バットーハッピー

京路

第1話「こんな都合がいいのが存在したなんて!」

 よく晴れたその日、口に刀をくわえた女の子が降ってきた。




 校舎裏で朝稽古を終えたときだった。

 頭に何かがこつんと当たり、地面に落ちた。


 雪駄だ。

 つまり、裏打ちした草履だ。裏地もプラスチックでなく革張りで、踵に後金が設えてある本格的なやつ。


 なんでこんなものが――と上を見上げたとき。


 彼女が、空を舞っていた。

 口に朱塗りの拵えをくわえ、2メートルはある学校の塀を飛び越えてきた。制服の夏服のすそとスカートをはためかせ、裸足のまま落ちてくる。


「げ」


 僕の上に。


 

 彼女が僕の腹の上に尻もちをつく。

「あいたたた……なんでそんなとこいんのよ」

 それはこっちのセリフだが、息もできず悶えるばかり。

「って、そんなことはどうでもいいのよ。早くしないと――」


 そういって彼女は刀を手に取った。

 しかし引っ張っても取れない。

「あれ?」


 なぜなら、それは僕が差していた刀だからだ。


「ええ? あんた――何者?」

 驚いて飛びのいてくれたおかげでようやく立ち上がれた。

 眼鏡を直しながら、自分の姿を改めて見ててみる。

 黒の道着に袴。そして帯刀。足は素足。


 たしかに、普通は見慣れない格好かもしれない。剣道部にも間違えられることがあるが、あちらより道着も薄い。


「転生者? 時間移動者? ただの不審者? やっば、初めて見た」

「いやちゃんと現代日本人で、ここの生徒だから。って写真撮らないでよ!」

 遠慮なしにスマホでパシャパシャされた。


「て、そんなことはいいんだ。えっと、お刀さんお刀さん……」

 慌てて、塀際に転がっていた朱鞘の拵えを手に取る。

 スカートのベルトに無造作に差し込んだ。


 改めて、この子はなんだ?

 制服姿だが腰には刀を差し、足は素足に雪駄。こんな人に不審者呼ばわりはされたくない。



「あが! なんか髪に蜘蛛の巣ついてる! ちょっと、取って取って?」

「えぇ?」


 いきなり言われた。

 塀を飛び越えた時にでもついたのか。蜘蛛の巣どころか、葉っぱとか小枝とかついてる。

 頭を向けてくる。

 首を傾けると、肩にかかった髪が音もなく流れて落ちた。

 桃に似た香りがする。

 葉っぱや枝をつまむと、艶めいた髪からほどけるように、何の抵抗もなく取れた。

「取れた?」

 髪をかき分け、彼女はこちらを見上げる。

 瑞々しい大きな瞳を間近で見て、息が止まった。


 珍妙奇天烈なふるまいだけど、実はかなり美人だった。


 そのとき、野太い怒声が響き渡った。

「おい、秋水あきみず! 見つけたぞ!」

 赤いジャージの体育教師・生倉なまくら先生だ。たしか生徒指導部長でもある。今時、竹刀片手に校門に立ってることで、生徒間ではおなじみだ。


「オマエ、刀差して学校来るとはどういう了見だ!」

 ドシドシと足音立てそうな勢いで迫ってくる。


 この子、このままで登校してきたの?

 そんな人に、僕は不審者呼ばわりされたの?


