115話  指輪

灰塚はいづか れん



春休みが終わって、俺はまたいつものようにずるずると足を動かせて学校に来ていた。今年で俺は高校3年生、つまり受験生になる。

といっても、何かが劇的に変わるわけでもなかった。叶愛かなとの関係は正に順調そのものだし、進路に対するプレッシャーも先日、田室たむろさんに色々アドバイスされたおかげでだいぶ楽になったのだ。

平和で、色彩が添えられていて、穏やかに流れて行く時間の中。

放課後、俺はまたこの空き教室で叶愛と向かい合っていた。



「よかった、4人ともまた同じクラスになれて」

「そうだな、びっくりしたよ。バラバラになってもしょうがないと思ってたから」

「ぷふふっ、そうだね。そして……この教室も、いつも通りだもんね」

「そうだな……ていうかこの教室、いつになったらまともに使うんだろうな」

「そこがいいんだよ。ずっと私と連だけの場所って感じがするから」

「………そっか」



思い返してみると、確かにそんな感じがした。この校舎は毎日、何百人もの人が行き来しながらそれぞれの思い出を作っているのだ。

そんな場所で、俺と叶愛は二人だけの秘密基地を作った。

ちょっとだけ浮世離れしてて、物静かで、俺たちだけに許されるんじゃないかと錯覚さっかくしてしまうくらいに甘ったるい、この空間を。俺たち二人だけの世界を。

……可笑しなことだ。もう一年以上も経つのに、未だに見つからないなんて。



「叶愛」

「うん?」



教科書に視線を向けていた叶愛は、愛らしく顔を上げてこちらを見てくる。

俺は片手で頬杖をついて、何も言わずにその顔を眺めた。

機械だった俺に色々な感情を与えてくれて。傍にいてくれて。

未来を、考えさせてくれる人。



「………なに?」

「ううん、読んでみただけ」

「もう………」

「……今日くらいは勉強、休んでもいいんじゃない?」

「ダメ。連に付いていくと決めたんだから」

「全く……」



幸せを、教えてくれた人。

……不思議だな。高嶺たかねの花で、遠くから見守るだけだった女の子が、ここまで大きな存在になるなんて。

始めてはその独特なアッシュグレーの髪に目を奪われた。その後は雰囲気。

その後は…………なんとなく勢いで、セックスをしてしまって。

それから、徐々に仲が深まって……今じゃもう、俺自身よりも大切な存在になっている。

あの時、きびすを返してよかったと思った。

あの時に叶愛の自殺を食い止めなかったら、きっと俺も彼女と同じく死んだはずだから。だってもう、今の俺は分かっているのだ。

この子に一目惚れをしてたって、今なら分かるから。



「そうだ、叶愛」

「うん?」

「渡したい物がある」



後ろにあるカバンで、俺は今日持ってきた箱を取り出した。

視界の端に、風で靡いている真っ白いカーテンが映ってくる。俺は小さく嘆息した。

そっか、叶愛を救った時にも。

叶愛の腕を引っ張って、自分の懐の中に閉じ込めたあの時も、こんな風にカーテンが揺らいでいたのだ。

色んな思い出のある教室。俺たちが初めて話し合ったこの場所で………

俺は箱を開けて、叶愛にその中身を見せた。



「………………えっ」

「貰ってくれる?」

「これっ…………て」

「…………まぁ、ちょっと気が早い感じはあるけど」



指輪が入っている、その小さな箱を。

叶愛はそれを見た途端に、喉を詰めらせてから俺を見据えてくる。俺は、ちょっと照れくさい感情を覚えながらも言い続けた。



「俺たちの歳なら今でも結婚はできるけどさ。でもウチの親が絶対に反対するだろうし……実際に結婚するのは、もう少し先の話になるかもしれない」

「…………」

「でも、俺の気持ちは変わったりしないから。だから……これを渡したいんだ。未来には何が起こるかも分からないし、叶愛を不安にさせたり、時にはがっかりさせることだってあるかもしれない。それでも……頑張って、君を幸せにしてみせるから」

「………っ」

「結婚する前にプロポーズする時は、さすがにこれよりは高いものをプレゼントするけどさ」



その箱を大切に両手で包んでから、俺は両手で口元を覆っている叶愛に差し伸べた。



「これは、二人の婚約指輪ってことで。受け取ってくれると、嬉しいかな」

「………っ……うっ……」



……また泣かせてしまったな。

いや、これで良かったのか……?俺も渡すタイミングとか分からなくて、ずっと迷ってたんだけど。

でも………まあ。



「……付けて」

「うん?」

「連が付けて。左手の、薬指に」

「…………」



……こんなに嬉しそうにしてくれてるんだから、いいっか。

立ち上がって、俺は叶愛の隣にひざまずいてから箱の中にある指輪をそっと取り出した。

そして叶愛が差し出してくれた手の薬指に、そっと指輪をハメる。

指輪が綺麗にはめられているその華奢な指を見て、再び痛感してしまう。

俺は、この人とずっと未来を歩いて行くのだと。



「………サイズもぴったり。私の指のサイズなんてどうやって分かったの?」

「毎日握っている手だから、知らないわけがないじゃん。それにサプライズしたかったし」

「………もう」

「…受け取ってくれて、ありがとう」

「ううん、こちらこそ」



まだ目元に涙を滲ませている状態で、叶愛は首を振ってから俺の首に両腕を回した。



「愛してるよ、連」

「うん、俺も」



そして俺たちはいつもよりずっと軽い、そっと触れるようなキスを交わした。

激しく舌を絡め合ったり、唇をこすりつけたりもしない、優しいキスだったけど。



「これからも、ずっとよろしくね。未来の旦那様」



でも唇にはいつも以上に、熱い感触が残った気がした。









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次回で最後です!ここまで読んでくださった読者の皆様、誠にありがとうございます。

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