第2話「居直り強盗は合法です」

 居合道とは、実際に日本刀を使用した武道である。


 刀を鞘に納めた状態から、抜くと同時に切りつける剣術――抜刀術を基礎とし、戦国期から江戸期にかけて、林崎甚助重信翁により創始された。戦場での武術から、平時における納刀状態からの武芸へ移行された、という歴史的背景を加味して考えると興味深い。


 刀の代わりに竹刀を使う剣道と異なり、現代においても稽古は日本刀を用いるのが大きな特徴だ。学生居合ではさすがに模造刀だが、社会人では真剣を使用する人も少なくない。

 型稽古を基本とし、全日本剣道連盟(全剣連)が定める技である制定十二本を――


「あ、入部届があったよ」

 聞いてないし。


 居合道とは何かと問われたから、教室へ向かう道すがら答えていたのだ。


 廊下の片隅に置かれた机から、わら半紙を持ってくる。日に焼けて茶色くなっていた。

 秋水さんはその場でさらさらと書いていく。


「えーっと、いあい、てどう書くの?」

「居間の居に、気合の合」

「あーはいはい、居直り強盗の居に、合法の合ね」

 「居直り強盗は合法です」とつぶやきながら居合の字を書いた。


「一年C組で、秋水桜――」

「え? 後輩?」


 僕は二年だ。普通にタメ口だから、同い年だと思っていた。

 たしかに上履きを見たらつま先が赤色。一学年のカラーだ。僕は二年の緑。ちなみに三年は青だ。


「え、なによ。アッパレって、相手が年下だと分かった途端にナメてくる系男子?」

「そういうわけじゃないけど……」


 居合道部は武道系の部活のわりには上下関係が緩い。とはいえ、上級生をよくわからないあだ名で呼ぶってのはどうかと思うけど。

 書き上げた入部届を僕に押し付ける。意外と達筆――というか、達筆すぎて読めない。


「さ、これでらこさんも晴れて居合道部員となりましたね」

「いや、顧問の先生に出して受理されないとダメだけど」


 あたりが騒がしくなってきた。もう始業が近い。

「僕まだ着替えてもないから、あとで出しとくよ」

「ダメ! 今! 行こう!」

 強引に押される。


 力だけは強い。秋水さんは女子にしては背が高く僕とも背丈はあまり変わらないが、体重差はあるはずだ。さっきのしかかられたときも、落下速度が乗っていたから痛かったけど、彼女自身は軽かった。

 なのに異様な体幹の強さで、全然押し戻せない。


「わかった、わかったって」

 そのまま小走りで職員室に向かうことになった。秋水さんは上機嫌で、


「いー、は居ー留守の居、合は烏合の衆ぅ~♪」

 とドレミの歌を魔改造して歌っていた。


 朝の職員室は、本当に慌ただしい。

 授業の準備をする先生たちに、その手伝いで教材を持っていく生徒が次々と行きかう。そこに日本刀持った二人が妙な歌を口ずさみながら強引に分け入ってくるもんだから、邪魔なことこの上ない。本当に後悔した。


「んで、顧問のセンセはどこかいね?」

「えっと、安藤先生なんだけど……」

 先生の席は、誰もいなかった。机の上はいろんな書類や開けてない荷物の箱で埋まっているが、パソコンも置いてあった。画面が開いてあるから、もういると思うんだけど。


「んなっ」

 声に振り替えると、生倉先生だった。

 スーツに着替えていた。

 さっきの件を言われやしないかと冷や冷やしたが、こちらを一べつしただけで自分の席に行ってしまった。見慣れないスーツ姿で、ほかの先生に「あれ? 今日は法事でもあるんですか?」とか声をかけられてるが、言葉を濁していた。

 さすがに、あんなことは本人としてもなかったことにしたいのかもしれない。


「って、秋水さん、何してんの!」

 ちょっと目を離した隙に、安藤先生のパソコンをいじってる。

「いや、開いてたから――」

「開いてるからって勝手に見たらだめでしょ」

「ふぇーい」

 不満そうな幼稚園児みたいな返事だった。中身も幼稚園児かもしれない。

 幸い、パソコンはパスワードがかかってたみたいで、中も見れなかったようだし。


「しかし、先生、いないな。もう授業行っちゃったのかな」

 それならここにいても無駄だ。僕も早く着替えたいし、出直すしか――


「あれ、佐山くん? どうしたの道着で」

 振り返ると、スマホ片手に現れた、安藤先生だった。後ろにまとめた髪から寝ぐせみたいにおくれ毛が出てる。なぜか少し息が荒い。

「ごめんね、待ってた? ちょっと校内見回りしててね。ほら、あたしって一番若手だから、いろいろこき使われちゃってね。大変なのよもー」


「あの、入部希望なんです」

 言って、秋水さんを見せる。

 安藤先生の顔がぱっと明るくなった。


「マジで! ついに! やったじゃん! しかも美人さん! あたしとしちゃ美少年のほうがおいし――ゲフンゲフン」


 スマホを机において、入部届を軽快に受け取る。

「いやはやしかし、佐山くんもスミにおけブバ!」

 入部届に視線を移した瞬間、吹きだした。


「ちょっと、タイム! こっち来て!」

 腕をつかまれ、柱の陰に引っ張られる。

 さっきと打って変わって顔が青くなってる。


「あの子秋水さんじゃないの! えぇ……よりにもよって、いくらなんでもそりゃないよ」

「え……そんなに、ですか?」

「そうだよぉ、けっこう職員室でも問題になってるんだよ。入学者代表挨拶でやらかすし。壇上で「うんこ!」とか叫んだんだよ? マイク、ハウリングしてたよ。うんこが体育館を延々とエコーするの、あたし生まれて初めて聞いたんだよ」

