第6話「ところがどっこい、ただの女の子だ。」

 秋水さんを信じてしまったばっかりに、こんなことになるなんて……


「ヒャッハッハッハッハ!」

 高らかに笑う秋水さん。カエルの被り物をかぶってる。

 右手には抜き放った刀。

 左手には涙目の外国人美少女。紅毛碧眼を体で現わしており、大変麗しい。

 それに対するは、風紀委員筆頭構成員・穂村愛緒ほむら あお。瓦を平気で叩き割る拳を震わせ、目を炎のように燃やしている。


「卑怯な! 人質を放しなさい!」

「せっかく捕まえた人質をただで放すバカがいるもんか! この子の命が大事なら、いうことを聞きなァ! もう一度言うぞ! 天然モノのタイヤキ100万匹か、三日月宗近を持ってくるか、居合道部にあと三人部員をよこすかだァ!」



 なんでこうなってしまったのだろうか。



 衝撃的な一日のあと、僕は夕飯も食べずに寝てしまった。極限的な疲労がたたったのかもしれない。夢すら見ずに目覚めたら、朝の五時。


 母が残してくれた食事を食べ、身支度を済ませる。シャワーに入った時に左頬に黒い線があってぎょっとしたが、秋水さんにやられた油性ペンだった。洗っても全然落ちないので、大きめのばんそうこうでなんとか隠す。


 そのまま、何の気なしに学校へ来た。

 その時点で、六時前だったと思う。まだ朝日が昇ったばかりだ。重い校門を開け、敷地内に入る。職員駐車場は一台もないし、自転車置き場もガラガラ。カラスとスズメの声以外、何もしない。

 誰もいない。

 こんな時間に来たのは初めてだ。


「おお、アッパレおはよう」


 と思ったら、秋水さんが部室の前にいた。


「え? 帰ってなかったの?」

「何言ってんの。らこさん、こう見えて箱入り娘なんです。無断外泊なんて切腹もんだよ」


 そりゃそうなのだが、あまりに自然にいるものだから、ついバカな質問をしてしまった。


「部員募集の方策をいろいろ考えてたら眠れなくてさ。早く来ちゃった。そしたらアッパレも来たし。なんかわくわくするよね!」


 遠足前の小学生のそれだった。

 僕は疲れすぎて早寝早起きしすぎてしまっただけだが。


「アッパレにも聞いてほしい。とりあえず部室開けてよ」

 

