第3話「そもそも令和の時代に日本刀振り回してどうすんの」

「ウンコ味のカレーとカレー味のウンコ、食べるならどっちかって話、あるじゃん?」


 先週の帰り道、校門を出たところで知らない男子の話が耳に入ってきたことがある。

 下級生のようだが、小学生みたいな命題を出したので、聞くともなしに聞いてしまったのだ。

「これはつまり、普通のカレーとウンコ味の綺麗なカレー、どっちがいいかって話なわけよ」

「あー、なるほどね。やっぱ普通が一番だよね」

「ないよなー、あいつは」

「いくら見た目がよくてもねー」

 別の男子が尋ねる。

「何の話?」

「あれだよ、秋水桜子」


 特定の誰かのことをよくもまあ酷いどいたとえで言ったもんだと辟易したが、なんとなく、そのときのことを思い出してしまったのは、昼休みのことだ。

 


『――アッパレ助け――!』


 昼休み開始からちょうど一分。

 鞄から弁当箱を出したときだった。

 校内放送のスピーカーから、そんな声が聞こえた。


 ピンポンパンポンの音もなく、一秒だけ音声が流れて、ぷつっと消えた。

 教室が一瞬ざわめく。


「なんだ、放送事故?」

「アッパレってなに?」

「――まさかこの謎のメッセージがあの凄惨な事件の予兆だったとは、我々は知る由もなかった――」

 誰だよ不吉なナレーション入れたやつ。


 みんな愛想笑いして、昼食の準備を再開した。

 僕も弁当箱の包みを解いた。

 いろいろ思うところがなくもないが、今はお弁当に集中したい。おなかすいたし。


「――――れ――――ぱ――」

 二、三口食べたところで、遠くから何か近づいてくるのがわかった。

 嫌な予感がする。

 それとなく、窓の外を見るふりをして、廊下のほうへ背中を向ける。

 いやはや、今日も空が青い。


「アッパレぇぇ! どこ、どこだぁぁい!」

 入ってきやがった。

 縁もゆかりもない上級生のクラスに突然入って奇声を発する女子。普通に学校の怪談レベルのやばさだ。


「アッパレぇぇぇぇぇ――え? あ、いだぁぁぁ!」

 見つかった。


 すごい勢いで突っ込んでくる。空いてる机に膝ぶつけてひっくり返したりした。

「助けてアッパレ! お刀さんがぁぁ!」

 彼女が差し出す刀は、鞘から茎が飛び出していた。左手には柄だけ握っている。

 要するに、柄が取れてしまったのだ。

 そりゃそうだ。朝の一件で、刀身と柄をつなぐ目釘がなくなったので、単にはめてるだけだ。すぐに外れる。


 僕は軽くため息をつきながら、ひっくり返してしまった机を戻に戻す。

「まあ、これくらいならすぐ直るけど」

 目釘なら予備が部室にあったし。


「ほんと!」

 一気に表情が華やぐ。

 涙がたまってキラキラとうるんだ瞳、うかつにもドキッとしてしまった。


 中身がアレでも変に見目がいいから困る。

「ウンコ味の綺麗なカレー……」


「え? なんて?」

「いや、なんでもない。じゃあ刀は放課後に直すから、とりあえず帰りなよ」

「やだ! いますぐ!」

 駄々っ子か。


「ほら見てよ、お刀さんが苦しんでる! おべべがはがれて、寒くて震えてるよ!」

「じゃあ美術館で展示してる刀はみんなこごえてることになると思うけど」

「それは丁寧な温度管理によって温水プールのように快適なのです」

 リゾート地じゃないんだから。


「『うぅぅ、寒いよぉ、ひもじいよぉ、アッパレの旦那ぁ、早く助けてくれカタナぁ』」

 裏声で刀の声を代弁する。刀の語尾がカタナってテキトーすぎだろ。


「ひもじいって、僕のほうだってごはんがまだ――」

 言いかけて、今が昼休みで、さらに言えば教室内であることを思い出した。


 顔を上げると、何人かが目をそらす。

 かなり注目されていた。


「そういやなんで一人でご飯食べてんの? ぼっち?」

 こいつは言わんでいいことを言う天才か。


「……部室に行こう」

「おお、さすがアッパレ! 話のわかる男! クラスのみんなも仲良くしてあげてね!」

 教室のみんなに歌のお姉さんみたいににこやかに声をかけてる。

 君は空気をわかって?



