108話  進路

<灰塚 連>



「………いただきます」

「うん、召し上がれ~」



手を合わせて食事の挨拶をした後、箸を取る。今日の夕飯はすき焼きだった。

もうくつくつしていて、食欲をそそるような肉の香りが一気に広がっていく。つい生唾を呑んでしまうほど素敵な光景だったけど……



「ふむ、美味いな」

「でしょ~?」



………父がすぐ隣で黙々と食事をしているので、なかなか気を緩めることはできなかった。

父との関係は昔より悪化してはいないものの、あまり良好とも言えなかった。病院の跡継ぎになれと高圧的な態度を取るのは相変わらずだし、そのことに対して少なからずストレスを感じているのだ。

そして案の定、俺の考えに釘をさすように父は言ってきた。



「そういえばお前、今年でもう受験生だな」

「………そうだね」

「勉強は上手く進んでるのか?」

「……進んでる。そもそも通知表見ただろ?」

「ちょっと、お父さん」



この重苦しい空気を一番嫌うお母さんは、少し目を細めて父を睨み始める。

でもやはりと言うべきか、父は止まらなかった。



「行きたい大学と学部は、まだ決めていないのか?」

「……………」

「……成績がいいからって黙認してあげるのもここまでだぞ。お前はいち早く進路を決めるべきだ」

「お父さん!」



両親には聞こえないようにして、俺はひっそりとため息を零した。

ただ機械的に手と口を動かして、ひたすら食べ物を咀嚼そしゃくして行く。父がいる時の食事はいつもこんな感じだった。

反抗したい気分さえも起こらなかった。そもそも何かを言って変わるとも思わないから。

………叶愛と食事する時はもっと、味とかよく分かるのにな。



「連、お前の夢はなんだ?」

「………少なくとも、父さんの跡継ぎになるのはごめんだね」

「れ、れん……!」

「ふっ、まだ反抗期か?」

「……反抗なんかじゃないよ。これは本心だから」

「……………はあ」



聞こえよがしのため息。父は心底呆れたように俺を睨んでくる。

俺はしらっとした顔で食事を続けようとしたが、どうもこの空気には耐えられそうになかった。

だからそろそろ立ち上がろうかとした、正にその瞬間。



「進路は早めに決めておいた方がいいぞ」



いつもの命令するような言い方じゃなくて、ちゃんとしたアドバイスのように聞こえる口調に俺は少し大きく目を見開いた。



「………は?」

「お前の成績なら大学とか学部とかも選び放題だろう。でも肝心な、何がしたいのかを知らなければまともにはなれない。連、お前は本当に医者になりたくないのか?」

「………そもそも俺、医者に向いてないと思うけど」

「いや、お前は向いている」



父は相変わらずのきっぱりとした口調で、そう語り続けた。



「なぜ、俺がお前の姉たちを排除してお前に跡を継がせようとしたのか。それは、お前が誰よりも医者に向いていると思ったからだ」

「……………」

「お前の可能性をお前自身が否定するな。たくさんの医者を見てきた俺の感で言い切れるが、俺はお前が誰よりも腕のいい医者になれると、そう信じている」



正直に言って、俺はかなり驚いていた。

父がここまで俺のことを評価していたとは思わなかったのだ。昔も俺に対して信頼の言葉をよくかけてくれたので感動っていうほどじゃないけど、ここまで褒められるのは初めてかもしれない。

でも、これも所詮は俺に跡を継がせようとするための建前なんじゃないかと疑う自分もいる。

だから俺は何も答えずに、小さく頷くことにした。



「でもお前が一時の迷いでこの天運を放り投げるとしたら、それもまた仕方ないこと。お前はもっと考えてみるべきだ」

「…なにを?」

「自分の進路をな」

「…………」

「もう受験生だぞ。医者が嫌だとしたら、他になにかの学部に進まなければならない。でもお前に他の夢はないだろう?」



夢。

何度も聞かされたその言葉が、胸に何かを吹き込んでくるのが分かった。

父の言うことは、認めたくはないけどごもっともだ。確かに俺はもうすぐ目指す大学や学部を選ばなきゃいけなくなる。

でも17年間機械みたいに生きてきた俺に、その選択はあまりにも難題だった。

………叶愛と一緒なら。

そう、叶愛が隣にいてくれれば。それで何もかも大丈夫な気がした。

たとえ父みたいな偉いお医者さんじゃなくても、普通に叶愛と一緒に暮らして行けるのなら、俺はそれで満足するだろう。

でもそんな叶愛でも、俺の進路を代わりに決めることはできない。



「よく考えてみろ。幸い、お前の学力はかなり高いからな」

「……分かった」



進路か……………そういうことを、考えなきゃいけない時期になったか。

………分からないな。本当に叶愛さえいてくれれば問題ないのにな。



「あ、そうだ!連、そういえば結月ゆづきが今度帰省すると言ってたけど、一度会って見たらどう?」

「え?結月姉さんが?」

「そうそう」



結月姉さんは俺の一番上の姉で、俺が小学校に通う時にもう家を出て医者の道を進んでいた。

10を超える歳の差があるせいで、昔はなんとなく気まずさを感じていたけど、姉さんは俺のことをかなり可愛がってくれた。まぁ、それはどの姉も同じだけど……



「そういえば、まだあの大学病院で働いてるんだっけ?」

「いや、仕事が大変だと言って田舎に転勤したんだ。仕事柄、ストレスも溜まりやすいしなによりも仕事量が多いからな。規模はあまり多くないと聞くが、それなりにやっているそうだ」



俺の質問に答えてくれたのは、他でもない父だった。

でもそっか、田舎の病院か………



「いつ来るの?結月姉さん」

「明後日らしいよ?」

「……えっ、平日じゃない?」

「まぁ、あの子は麻酔ますい科だからね。麻酔はちょっと余裕があるから」

「へぇ………そういうものなんだ」



…………知らなかったな。

でも結月姉さんか。まぁ、いい思い出しかないから会ってみるのも普通に楽しそうだけど……

……父の言う通り、やっぱり一度は聞いてみようか。

そう思って、俺は再び箸を進ませた。

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