 そこで、彼女がどでかいリュックを壁に立てかけていることに気付いた。

「なにそれ?」

「秘密道具」


 やばいニオイしかしない。


 部室を開ける僕の後ろから、秋水さんが聞いてもないのにしゃべりだす。


「まずはなにより注目されないといけないと思うんだ。あとひと月の短期決戦ならなおさら。多少のヤケドは覚悟の上で、バクチを打たないといけないんだよ」


 あれ? 鍵穴がうまくはまらないなぁ。


「最たる例が、いわゆるところの炎上商法だよね。悪名も名ってやつ」


 鍵を落としてしまう。拾おうとして、また落とす。

 そこでようやく気付いた。


「たとえば全校集会に『天誅!』とか叫んで校長先生に斬りかかるとか、おもしろくない?」


 僕の指が震えていたのだ。


「廃部どころか退学だよ!」


 一応黙って最後まで聞こうと思ったけど、普通にトンデモだった。

 秋水さんはケラケラ笑う。


「わかってるよ、冗談冗談。らこさん、テロリストでもなんでもないんですから、人様に迷惑かけちゃいけないことくらいわかります。基本的には」


 最後の一言が怪しい。


 部室の鍵を開けられたので、中に入る。

 靴を脱いで、畳に上がった。

 そこで、畳の間の隙間につまづいてしまった。コンクリートにすのこを敷いて畳を載せてるだけなので、細かい隙間ができてしまうのだ。

 それでも、こんなところに指をひっかけたことなんてなかった。

 深呼吸して、息を落ち着かせる。

 一応、彼女の意見も聞くと決めたのだ。がんばろう。


「刀で集客ということで、もっと身近なところにアイディアがあったんだよ。ほら、これ」


 リュック取り出したのは、頭巾のようなもの。

 秋水さんがそれをかぶる。

 カエルだった。


「えっと、それは――?」

「ガマの油売り」


 日本刀を使った街頭販売パフォーマンスだ。

 ガマガエルから抽出した油を傷薬として実演販売する。「サアサアお立合い」から始まる特徴的な口上やパフォーマンスが伝統芸能として確立しているらしい。

 とはいえぜんぜん身近じゃないし、居合とも違うし、そもそも秋水さんがカエルになってどうするか。


「細かいことはいいの! 言ったでしょ、まずは注目されなきゃ始まらないって」

「そういうもんかなぁ」

「いいんだって。とにかく、それが第二案ね。次は……」

「え、天誅が第一案ってこと?」


 僕の懸念を無視して、リュックからろうそくとテニスボールを取り出す。


「ユーチューブで見たんだけど、居合でろうそくの火を消せるんだよ。アッパレ、いっちょやってみてよ」

「いや……あの、ねえ?」

 僕も見たことがあるが、そもそもあれも居合道として言っていいのだろうか。


 たしかに、試斬というものはある。巻き藁を立てて日本刀で斬るのだ。竹に藁を巻いた巻き藁は、人間の胴と手応えとして似ているらしく、それで刃筋の感覚を確かめる稽古だ。

 だからってろうそくの火を消したって、ただのパフォーマンスにしか思えないのは、僕の頭が固いのだろうか。

「じゃあテニスボールは? 高速サーブで一刀両断、映えるよ!」

「そもそも真剣持ってないから」

「むぅぅぅ」

 不満そうにうなる。

 ただ、無理なものは無理だ。


 そのとき、秋水さんの携帯が鳴る。

「おお、第四案がきた」

「え?」

 遠慮なんかするわけもなく、秋水さんはそのまま電話をつなげる。


「やあおはよう。――うん――そうそう――んじゃ、そんな感じでよろしく」

 うひひ、とまた怪しい笑みを浮かべながら、通話を切ってスマホをしまった。

「――あの、第四案って?」

「たしかに、ろうそく切って消したっておもしろくないもんね。やるの昼間だし。テニスボールもたしかに真剣じゃないと斬れないし、斬れないならただの千本ノック。はい、ここですべてを解決する画期的が爆誕しました」


 部室の戸が開く。

 わずかな隙間から、誰かが顔をのぞかせる。


 知らない男子生徒だった。知らない顔だが、隙間から見ただけで、目が泳いでるのがわかる。僕の後ろを見てはっとして、顔を引っ込める。


「あ、きたきた。入ってきていいよ」

「は、はひっ!」


 裏返った声で返事すると、彼は素早く中に入ってくる。

 道着に袴姿だった。居合道着と同じか、もっと薄いかもしれない。ただ、上着の中に白いシャツを着ている。


「え、誰?」

「わたしのクラスメイト。協力してくれるように頼んだんだ。弓道部で、名前は――なんだっけ?」


 知らないのかよ。


「ゆ――ゆゆ――ゆゆ」

 直立不動の状態で、彼は何か声を漏らしていた。

「ゆ、ゆゆ、ゆづ――ゆ、たたたた――た、ゥきっ、です!」


 名前言ってただけだった。

 多分、言ってるんだろうと思う。全然聞き取れないけど。

 体が震えてるし歯を食いしばってるし息もやたら荒いのに顔色は青ざめてる。まるでヤクザの事務所に呼び出されたみたいな状態だった。


「――なんで彼、こんなビビってんの?」

「知んない」

 どう考えたって秋水さんが原因だろうけど、彼女もきょとんとしてる。この子、無自覚でとんでもないことをやらかすから始末に負えない。


「んで、ゆゆゆ君。ちょっとお願いがあるんだけど」

 いやそんな名前じゃなかっただろ。まあ、僕もよく聞き取れなかったけど。

「は、はひ、なんなりと!」

「じゃあこの人を射って」


 指さされた。


「はっ!?」

「飛来する矢を鮮やかに居合で弾く。くぅぅ、しびれるね! 入部待ったなし!」

「いや待てって!」


 慌てて待ったをかける。


「あのね秋水さん。なんか激しく勘違いしてるかもしれないけど、普通に居合やってるだけの人はそんな芸当無理だからね? 空手家がみんな牛を倒せるわけないし、柔道家がみんなクマを投げ飛ばせるわけでもない。マンガじゃないんだから、できることとできないことが――」


