100話 旅行
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「あれ……えっ」
えっ、もしかして遅れた?いや、でもまだ40分前だよね。なのに……
「あっ、五十嵐君見っけ!おはよう」
「おはよう……えっと、いつから待ってたの?」
「大丈夫大丈夫、私も今きたところだから」
「えええ……」
今日は週末の土曜日。そして僕たちにとっては、
だから朝日向さんが一緒に旅行に行こうって誘ってくれて、こうして朝に駅前で待ち合わせをしているのだけど……でも待ち合わせ時間、確か午前の10時だったよね?
今は午前9時20分。僕だってずいぶん早く家を出たつもりだけど、どうやら朝日向さんには勝てなかったらしい。
……それくらい、僕と一緒にいる時間を大切にしてくれているのだと思うと、嬉しさと共に寂しい気持ちがこみ上げてくる。
………後3日で、こういう日常が消えてしまうだなんて。未だに実感が湧かなかった。
「もう~そんなしんみりした顔して」
「え?」
「ほら、私を見て。どう?可愛い?」
「それ………は」
………可愛いに決まってるじゃんか。
半袖の白いシャツの上に羽織ったベージュ色のカーディガン。動きやすそうだけど確かな魅力を感じさせる色の濃いジンズ。そして持ってきた白いキャリーバッグ。
カジュアルで季節感もあって、朝日向さん特有の溌剌な雰囲気もよく
本当、朝日向さんには毎回ドキドキさせられるんだよな……
「か、可愛いです……」
「あ、ちゃんとこっち見てよ~もう。なんでまた恥ずかしがるのかな」
「仕方ないじゃない。本当に可愛いんだから……」
「……………もう」
目をそらそうとしても、朝日向さんが両手で頬を包んでいるせいでまた視線が絡んでしまう。
視界に映った朝日向さんの顔は、ちょっとだけ赤く染められていた。
「五十嵐君、今の狙ってたんじゃないわよね?」
「うん?なにを……?」
「ああ~ううん、なんでもない。そうだね、それこそ五十嵐君だよね~ふふっ」
「えっ?」
「ほら、行くわよ。今日はいっぱい思い出作らなきゃ。それと………」
そして、朝日向さんはそのまま僕に顔を近づけて。
耳元で、小さな声で囁いてきた。
「五十嵐君も、ちゃんと格好いいよ」
「………………………………うっ!」
……本当。
勝てる気がしないな……本当に。
「………ずるいよ、朝日向さん」
「ふふふっ」
それから電車で約2時間ほど揺られて、僕たちはついに目的地の駅にたどり着いた。そしてさっそく、
今回の旅行の計画を立てるにあたってもっとも悩まされた部分は、お店探しだった。
離れてからも一ヶ月に一度は会えると言うものの、今回のデートがもっとも大切な時間であることには変わりがない。だから、店探しは自分がやるって朝日向さんに言ったのだ。
それから約3日間、昼夜を問わず色んな店をネットで検索して朝日向さんと相談した結果、昼はチェーン店のラーメン屋で、夕飯は焼肉店に行くことになったのだけど。
でも………いざこうなってみると。
「うん?どうしたの、五十嵐君?」
「あ……うん、いや」
………めちゃめちゃ普通じゃない?!これ?!
朝日向さんとの最後の旅行なのに?!いや、もちろん引っ越してからも会うことはできるけども!
でも選んだ店がこんなに人でごちゃごちゃしているなんて……特別どころか、不愉快に思われなきゃいいくらいだ。
別に店の中が清潔じゃないわけではないけど。でもこんな………うううっ。
「ふふふん~」
「………えっ、と」
「あ、ごめん。そのままでいて?そうそう、そのまま。ちゃんと上目遣いして」
………え?
