101話 やだ
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「ううっ……うっ」
「はあぁぁ……」
恥ずかしい……ていうか周りの視線が激しすぎ!!
ちゃんと髪は乾かしたのに!いや、もちろん服はまだ濡れて変に体にべたついているけど………ううううう。
「ううっ……うっ」
「今後はその……海で遊ぶ時はちゃんと着替え持って来ようね」
「はい……すみません……」
返す言葉もありません……
私たちは今、全身濡れ濡れになった状態で荷物を探しに駅前のコインロッカーに向かっていた。着替えは確かに持ってきたけれど、それがお互いのキャリーバッグの中にあることをすっかり忘れてしまっていたのだ。
そんな状況であんなに海ではしゃいでたんだから、はい……しょうがないですよね!!
ううっ……恥ずかしい……カーディガンは濡れてなくて本当によかったぁ……
とにかく恥ずかしい。周りはなんか微笑ましい目で見て来るし!!私、なんであんな無茶を……
「あった!よかった。はぁぁ……」
「ごめん……本当にごめん」
「いや、いいよ別に。すごく楽しかったし……って」
「うん?どうしたの?」
「これ、どこで着替えればいいのかな……」
当たり前の言葉だというのに、私は両手で口元を覆い隠しながら驚愕した。
………そうだった!駅には更衣室なんかないから!!トイレで着替えるのもなんか……ううっ。
「……ちょっと予定変更して。先にホテルにチェックインしに行こっか」
「はい……ううっ」
「あはははっ」
「……何で笑うの?!」
「いや、なんか朝日向さんらしくないから。あはははっ」
「この………」
……でも確かに、私らしくはないのかな。
………ううっ。もう嫌。シャツが肌にくっつくの気持ち悪い。早くホテル行きたい……
「ここからどれくらいかかるの?」
「ここから歩いて20分くらい……だった気がする。道はだいたい調べたから、ついてきて」
「うん」
先に手を差し伸べると、五十嵐君はちょっと照れくさそうにしながらもその手を握り返してくれる。私は、ぎゅっと掴まれた手に力を入れて歩き出した。
体はずっとベタベタしてあまりいい気持ちにはならないけど、でもこれも思い出としてお互いの記憶に残ると思ったら……素直に嬉しかった。
びしょ濡れの状態で駅を
「あ…………」
「うん?どうしたの?」
「……ううん、なんでもない」
もう日が沈みかけている。今は午後の6時。明日この時間になったら、私たちはもう別れてお互いの家に向かっているのだろう。
そして今後、二人きりで共有できる時間は極端に制限されてしまう。
…………そうなる前に。
うん、そうなる前に。五十嵐君にすべてを捧げないと。
この手の暖かさだけでも分かる。これは勘違いじゃない。勘違いであって欲しくない。
私が好きになる人は、この人しかいないって信じたい。
だから私はまだ笑える。後で一人でものすごく泣きわめくはずだけど、今はまだ笑っていられる。
今の私は、まだ一人じゃないから。
ホテルでチェックインして部屋に入るまでの過程は、思ってた以上に大変だった。
先ず高校生同士の宿泊を認めていないホテルがたくさんあったし、たとえ予約ができたとしても親の許可を取らなきゃいけなくなっていて、この過程をお母さんに説明する必要があったのだ。
だから正直、お母さんがこの旅行を許可してくれるかどうか不安だったけど……
『泊りがけなんだよね?』
『うん……』
『……分かった』
お母さんは思ってた以上にすんなりと許可してくれて、少し呆然としていた記憶がある。
お互いシャワーを終えた後、部屋の丸椅子に座っている五十嵐君にこのことを話すと、五十嵐君は少し渋い顔をしたまま唇を湿らせる。
「そうだったんだ」
「うん。ウチのお母さん、ずっと私に申し訳なさそうな顔してたからね」
あえてニッコリ笑って見せると、五十嵐君は苦笑してから肯いてくれた。
五十嵐君は私のお母さんにも会ってたし、たぶん色々と感じるところがあるのかもしれない。
「……感謝するしかないね」
「うん………」
その事実を噛みしめながら、私は再び部屋の中を見回す。
セミダブルベッドのある部屋で、そこまで広くはないけど二人で一晩を過ごすにはなんの問題のないシンプルな部屋だった。
そして今は、シャワーも浴びて夕食も済ませた後。
そんな状態で、五十嵐君と部屋で二人きり。
「…朝日向さん?」
「………五十嵐君」
「………え、えっ?」
……正直に言おう。私は狙っていた。
そう、私は確実に狙っていた。だから五十嵐君には秘密に、あえてシングルルームを探して予約をしたのだ。
五十嵐君と一瞬も離れたくなかったから。そして……
物理的な距離が遠くなる前に、私のすべてを………捧げたかったから。
「うっ……うう」
「……………えっ、と」
………恥ずかしい。
キスは慣れてきたのに……いざここで初体験をすると思ったら、緊張と共に恥ずかしさが込み上がってきて言葉が上手く
でも……離れる前に。ちゃんと私が五十嵐君のものだっていう
「……五十嵐君」
「は、はいっ?!」
上ずった声だったからつい私まで驚いてしまう。顔を上げると、何故か五十嵐君は顔を背けたまま、頬を真っ赤に染めていた。
それが本当に五十嵐君らしくて、また変な笑いが出てしまう。
「……今、変なこと思ってるでしょ」