「――ハア、ハア、ハア――」

 荒い息遣いに振り返る。

 ゆゆゆ君が、僕に向かって弓矢を構えていた。

 震える矢尻と怯え切って潤んだ目。

 嗚咽とともに声が漏れる


「――めんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ――」

「ちょ――」


 やばい。

 完全に猫をかむ窮鼠だ。

 鈍色に光る矢尻はたしかな張力を蓄えこちらに向いている。震えてはいるが、2メートル弱のこの距離では外すほうが難しい。あとは右手を放すだけで僕の体のどこかには突き刺さるだろう。


「こら!」

 秋水さんが立ちはだかった。

「ダメだよ、人に矢を向けちゃ!」

 いやお前がやれと言ったんじゃないか。


 と突っ込む余裕も僕にはなかった。

 ただ状況を見守ることしかできない。


「え、な、な――」

 戸惑う弓道部の彼。

 矢は下に向けてくれた。引き絞った弓もゆっくりと戻していく。

「す、すみませんでした!」


 我に返ったようにはっとして、彼は走り去っていった。

 のどの疼きを覚え、息を吐く。自分が息を止めていたことに気付いた。

 僕に背を向け立ちはだかっていた秋水さんが、ゆっくりとこちらに倒れ込んできた。


「あぶ――」


 こわばっていた体を無理やり動かし、抱きとめる。

 思ったより痛くはない。彼女の体は柔らかい。猫みたいにしなやかなのだ。

 僕の腹の上に倒れてきた後頭部が上を向く。

 大きな瞳に涙をためていた。への字にした口元も震えている。


「あっぱれぇぇ、死ぬかと思ったぁぁぁ」

「はぁ?」


 なんでそっちがビビるんだよ。


「人を射てってけしかけたの、そっちじゃないか」

「さすがに本物の矢を使えなんて言ってないよ。もっと安全なやつでいいんだよ。先に吸盤とかボールみたいなのついてるやつ」


 えぇ、マジで?

 致命的なところで言葉足りなすぎじゃない?


「それならそうだって言わないと、弓道部に矢で射てって言ったら、普通の矢だと思うでしょうよ」

「ごめんなさい」


 素直に謝ってきた。


 子供みたいに調子に乗りやすいだけで、彼女の中では、ちゃんと分別はあるのかもしれない。

 なんだか気が抜けてしまった。

 あとどうでもいいけど、この子、なんかいい匂いする。

 いつまでもこの体勢はいろいろよくない気がしてきた。


「あの、そろそろどいてくれない?」

「それが、腰に力が入らないのです。うぅ、これがいわゆる腰が抜けたってやつかなぁ」


 なんというか、意外だった。

 何かとハチャメチャな彼女はラノベヒロインみたいに無敵なのかと思ってた。

 ところがどっこい、ただの女の子だ。


 生身で矢の前に立ちはだかったのも、別になんとかできる算段があったわけじゃないのだろう。

 もしかして、僕は守られたのだろうか?

 そりゃもとはといえば彼女の不用意な発言から訪れた危機ではあるのだが――


「ねえアッパレ」


 涙目のまま彼女は両手をこちらに向ける。


「抱っこ」


「え?」


 想定外の言葉で、ドキリとする。

 潤んだまなざし。頬を紅潮させ、不安そうに唇を震わせている。

 腹の上で密着する彼女の肌から伝わる体温に、今更ながら気づいた。


「ぎゅって」


 これは――

 抱きしめろ、と?

