思いのほか、声音が柔らかな気がした。
そのまま校舎のほうへ戻っていく。途中に落ちていたゴミも律義に拾っていた。
「……焼け残ってるの、ないかな?」
秋水さんが燃えカスの中をガサガサ探る。
「やめなって」
「ん? なんだこれ?」
彼女が手に取ったのは、スライム状の塊だった。表面はススで汚れているが中はキラキラと輝き、ぷるぷると揺れている。
「おお、それは!」
うわ、びっくりした。
振り返ると、さっきまで死体同然に動かなかったげんしけんの人たちが起き上がっていた。
「ああ、我々このような事態は慣れておるので。穂村女史は昏倒している者にまでは手は出さぬ故。事態が収まるまで狸寝入りを決め込んでいた次第」
「ああ、そう、なの?」
「最近では殴打もまた貴重な女子との触れ合いと開き直れる余裕すら生まれてきましたな。それよりなにより――」
三人が秋水さんを取り囲む。
「これぞまさしく、るるたんのお胸!」
「あの炎から舞い戻るとは――まさに不死鳥!」
「いやー、試行錯誤の末に結局ゼラチン質を多めにしたのが功を奏したんだね! 実質的にはゼリーだから!」
みんな大興奮だった。
秋水さんも、自分の手の中のお胸をぷるぷるさせる。
食べた。
「ええええええ!」
出した。
「まずい」
ぺっぺ。
そりゃそうだ。
で、かじったお胸は灰の中に捨てた。
「うわああああ!」
燃えた時と同じ悲鳴を上げた。
混乱の中で、僕は明水さんを引っ張り出して、昇降口まで戻ってきた。
「うひぃぃ、ひどいめに遭ったよ」
ベロ出しながら秋水さんがぼやく。
本当にそう思ってるのは、げんしけんの方々だと思うけど。
「燃えカスなんか食べるからだよ」
「うぅぅ、たい焼き……」
ふと秋水さんが顔をあげる。
「あれ、チラシがなくなってる」
そういえば燃やす場面にはいなかったんだっけ。
「みんなの下駄箱に貼って回ったんだけど」
昇降口の全部に貼ったのか。
何枚印刷したんだ。
そりゃ風紀委員も動くわ。
「あの、あんまり大々的にやると風紀委員に目を付けられるって言ったでしょ」
「え、これも風紀委員の人のしわざ?」
秋水さんは震える。
「たい焼きのみならず、チラシまで――」
順番は逆だけどね。
「らこさん、さすがに堪忍袋の緒が切れました」
「え?」
堪忍袋あったの?
「我慢してたけど、もういいよ。そっちがその気なら、こっちだって遠慮はしないからね!」
今日何度目かわからない悪寒が走った。
風邪かなぁ。
風邪ならいいなぁ。
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