「お……思ってない!思ってないから。いや、そもそも変なことってなに?!」
「ふうん……そうなんだ」
あえて余裕のあるふりをして、私はベッドから立ち上がる。五十嵐君に、近づいていく。
そして彼の喉に両手を回して、私は立ったまま彼を見下ろした。
五十嵐君は、まるで草食動物のような面持ちで私を見上げていた。
段々と恥ずかしさが湧き上がってくる。緊張か不安か分からないものが
「や、やっぱり変なこと思ってるじゃん」
「…朝日向さん」
「………………っ」
な……なんて言えばいいの?分かんない。頭が真っ白になって、体温だけが上がって……どうしたらいいのか、全然分かんない……
………私は五十嵐君のことが本当に大好きだから。
だからせめて離れ離れになる前に、ちゃんと処女を捧げたくて……
ありとあらゆる考えが混ざり合って、もう何が何だか分からなくて。五十嵐君の大きく見開かれた目が見えてきて。理性がぼんやりして……
ついに、私が何かを言い出した時。
「私、五十嵐君と――っ?!」
いきなり手首をぎゅっと掴まれて、私はまるで電流が走ったみたいに体をビクッと震わせてしまった。
視線を戻すと、さっきとは違って微笑ましい顔をしている五十嵐君の姿が見えてくる。
「……ムリしてるんじゃない?朝日向さん」
「なっ……」
「…いいよ、別に。僕は気にしないから」
「な、なにを……」
「だってさっきから朝日向さん、ずっとぶるぶる震えてるじゃん」
………えっ。
「……僕、色々頼りなくてみっともない部分も多いけど。それでも朝日向さんに、ムリだけはさせたくないんだ」
「えっ?どういう……」
「今じゃなくてもいいよ」
その言葉を放って。
五十嵐君は立ち上がってから、正に男らしく私の手首を引っ張って抱きしめてくれた。
体の端からゆっくり溶けるかのように、張り詰めていた緊張がほぐれていく。
………五十嵐君の匂いがする。
いつも私を幸せにしてくれる、この匂いが。
「……こういう場合、どうしたらいいのか分からないけど。いや、他の人だったらたぶん上手くリードできたかもしれないけどね………でも、僕は朝日向さんの意志を尊重したいから」
「…………五十嵐君」
「朝日向さん、前に言ってたよね?初体験は、一番幸せな時にしたいって」
「……………うん」
「……だから、今はムリしなくてもいいよ。もちろん朝日向さんが今日、その……本当にアレをしたいと思うのなら話は別だけど。でも朝日向さんの反応を見る限り、それとはちょっと違う感じがするし」
「………」
「ほら、ずっと大切にするって誓ったじゃん?だから朝日向さんのペースでいいよ。こうして追い詰められている状況でするのは、そこまで幸せじゃないかなって思うしね」
…………あああ。
この男は……五十嵐君は、本当に。
「………いくじなし」
「えっ?!」
「いくじなし。根性なし。草食動物。ヘタレ。音楽オタク。バーカ」
「あっ……ちょっ?!まさか……!」
「……ううん。五十嵐君が言ってくれたの全部当たってるから、気にしなくてもいいよ」
どうして、こんなにも私を大切にしてくれるのかな……もう。
目を閉じて胸元に顔を埋める。大きく息を吸うと、また五十嵐君の香りが私を包んできた。
それでまた、涙が出るほど幸せになる。
「……でもこんな機会をスルーするなんて、それでも五十嵐君は男なの?」
「だ……だって仕方ないじゃん。僕の欲望より、朝日向さんの方がよっぽど大事だし……」
「……私じゃなかったら、アウトだったかもしれないよ?」
「えええ?!」
「……だから五十嵐君は、今後も私としか付き合えないね」
確かに、私は怖かった。
一応、私だって好奇心はあったから
それに五十嵐君が言う通り、こんな追い詰められた状態でするよりは………もっとも幸せな時に、したいから。
これからずっとずっと体を重ねて行くのだとしたら話は別だけど、私たちは違う。
私たちが歩んでいく時間には空白がある。必ずどこかで途切れがある。
それに……
「当たり前だよ、そんなの……」
「………」
「……朝日向さんしか、見てないからね」
こんなに大切にされているって実感したら。
もう嬉しくて嬉しくて、性欲どころか涙を耐えるのに精一杯になってしまう。
「私もっ、五十嵐君しか見てないよ。これから先ずっと………ずっとそうだよ」
「……よかった」
「当たり前じゃない………」
暖かい分だけ苦しくなる。別れたくないって願ってしまう。
旅行の間に何度も思っていた。このまま二人で駆け落ちしようって言ったら五十嵐君は付いてきてくれるのだろうか。何度も、そんな空想ばかりを繰り返していた。
一層このまま……このまま五十嵐君に塗りつぶされて、消えてしまえばいいのに……
「……朝日向さん?」
「ううっ……くっ……ううう……」
「……大丈夫だよ」
「なんで……うう……うあああん……」
「ほら、泣かないで?」
「やだぁ……別れたくない……やだよ……ああああん……」
「…………」
蓋をしていた感情が涙になって、ぼたぼたと零れ落ちる。やっぱり、私は未だに納得していなかった。
この人と離れ離れになることを、私はずっと拒んでいる。
仕方のない現実だと知っていてもなお、私は
「……………朝日向さん」
ひたすら泣き続ける私を見て、五十嵐君は悲痛な顔をして俯いていた。
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