「あー……」

 にわかには信じがたい――と言いたいが、ありありと想像できる。幼稚園児だった。


「まるで迷惑系ユーチューバー――いや、別に閲覧数関係ないのに勝手にやってるからもっとタチ悪いし。部活でも絶対なんかやらかすよ。そしたらあたしの監督責任も問われるって。また教頭に怒られるって!」


「誰に怒られるんですって?」

 教頭先生だった。

 分厚いメガネを震える手で押し上げていた。

 安藤先生の表情が一気にこわばる。


「あ、はは、教頭先生、おはようございます――」

「あのねえ、安藤先生。あなたもう教師なんだから。いつまでも学生気分でいたら困るんですんよ」

「えへへ、もちろんですよ。だからこうして生徒指導を――」

「生徒の前に自分の管理をしなさい、って話ですよ。また遅刻したでしょ。パソコン置いといたって、わかりますからね。あれ、昨日から置いてるでしょ」


 そうだったのか。見回りとか言ってごまかしてるし。


「何度も言ってるでしょ、新人たるもの誰よりも早く出勤するものだって。それがなんですか、毎回最後じゃないですか」

「いやぁ、昨日は間に合いましたし、毎回ってわけでは――」

「言い訳をしない! そんなだから昼行燈とか呼ばれてるんですよ!」


 お小言が始まった。

 正直、安藤真昼先生はわりとどうしようもない先生である。居合道部の顧問をしてるのも、教員は何かしら顧問をしないといけないルールだから、試合が少なく練習機会も多くない部を選んだらしい。悪い人ではないのだが、少し頼りない。

 ひたすら教頭に頭を下げている姿を見守るのも悪いし、ここは立ち去るのが無難かもしれない、と思った時だ。


『――我慢するなよ、総司だって――』


 やけに甘ったるい男性の声が響いた。


『――オレの兼定を、欲しいんだろ――』


 あれだけ喧噪に満ちていた職員室が一気に静まり返る。


 秋水さんだった。

 ぽかんとしながら、両手でスマホを抱えていた。そこから大音量で流れる二人の男性の熱を帯びた声。


『――はァ、はァ、く、ください! 長くて、カタい、土方さんの刀を――ぼ、ボクの鞘に――』


「ソォォォォォイ!」


 一瞬だった。


 ついさっきまで僕の横でヘコヘコしていた安藤先生が、謎の気合とともに飛躍。机を飛び越え、秋水さんのもとへ着地。


 スマホを没収。


「秋水さん! あなた神聖な職員室でなにしてるの!」

「え? でもそれセンセの――」

「黙りなさい! こんなけしからんものは、こうです!」


 割った。

 

「これに懲りたらこんなことしないように! そのかわり入部は認めるわ! だからそれ以上何も言わずに教室へ行きなさい!」

「あでも」

「以上! 退場!」


 いまいち状況がつかめずぽかんとしていた秋水さんを、僕が引っ張って職員室を後にする。


「安藤先生もあんな熱い指導するんだな」

「ちょっとやりすぎかもしれないけど、見直したよ」

「生徒のスマホを割るなんて、今の時代なかなかできないよね」

「てか土方さんは受けじゃね?」


 そんな声で、再び職員室がわき始める。

 それをしり目に、僕たちは職員室を退出し、扉を閉めた。


「……どうやって先生のスマホの暗証番号、解いたの?」


 なんとなく状況はわかった。秋水さんに気付いた先生が僕を引っ張っていったとき、手にしていたスマホを机の上に置きっぱなしにしてしまったのだろう。つまり、秋水さんの目の前に。


「うん? 画面よく見たら指紋が残ってたから。待ってる間、暇だから適当に押してたら開いちゃった」

 そうか。

 そのあとなんで濡れ場が大音量で流れたのかは、考えないことにした。


「総司に土方って、新選組だよね。あ、もしかしてBLってやつ? センセ、好きなのかな?」

 言っちゃった。せっかく考えないことにしといたのに。


「まいいや。とにかく、これでれっきとした居合道部員じゃんね?」


 そうか。居合道部員になっちゃったのか。

 入部届持ってくるだけでこんな騒動にしてしまうなんて。

 これからどうなるのだろうか。


「独~居房は超~合~金~♪」

 能天気に謎の歌を口ずさみながら、秋水さんは腰の刀を振り振り、上機嫌に教室へ戻っていった。


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