「はい。撮った~
「えええ?!」
「ふふっ、これ大事にしないと。見ただけでも癒されるそう」
「ちょっ……朝日向さん?!」
「五十嵐君が今何を考えてるのか、当ててみようか?」
朝日向さんはそう言いながら目を細めて頬杖をつく。自分の恥ずかしい姿を撮られてしまった僕は、顔を真っ赤にしてもごもごするしかできなかった。
「せっかくの大切なデートなのに、こんな人でいっぱいなラーメン屋でいいのかな、とか思ってるでしょ?」
「うぐっ……」
「本当に分かりやすいんだから~ふふふっ」
「……本当にいいの?この店で」
「うん。だって五十嵐君が何日も悩んで、私と一緒に決めたお店なんでしょ?」
そして朝日向さんは両手で頬杖をつきながら、ぐっと体を乗り出してきた。
真っすぐ見つめられただけでも鼓動が早くなっていく。朝日向さんはそんな僕の反応を見て面白がるように、ニコッと笑みを浮かべながら言った。
「だから全然かまわないよ。私は別に何を食べても平気だったから。五十嵐君が、私のためにいっぱい探してくれたってところが大事なんだからね~それに、私も一度はこのお店来てみたかったし」
「ならいいけど…………ありがとう、朝日向さん」
「ううん、どういたしまして」
「あ、そうだ。そういえば朝日向さん、今日の宿泊先ちゃんと予約したんだよね?」
「うん、二日前に予約しておいた。それがどうしたの?」
「いや、どんなところなのか気になって……」
宿泊先の予約に関しては、朝日向さんに丸ごと一任していた。僕が無関心だったわけじゃないけど、朝日向さんがどうしても自分一人で探したいって積極的に申し出たのだ。
でも朝日向さんがホテルを探した後もずっと秘密だと言って話をぼかしていたせいで、僕は未だどこで寝泊まりするのかも分からない状態だった。一体どんな部屋にしたのだろう……
………とりあえず2人部屋、だよね?一応部屋は一緒であるはずだし……いや、それも違うかな?でも朝日向さんが部屋を別々にするとは思えないし……
「ちなみに言うとね」
「うん?」
「防音性が高いところに予約したの」
「…………………………」
時間が止まる。
いや、僕の時間だけが止まった。横ではバイトさんがラーメンのどんぶりをテーブルの上に置いている。朝日向さんは感謝の言葉を口にしながら両手を合わせていた。
……………今、なんて言われたの?え?防音性が高い?
防音………ぼう、おん………!!!!
「あ、そ、それっ………!!」
「あ、このスープめっちゃ美味しい!!地元の味と全然違う!」
「ぼ、防音性って。それって………」
「ええ~五十嵐君は何を考えているのかな~いいホテルっていう意味だったのにな~」
「そんなはずあるか!!」
「うん?ごめんね、五十嵐君がなに言ってるのか全く分かんない」
絶対に分かってる…!!じゃないとこんな面白がるような表情するわけないし!!さっきからずっとニヤニヤしてるし!
防音性が高いところって……今夜は朝日向さんと一緒の部屋で寝るとしたら………えっ。
いや、深く考えなくてもまさか……!
「ふふん~」
「うぐっ………」
いつものように、いやいつも以上に茶目っ気たっぷりな顔をを見せてくる朝日向さんに。
僕はひたすら悶々としながら、その後食べたラーメンの味もまともに堪能できず、機械的に
もう9月の下旬だからか、海水浴を楽しんでいる人はほとんど見えない。いや、そもそも人自体があまりいなかった。
遠くまで澄み渡っている海の向こう。ほぼ貸し切り状態になっている砂浜を裸足で感じながら、僕は朝日向さんの後ろ姿に目をやる。時間はあっという間に過ぎて行った。
電車に乗ってラーメンを食べて、ちょうど見かけたアクセサリー専門店で二人のペアリングを買って。
それで海に到着してみたら、もう午後の3時が過ぎていた。
「まだ砂は暖かいね。風はちょっと冷たいけど」
「寒くないの?」
「うん、全然大丈夫。ああ~~気持ちいい~~」
心底幸せそうな顔をしている朝日向さんを見ると、自然と心が熱くなってくる。
……やっぱり、この笑顔からは逃げられないな。
「ほら、海に足つけてみて。冷たくて気持ちいい」
「うわっ……冷たい」
「もう、そこがいいんじゃない~ふふっ」
朝日向さんの髪の毛が
……苦しくないのかな。
大丈夫なのかな。今日、朝日向さんは僕にたった一度も落ち込んでいる姿を見せなかった。あえて明るく、そして
それが朝日向さんの意志で自分なりの強がりだってことを、僕は分かっている。
転校することが決まって、僕にその事実を伝えた時に朝日向さんがどれだけ泣き
「……五十嵐君?」
「……………」
…………くそ。
くそ、くそ。くそ…………
こんなに好きなのに。こんなにも近くにいるのに、なんで……
学生だから?まだ幼いから?責任が取れる年齢ではないから?そんなのどうだっていいのに。
朝日向さんのお母様はおっしゃっていた。学生時代の恋愛なんて一時的な気の迷いでしかない。現実を考えなくて、気持ちだけで進めて行くものだ。
どうやったら、あの言葉が間違っているのだと証明できる?
どうやったら?僕の思いは……僕はそんな無責任な人じゃないってことを、どうやったらあの人に伝えられる?
