第5話「なんならディズニーだっておおむねOKなの!」
なんとか部室に生還した。
興奮しながら血まみれで走り回る秋水さんの首根っこを捕まえて、とりあえず保健室へ。止血してもらって、制服も血抜きしてもらった。今は秋水さんも赤ジャージを着てる。鼻にティッシュを丸めたこよりを差している。それは間違った鼻血の対処だと言ったのだが、「様式美だよ」と謎の主張をするので放っておいた。
こちらの気も知らず、鼻歌混じりに、終始ご機嫌だ。
生倉先生にも風紀委員にも見つからずにすんだのは、奇跡だったかもしれない。
「とりあえず、やる気になってくれてよかったよ」
「えー、やる気はあったよ?」
「ほんとかよ」
「ほんとほんと。そもそも居合のことだって、自分で調べてみたんだよ。マンガとかでわかりやすいのないかなって」
マンガで居合道ってあまり見ない気がする。マンガに限らず、小説や映画でも。時代ものくらいだろうか。
マイナー武道の宿命かもしれないけど。
「で、一応見つけて読んでみたよ」
あったのか。
出されたスマホを見てみる。
頬に十字傷のある赤髪の痩身の主人公が刀を構えている。
某有名剣客漫画『R剣』だった。
「そうそう。るろうに剣心」
言っちゃったよ、せっかく気を使って心の中で伏字にしたのに!
「でもそれ、居合じゃなくて抜刀術では?」
たしかに居合を志す人には少なからず影響を与えただろう作品だけど。
抜刀術も居合も同じといえば同じだけど、「体を鍛えたい」と思ってドラゴンボールを読むのと同じくらい間違ってる気がする。
「おもしろかったよ。無料で見れる三話目までしか読んでないけど」
三話じゃ抜刀術すら出てきてないのでは?
「まあ、たしかにおもしろいけどさ。だったら続きも買いなよ」
「うーん、うちってマンガとか厳しいからなぁ。スマホでこっそりは見れるけど。あ、部費で買って部室に置くとかは? みんなで読めばいいよ。座学も大事!」
だから居合道じゃないんだって。
ただ、それよりも――
「みんな、か」
「そうそう。ほかの部員さんたちも読んでいいから。ついでにらこさんも読めて、一挙両得万々歳」
僕はひとつ咳ばらいをして、畳の上に正座する。
「秋水さん、大事な話があるんだけど、いいかな」
「なになに、告白? いいよアッパレなら」
「そうじゃなくて――え?」
とんでもないことを言われた気がするけど、スルーすることにした。聞かなかったことにする。全力で、僕は何も聞かなかった。
「本当は、入部する前に説明しておくべきだったんだけど……この居合道部のこと」
「うん」
「居合道部は、もうじき廃部になる」
「ハイブ……バレー部ってこと?」
「それは排球部――あの、真面目な話だから、変にかき混ぜないで? 廃部、つまり、もうすぐなくなるってことだって」
「えぇっ、だってこんな立派な部室だって――あれ?」
秋水さんは改めて部室を見まわして、それに気づいたらしい。
入口の札こそ『居合道部』と書かれているが、部屋の中には、無数の竹刀、古びた防具と面。
「なんか剣道部っぽいね」
「うん。あとひと月以内に部員を五人集めないと、居合道部は廃部になって、この部室も剣道部のものになる」
それが、今の居合道部の実情。
何十年も続いた歴史あるこの居合道部だが、「部活動は五名以上が所属しなければならない」という部の構成要件を満たさなくては潰えてしまう。
剣道部からの圧力により、期限を待たずに荷物を押し付けられる始末。
「で、今は何人いるの?」
「僕だけ。秋水さんも入ったから、二人」
「なんだ、あと三人いれば解決なんだ」
ゆるい笑みを浮かべて、秋水さんがこともなげに言う。
僕は、ため息をつくのをなんとかこらえた。
そう思うのもしかたない。
たった三人。
僕だって、はじめはそう思っていた。
「先輩たちが卒業してからもう一か月――五月だ。僕だって遊んでたわけじゃない。勧誘だってしてたさ。でもこの間に新たに入ったのは、たまたま出会った秋水さんだけ。もう部活に入ろうって新入生はどこかの部に所属しちゃったし、わざわざ転部するような人も期待できない。大体、マイナーなんだよ。居合道なんて、秋水さんだって今日の今日まで知らなかったんじゃないか」
「そりゃあ、知らなかったけどさ」
耳をほじって、かすを吹き飛ばす。
僕に向かって。
汚っ。
「知ってたら、さっさと入ってたよ。だから知らないだけの人も多いんじゃないかな。わたしみたいに」
「そうかな」
「具体的になにやったの?」
僕は壁に目をやる。
募集用のチラシだ。
A4の半分で手書きで書いた『居合道部 部員募集 希望者は2C佐山天晴まで』
「固っ」
秋水さんは露骨に顔をしかめる。
たしかに白地に黒いペン字だけでは簡単すぎたと思わなくもないが、シンプルイズベストとも言えると思う。
「漢字ばっかじゃん。これじゃサムライに憧れたフランス人留学生とか、気付かないよ」
「――さすがにそんなニッチな層に期待してないけど」
「気持ちの問題だよ。多くの人にアピールするんだ、って意気込み。例えば、イラストのひとつも描けば違うと思わない?」
「でも僕は絵心ないし」
「アッパレは否定語が多いぞ」
秋水さんがカバンからペンを取り出し、チラシの横に走らせる。
煉獄さんだ。
地味にうまい。
「けど、著作権――」
「もおうるさい!」
僕に向かってペンを走らせる。
抜き打ちの一刀より速い。
一閃が頬へ打ち抜かれる。
え、うそ! 本気で油性ペンで書いてるよこのひと!
「やる気あんの!? わたしだってもう居合道部の一員なんだから、勝手に潰されちゃ困るの! 著作権なんて非営利なら親告罪なんだから利害関係ないところで細々とやってんなら問題ないの! るろ剣も鬼滅も、なんならディズニーだっておおむねOKなの!」
いいのかそれ。
「あいつら目の中が闇で怖いんだよぉ!」
ダメだろそれ。
「とにかく、わたしはやるよ! どんな手を使ってでも! アッパレも、胆くくりなさい!」
鼻からこよりをポンと飛ばした。
そして、秋水さんは走り去っていった。
嵐のようだった。
現実も何も知らない、勢いだけの幼稚な主張――と、正直思わなくもない。
けれど、一理ある。
そんなつもりはなかったけど、どこかであきらめていたのかもしれない。
僕一人で、居合道部を存続させる。
そんなことは、無理だって。
自分なりにがんばれば、ダメだったとしてもしょうがない、と。
「秋水さん」
彼女の姿勢には、見習うべきかもしれない。
「よし」
僕も、頑張ろう。
彼女の言うとおり、僕も覚悟を決めねばならない。
多少の無理を押してでも、今は、賭けに出るべきなんだ。
僕は、秋水さんを信じてみることにした。
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