 教室を出たところで、一応釘を刺しておく。

「僕は別にぼっちじゃないからね。人と食べるか否かを選択したうえで、あえて一人で食べているわけだから。必要とあれば混ざって食べれるから。それ定義上ぼっちとは言わないから。本物のぼっちはトイレで弁当食べたりするわけだから。僕はそういうわけではないから」

「おぉ、出会ってイチよくしゃべったねぇ」

 ちくしょう、絶対わかってない。

 クラスメイトとも普通に話せるぞ。必要があるときは。班別の発表の時とか。


「でも一人でいたんだったんなら放送室まで来てよ。大変だったんだよ。居合道部の用事だって言っても放送マイク使われてくれなかったし」

「そりゃダメだろ。そもそもなんで放送なんてするの。直接言いに来ればよかったのに」

「アッパレの学年もクラスも知んないし」

 あ、そうか。

 そういえば教えるの忘れてた。

 無意識で伝えないようにしてた――わけではないと思う。多分。


「放送すればきっと来てくれるって合理的判断の上での行動だったんだけどね」

 勝手に放送使うというルール違反の上に立つ合理性って一体。


「しょうがないからしらみつぶしに探しちゃったよ」

 嫌な予感はしてたけど、やっぱりそういうことか。

 アッパレアッパレわめきながら上級生の教室を横断するって、想像するだけで背筋が凍る。

 本名を連想されない変なあだ名でまだよかった。



 部室にはすぐについた。

 校舎とは別棟だが、隣接してるので靴を履き替える手間もない。

 プレハブ長屋みたいな構造だが、立派な部室だ。引き戸の横には年季の入った看板が掲げられている。


「おお、居酒屋で合コン――略して居合道部ですな」

「変な大学サークルみたいに言わないでよ」


 鍵を開けて、中に入る。

 建付けの悪い扉を引くと、独特のにおいが漏れ出てくる。

「なんか変わったにおいするね」

 今まで特に意識しなかったけど、他の人がいるとつい考えてしまう。ずっと敷きっぱなしの畳と刀の整備用の油、そしてしみついた汗のにおいか。


「おばあちゃんちの押し入れみたい」

「それは――うん?」

「なんか落ち着くねぇ」

 悪い意味ではないみたい。

 たしかに、僕もこのにおいは嫌いじゃない。


「しかし部室があるなんて、意外とすごいんだね」

「創部四十年の伝統部だしね。一応」

 ケースから目釘を取り出す。

「じゃあ刀貸して」

「いいけど、手洗った? どさくさに紛れて、うちのお刀さんに変なことしないでよ?」

「変なことってなんだよ……」

 ため息をつき、僕はハンカチを口にくわえる。そうすれば間違っても飛沫が飛ぶことはない。日本刀の鑑賞をするときなんかの作法のひとつだ。

 別に彼女がうるさいからではなく、他者の刀を預かるわけだし、一応、礼は尽くさないといけない。


 さっきまでの疑いのまなざしから一転、秋水さんは目を輝かせて、僕の一挙一動を見つめている。

 若干緊張するが、なるべく気にせず、僕は剥き身のままの刀を鞘から抜き出す。

「おぉぉ」

 秋水さんが感嘆の声を上げる。

 切れかけた蛍光灯に照らされ、刃文の浮いた刀身が姿を現した。


 当然だが、模造刀だ。

 コンクリートに刺さったからまさかと思ったけど、刃はついていない。ただ、先端はとがっているので、勢いがあれば刺さる。

 一応、傷やひび、曲がりなどを確認するため、峰に手を添えて刃筋を見る。また、反転させて刀身側面の平地を確かめる。


「はわあぁぁ」