僕は……
「えいっ」
「……えっ」
「そんな顔しちゃだ~め。そんな顔NG」
「………うん、ごめん」
いきなり抱き着いてくる朝日向さんにそう囁きながら、僕は彼女の首筋に顔を埋めた。両手を回して、その小さな体を抱きすくめる。
普段の僕なら、公共の場でこんな大胆な行動はしないけど……今はどうでもいいような気がした。
別に、全く会えないわけでもないのに。スマホでいつでも連絡は取れるし、二人の思い入れがある記念品もたくさんあるし。
一ヶ月に一回は会えるし、朝日向さんの気持ちが本物だっていうことも、ちゃんと分かっているから。
だから別に、悲しむことはないのに。なのに………
「………ダメ」
「…朝日向さん」
「ダメ。今は何も言わないで」
「……ごめんね」
「……………」
「大好きだよ」
「……………」
こんなにも、こんなにも苦しくて、胸が張り裂けそうになるなんて。
「………ずっと朝日向さん一筋でいるからね。ずっと待ってるから」
「…………」
「ごめん。なんか耐え切れなくて……でもすべて本心……うわっ?!」
「あ~~~もう!」
その声を耳にした次の瞬間。
一気に体が傾いて、僕はそのまま後ろへ押し倒されてしまった。頭のてっぺんまでとっぷりと海水に浸かって、体を起こしたらもう全身がびちょびちょになっている。
数秒経ってからようやく状況を察することができた。僕はまだ、朝日向さんに抱きしめられていて……
朝日向さんもまた、髪までびっしょり濡れているということを。
「このバカタレ!!!あ、もう~~すっごく頑張ったのに!別れるまでずっと笑うつもりだったのに!泣き顔変だから絶対に見せたくなかったのにぃ!!!!」
「あ、朝日向さん……」
「なんでそんなこと言うのかな……なんでそんなに空気が読めないのかな!!」
「………ぷはっ」
「ちょっと!何が
そっか。朝日向さんが押し倒したんだ。あはっ、あははは……
変だな。体に服が張り付いて動きづらいし、口にはなんかしょっぱい味するし、全然笑える状態じゃないのに。
こんなに笑えるなんて。こんなに幸せになるなんて。これはきっと……
目の前に、この人がいるから……
「ううん、可愛いから」
「なっ………はっ?!」
「綺麗だから安心して。泣いている朝日向さんも、怒っている朝日向さんも、どれも全部綺麗で可愛いよ。僕、朝日向さんに惚れてるもん」
「うぐっ………このぉ………!」
「うわあっ?!」
今度は朝日向さんに力いっぱい押しのけられて、僕はそのまま倒れてまた海にダイブをしてしまった。
普通に苦しい……!いや、なんか鼻に流れ込んでるし!
「けほっ、けほっ!けほっ………!何すんだよ、朝日向さん!!」
「だって五十嵐君が変なこと言うから!!」
「別に変なことでもないじゃん!僕はただ……!」
「うるさい!!」
ようやく息を整えて、また何かを言おうとしたその矢先。急に
いきなり唇に柔らかい感触が伝わってきて、僕はそのまま体を
ちょっとしょっぱい。でもものすごく暖かい。これは……うっ。
……こんな場面でいきなりキスなんて、ありえるのかな……普通。
「……ぷはっ、はあ………」
「……………」
「……ぷふっ、ふふふっ」
「……なに?」
「あはっ!あははははっ!五十嵐君、顔真っ赤。あはははっ!」
「仕方ないじゃん!こんなにぎゅっとされている状態でキスされたら!」
「もう何度もしてたじゃん~!うんうん、初々しくていいですね~そうだね。私とのキスもう大好物になったもんね~」
「…………」
何かをまた言い返そうとしたけど、口がまともに動かなかった。
いや、惜しかった。僕が何かを言ったら朝日向さんは必ず何かを応えてくるはずで。そしたら、この笑っている表情も変わってしまうのだから。
涙なのか、海水なのかもよく分からない水を
いつまでもその姿を眺めていたくて、目に焼きつきたくて、僕は何も言わずに彼女を見上げる。
「本当に、しょうがない彼氏だね~~五十嵐君は」
お別れするのは、苦しいけど。
でもこんな素敵な子がずっと彼女でい続けるんだから。それでいいんじゃないかと、不思議に納得してしまう自分がいる。
僕はもう一度目をつぶってから、朝日向さんにキスをした。
唇を重ねた後も、彼女は僕の背中に両手を回してから伝えてくる。
「さっきのお返し」
「……うん?」
「私も、大好きだよ。五十嵐君」
「………うん」
この女の子を、絶対に幸せにして見せると。
改めて、僕はそう決心するのだった。
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