「どういう了見って、好きだから、一緒にいたい的な? ダメ?」

「当たり前だろ!」

 一喝を受けた彼女は、しかし余裕な様子。ほのかに笑みさえ浮かべている。


「いやいやセンセー、そこにもっとガチな人るって。日本刀どころか、がっつりキメてるこっちの人のほうがやばいって!」

 こっちに水を向けてきた。

 先生が僕のほうを見て、すぐに彼女に視線を戻す。

 あきれたように、


「いや、あいつは居合道部だろ」


「……イアイドー?」

 彼女が、目を丸くした。

「相手の力を利用して投げるやつ?」

 僕に訊いてくる。

「それは合気道」

「知らないけど――日本刀、差していいの?」

「まあ、そういう武道だし……」

「すご!」

 抱き着かれた。

 思いのほか力強いハグ。いろいろ柔らかい部分で圧迫される。


「なんて運命! 神様ありがとっ! こんな都合がいいのが存在したなんて!」

 ほめてるんだかなんなんだかわからないコメントだが、女子に抱き着かれた経験なんてない僕は突っ込むどころじゃない。


 と、後頭部に固いものがぶつかる。

 振り向くと、竹刀。

 剣先で小突かれたのだ。


「俺の前でいちゃつくな」

 舌打ちされた。なんで僕が怒られたんだ。後頭部は結構痛かった。ていうか、体罰じゃないか。

「あ? なんだ、まさか体罰だとか言いてえのか? ただのツッコミだろ、真に受けんなよ」

 低い声ですごみながら、にらんでくる。ほとんどヤクザだった。


 僕を挟んだ彼女のほうは変わらず上機嫌だ。

「わたしのだって、いちゃつきじゃないしね。感動表現。表現の自由」

 僕を開放し、生倉先生へ向き直り、敬礼する。

「というわけで、わたし、イエイドー部員になったので、お刀さん差してもいいんです」

「はァ? おまえさっきまで存在すら知らんかったろ」

「イエイドー、いえーい!」

 刀を抜き放って、天に掲げる。

 先生はなにか言いかけたが、ふと僕を一べつし、何かを思いついたようにニヤリと笑った。

 ああ、そうだ。

 この人は、剣道部の顧問だった。

「お前はいいのか? えっと、サヌマ、だっけ?」

「……佐山です」

「んなこたどうでもいい。それより、こいつのこと、ほんとに引き取んのか?」


 正直、御免こうむりたかった。

 出会ってから数分だが、この子からはヤバさがプンプンする。

 ただ、人の名前を間違えても平然と開き直るような人の意見には素直に従いたくはなかった。


「来る者は、拒みませんよ」

「はん、今は一人でもほしいもんな」


 言い返せない。

 たしかにそれは図星ではある。


「ま、いいけどよ。俺としては、面倒ごとはまとまっててくれたほうが」

 鼻で笑いながら、生倉先生は立ち去っていく。

 そのときだった。


「あ」


 彼女の、素っ頓狂な声が響く。

 その瞬間、僕の耳元を風の音がかすめ、銀の光が弧を描く。

 生倉先生が掲げていた竹刀を貫き、目の前のコンクリート壁に突き刺さる。


 刀だった。


「ほげっ」

 変な声を出して、先生はその場で尻もちをついた。


 振り向くと、彼女が手元に残った柄を不思議そうにのぞき込んでいた。

「ありゃ、飛んでっちった」


 まれにあるとは聞く。刀身を柄につなぎとめる目釘が、入れ忘れるか折れるかして、刀を振った時に刃だけ飛んでいく事故が。死亡事故にもつながる、かなりシャレにならないやつ。

 でもそうそうあることじゃないし、あってはならないものだし、このタイミングで何してんのこの人――。


「センセ、ごめんね。でもわざとじゃなくてね――」

 彼女の言葉が止まる。

 へたれこんでいた下の地面が、濡れ染みが広がっていく。


「ぶっ! センセってば、先生なのに漏らしてるよ!」

 スマホで撮り出すし。


「ちょ――」

 誰のせいだよ!

 青ざめていた先生の顔がどんどん赤く染まっていく。

 爆発の予感を察して、僕は荷物をかき集め、逃げるようにその場を走り去った。

 彼女も笑いながら、刀身を回収して追いかけてくる。


 昇降口まで走って、ようやく息をついた。帯刀したまま全力疾走したので、息も絶え絶えだ。

 彼女も苦しそうにおなかを抱えてるが、単に笑ってるだけだ。


「いやー、朝から笑ったね」

「全然笑えないよ」


 今の居合道部と剣道部の関係を考えると、確実に状況が悪化した気がする。

「そんでも、ちょっとはスカッとしたよね。わたし、あの先生あんまり好きじゃないんだよね。うるさいし」

「…………まあ、たしかに」


 僕の小さな同意に満足したのか、彼女は小さく笑って、僕に手を差し出す。

「これからよろしくね」

「え?」

「イエイドー」


 本当に、やるのだろうか。

 さっきは勢いで認めてしまったが、こんな子を今の居合道部に迎えていいのだろうか。

 少し不安がよぎったが、振り払う。

 来る者は拒まない。

 それもまた、僕の本心だ。


「イエイじゃなくて、居合道、ね」


 彼女の手を握る。

 やはりというか、剣だこのひとつもない柔らかい手だ。

 それでも、力強い。

 本当にやる気があるのなら、居合人として喜ばしいことだ。

 ていうか、ほんと強いな、握力。

 って、待って、これ――


「いた、痛っ、たたた!」

 慌てて彼女の手を振り払う。

 僕の様子を見て、ゲラゲラ笑ってる。

 関節が分解するかと思った。見た目は細いのにゴリラみたいな握力だ。


「よろしくね、わたしは秋水桜子あきみず さくらこ


 生粋の大和撫子みたいな名前だった。


秋桜コスモスみたいで可憐でしょ」

 どっちかというとカオスだ。


「らこちゃんって呼んでもいいよ、アッパレくん」

「え? アッパレ?」

 僕の刀袋を指さす。

 佐山天晴さやま てんせい

 それが僕の名前だ。

 たしかに訓読みではアッパレとも読むけれど……。


「これはアッパレじゃなくて、てんせ――」

「いいじゃんアッパレ。めでたいよね。声に出して言いたいお名前」

「どっちかっていうと、君のほうがアッパレって感じだよね」

「おお、なかなか言うねえ!」

 たしかに、今のはいわなくてもいい皮肉だったたかも。あまりに無遠慮な彼女に、気が緩んでいたのかもしれない。


「ところで結局よくわかんないんだけど」

 バラバラになった刀を鞘に入れながら、秋水さんが言う。 

「イエイドーって、なに?」


 今日何度目かのため息が漏れた。


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