 角度的に難しいし、一応男女だし、そもそも僕が抱きしめたところで彼女に元気をあげられるのだろうか。しかし彼女がそれを望んでいるのなら――


「はやく、お刀さん取って」



 ……。



 お刀さんは、僕の後ろに転がっていた。


 それを取って、秋水さんに渡す。


 彼女はエサを取るヤゴみたいに、拵えに飛びついて僕の手からひったくる。


 ぎゅっ。


「はぅぁぁぁ、お刀さん注入、効っくぅぅぅ」


 ですよね。


 あなた、お刀さんが大好きですもんね。


 致命的なところで言葉が足りなすぎですもんね。


 鍔に頬を食い込ませてスリスリしてるのを見つめていると、視線をあげた彼女と目が合った。


「ん、どした? アッパレにも貸そうか?」

「いや、間に合ってます」

「そうだよね。アッパレには、自分のお刀さんあるもんね」


 立ち上がった。

 さすがお刀さんのご加護。もうピンピンしてる。

 さっきまで射かけられかけてた人とは思えない。


「しかし、秋水さんの言葉がうかつだったとはいえ、普通は矢で人を射貫こうとは思わないだろうに」

 彼の怯え方は尋常でなかったように思う。

「秋水さん、彼に何かしなかった?」

「えー、わたしのせい? アッパレ、人を無闇に疑うのはよくないよ?」


 別に無闇というわけではないと思うが。


「そういえば、昨日教室でお刀さんを抜いた時に、ゆゆゆ君に飛ばしたかも」


 別に無闇というわけではなかった。


「それだろ」

 昼休みにわめいていた事の発端だろう。

 ていうか、一日に二回も刀飛ばしてるのか。


「だいたい、なんで教室で刀を抜くのよ」

「教室にゴキブリが出たの」

「え?」

「気炎万丈な輩でね。縦横無尽に飛び回って、教室を阿鼻叫喚と坩堝と化したわけ。で、らこさん、これはノブレスオブリージュだと思ったわけ。刀持つ者の使命として、世を乱す悪漢を叩き斬ってやろうとしたの」


「は?」

「したら、ゴキブリがゆゆゆ君の頭に止まって――あ、そのまま斬ろうとしちゃったっけ。そういえば」


「はぁ!?」


「もちろん止めようとしたよ。でも絶好のチャンスだったの。ここで逃せば、新たな犠牲者が出る。ここは一か八か、ゴキブリだけ斬ってゆゆゆ君を斬る寸前で止めようと思ったわけ。らこさんなら、できる。きっとできる。やればできる子だから。でも残念、刃が飛んでっちゃったから斬れなかったよ」


 両手を振り下ろして刀を振るジェスチャーをする。


「…………」

「でも安心して。ゴキブリは倒したよ。柄で叩いて」


 それは別にどうでもいいし。

 ていうかゆゆゆ君の頭の上でつぶしたことになるのでは――いや、別にいいんだけど。


「……あのね、秋水さん」

 僕は小さい子に言い含めるように、言った。


「部活の時以外、刀を振るの禁止」


「ええええぇぇぇぇ!」

 彼女の声が狭い部室に鳴り響いた。うるさい。


「な、ななな、なんで!?」

「えっと、実は居合道は初段にならないと稽古外での抜刀は認められていないんだ」

「え、うそ!」


 嘘である。


 いや、本当でもある。初段だろうとなんだろうと、稽古以外に刀を抜くなんてダメだ。常識として。


「でもそんなしきたり、守る意味なんて――」

「当然、意味はあるよ。じゃあためしに、刀を構えてみて」


 秋水さんは刀を鞘から引っこ抜く。本当は一度鯉口を切ってから、つまり左手の親指で鍔を押し上げてから抜くわけだが、あまり細かい指摘をしても今は意味がないので無視。


 抜いた刀を両手で構えた。

 がっちりグーで握っている。これもダメで、構えた時点では小指と薬指のみで握るべきである――が、これも今はいい。


 もっと問題なのは――


「秋水さん、刀の持ち手が逆」

「え?」


 秋水さんは両手で握る際に、左手を上で右手が下になっている。左利きバッターがバットを握るみたいに。でもこの人、右利きだったと思うんだけど。


「でも、別に振れればどっちでもよくない?」

「振るだけならね。でも、秋水さんはただ振り回してるだけでいいの? それじゃ日本刀じゃなくてただの棒切れだっていいんじゃない?」


「うぅーっ」

 唇を尖らせながら、刀身を見入る。


「基礎ができるまで、無闇に振り回すものじゃない。実際、悪い癖がつき始めてる。直すのに苦労するし、ちゃんとした作法で扱わないと道具もかわいそうだよ」


「……うん」


 さっきまで引っ込んでいた涙がまたにじんでくる。


「わかった。らこさん、お刀さんは封印する。差すだけにする」

 差しはするんだ……。


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