第167話 善は急げ

 時が許すのならばいつまでこうしていたかった。だが、幸せな時間は呼吸をするという生きるために必要な行為で中断せざるを得ない。やむを得ず唇を離したルーミアは、肺に空気を取り入れるために、短く呼吸を試みた。


 しかし、その直前に柔らかい何かに唇を塞がれて、呼吸をすることは叶わなかった。


「だーめ、ですよ」


「んっ……!? んぁ……」


 リリスの唇だった。赤らんで色っぽく見えるリリスの顔が急接近して、すかさずルーミアの唇を塞いだ。タイミング悪く空気を吐き出した瞬間に閉ざされたため、苦しくなったルーミアはリリスの胸を軽く叩いて解放を要求した。


「ぷはっ……ちょ、まっ、んぅ……っ」


 離れたかと思いきや、その都度リリスの唇が追いかけてきて、ピッタリと塞がれる。まともに息を吸うことさえも許されずに頭がクラクラしていくのを感じていると、ふと口内に生あたたかい何かが侵入した。


「っっ……〜〜〜っ……!」


 ゾワゾワと痺れるような感覚がルーミアの頭を走り抜け、声にならない声を上げながら蹂躙される。呼吸を求める抵抗は続いているが、それもだんだんと弱々しいものになっていき、やがて形だけのほぼ意味をなさないものになる。


 溺れていく。頭の中で何かが弾ける。

 ぺちぺちとリリスの身体を叩いて、限界と伝えるも無視され、ようやく解放されたのは意識が半分ほど遠のいた時だった。


「……はっ、ぁ……こんなにがっつくなんて……さては私のこと大好きですか?」


「そうですよ? 多分ルーミアさんが想像する何倍、何十倍、何百倍大好きです」


「ゔぇっ!? リ、リリスさんが素直です……」


 しばらく放心状態で息を整えたルーミアは熟れた林檎のような真っ赤な顔で、せめてものやり返しと言わんばかりにリリスをからかおうとするが、ヒラリとかわされる。


 もう冗談などで誤魔化さない。リリスは自分の気持ちを偽らず、ルーミアにぶつけてタジタジにさせた。


「ふふ、そんなに慌ててどうしたんですか? 私が自分の気持ちに正直になるのはそんなに不思議ですか?」


「……嬉しいですけど、なんか怖いです」


「そういうこと言う悪い口は閉じないといけませんね。今度は途中でやめてあげませんよ?」


「……せっかく生き延びたのに窒息死は勘弁です」


 妖艶な笑みを浮かべるリリスがにじみ寄る素振りを見せ、ルーミアも一歩下がろうとするが、それよりも早く伸びてきたリリスの手がルーミアの顔を捕まえて引き寄せる。


 割と本気で窒息するかと思ったルーミアは、若干顔を青くして頭をフルフルと横に振った。


「そんなに怖がらないでくださいよ。私が悪いことしてるみたいな反応……傷付いちゃいます」


「……意地悪」


 まったく悪びれない様子で飄々と告げるリリスは、ルーミアの心理を手のひらで転がしている。

 すっかり主導権を握られたルーミアは、ポスンとリリスの胸に頭を預けて、腕を伸ばして抱きついた。


「……リリスさんは、いつから私のこと意識してくれるようになったんですか?」


「難しい質問ですね。ただ……ルーミアさんと過ごしていくうちに、ルーミアさんが私の中にどんどん入り込んできて、気付けばルーミアさんのことばかり考えるようになってました」


「私も一緒です。気付いたら私の心はリリスさんでいっぱいで……どうしようもないくらい手遅れでした」


 互いに互いの心を侵食しあって、染め上げていく。

 気付いた時にはもう手遅れで、頭の中は相手のことでいっぱいだった。


「さ、お互いの気持ちもはっきりしたところで……もっと気持ちいいこと、しましょうか?」


「えっ……それは気が早くないですか?」


「……ああ、そうでした。ルーミアさんは口は達者ですが、行動に移せないヘタレでしたね」


「……酷い言われようです」


「私はルーミアさんと違って襲うと決めたら襲います。ほら、善は急げですよ」


 しおらしくしているルーミアの頭を撫でながら、その仕草とは裏腹にやや辛辣な毒を吐いたリリスは呆れたように薄く笑った。


 散々言葉で弄ばれてきたリリスだが、ルーミアは肝心な場面で手を出してこない。

 リリスも以前はのらりくらりかわそうとしていたが、タガが外れた今手を出すことも出されることも厭わない。


「あっ、ちょっ……よく考えたら私っ、走って帰ってきたので汗臭いかもしれません。今日はやめましょう」


「ふふ、散々抱きしめられておいて今更ですね。大丈夫ですよ。お日様のいい匂いです」


 いよいよ本格的に身を危険を感じたルーミアは、なんとかして逃れようと言い訳をした。ルーミアはその身ひとつで走って帰ってきたため、それを理由に早口でまくし立てる。


 しかし、リリスはルーミアの言い訳を即座に切り捨てた。既に何度も密着して、匂いも知っているため、その理由はいささか弱いにも程がある。

 ルーミアは首筋を嗅がれて甘い声を上げた。


「ひゃん……っ。リリスさんもお疲れ……ですよね? 今は大人しく休みましょう?」


「ルーミアさんを食べたら元気が出ると思います」


 つい先程まで疲れて眠っていたリリスのことを引き合いに出すも、そちらもばっさりと切り捨てられる。

 ふと見上げるとリリスの目は完全に据わっており、捕食者のそれだった。


「……優しくしてください」


「嫌です♡」


 諦めたルーミアは上目遣いで頼み込むが、リリスはとても良い笑顔でそれすらも拒否してみせた。

 そのまま手を引かれて、ルーミアは寝室へと連れ去られる。

 魔法を使って抵抗しなかったのは……期待の気持ちの表れだった。

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