 刃文は片落ち互の目刃かたおちぐのめば。横から見た碁石を互の目、それが半分落ちているような形が並ぶから片落ち互の目刃と呼ぶ。備前長船景光びぜんおさふねかげみつの作の特徴で、それを模しているのだろう。


「ふおおぉぉぉ」


 長さは定寸に近く、腰が太く肉厚な造りだ。一般的な居合刀より重いかもしれない。

 ふと、茎に銘が刻まれていることに気付いた。多くは作者が名を刻んだりするが、模造刀では珍しい。字体が特殊だが、鶴・亀と読める。


「ひやぁぁぁ」


「――あのさ」

 いったん刀を離し、声をかける。一応、刀を扱っている最中だから我慢していたのだ。

「なんでいちいち声を出すの」


「いやぁ、なんていうか、お刀さんの御身がまばゆくて」

「自分のでしょ。いつも見てるんじゃないの?」

「そりゃあ見てるけどさ。なんていうんだろ。プロのカメラマンがなまめかしく脱がす様を目の当たりにしてるような感じ? 同じ脱がすでも違いますなぁ。プロですな。アッパレプロ」

 ちょっと意味が分からなかった。

 ただ、自分としては刀の手入れなんて当たり前のことだけど、こうも爛々とされるとこそばゆい気持ちだ。


「プロというか、もはやエロ。アッパレエロ」

 こそばゆくなかった。ただの不快感だった。

 もういいや。しまうことにする。

 最後に、油を布で引いてあげる。


「おおお刀さんが、ぬぬぬぬるぬるに、ねちょねちょのてかてかにぃぃ! これはけしからん、けしからんですぞぉぉぉ!」

 真っ赤になり、頬を押さえてもんどりうってる。

 うるさい。


「一応、大丈夫だと思うよ」

 はばき切羽せっぱつばと順にはめ、柄を嵌める。予備の目釘を差し込み、手鎚で叩いて固定した。

「よし」

 納刀。下げ緒を巻いて、おしまい。

 秋水さんに差し出しながら、言った。


「これで秋水さんも稽古できるね」

「え? しないよ」


「…………は?」


 聞き違えたかと思った。

 秋水さんは刀を受け取りながら、にこやかに言った。

「だってただお刀さんを差したいだけだから。振ったらダメでしょ、危ないし。もしまた飛んでって、お刀さんが傷ついちゃったら大変」


 刀のほうの心配かよ。


「でも振ってこその刀であって……」

「そもそも令和の時代に日本刀振り回してどうすんの」


 お前がそれを言うか。

「お前がそれを言うか!」

 口に出ちゃった。


「じゃあ、なんのために刀を差したいの? 先生に目をつけられてまで」

「お刀さんが好きだから。アッパレは好きだから振り回す。わたしは好きだから身につける。好きの形も表現も違うけど、みんな違ってみんないいんじゃない?」

「それはそうかもしれないけど……」


 秋水さんは、自分の腰のベルトにぶっこむ。

「やっぱこれが落ち着くわ。アッパレ最高!」

 ご機嫌で去っていった。

 僕は誰もいなくなった部室でため息をつく。


 たしかに、筋は通っている。

 好きにすればいいのだ。

 彼女は部に所属してくれる。僕は部員を得る。

 それでお互いに幸せになれるのなら、いいのではないか。


 無意識に、壁にかけられた名札掛けへ目をやる。

 歴代の部長の名をかけている。

 その三十八代目。

 橘 桃流たちばな とうる

「先輩、どうすれば――」

 答えなんて、あるはずがなかった。


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