99話  離れ離れになる前に

朝日向あさひな ゆい



「こんにちは~歩夢あゆちゃん」

「こんにちは、結さん」



元気よく家のドアをくぐると、歩夢ちゃんはさっそく玄関で私たちを迎えてくれた。

そう、いつも通りの日常だった。五十嵐いがらし君と一緒に買い物をして、歩夢ちゃんを含めた3人でご飯を食べて、時々香澄かすみさんに出くわしていじられたりする普通な日常。

私はしばらく何も言わず玄関で突っ立ってから、歩夢ちゃんをぎゅっと抱きしめてみた。



「えっ……結さん?!」

「もう~歩夢ちゃんは今日も可愛いですな~」

「むぅ……は、離してください」

「だ~め。離してあげない、ふふふっ」

「………もう」



口ではそう言ってるけど体は全く反抗しないのが可愛いすぎる。本当、兄弟そろって照れ屋さんなんだから。



「ほら、朝日向さん?ちゃんと食事の準備しなきゃ」

「……ぶうう。五十嵐君、今嫉妬したでしょ」

「そんなこと……いや、ないから!!ニヤニヤしないで!」

「後でちゃんと五十嵐君も可愛がってあげますからね~ふふ」



茶目っ気たっぷりに言った後、私はキッチンに入って買ってきた食材を全部食卓の上に並び始めた。今日は少し精を入れて、チキングラタンを作る予定だった。

……離れ離れになる前に、二人にはちゃんと美味しい物を作ってあげなきゃ。



「本当に一人で作れるの?僕も手伝うよ」

「大丈夫だって、昨日ずっとレシピ見てたし。五十嵐君は歩夢ちゃんと一緒にテレビでも見てて」

「……じゃ、頼むね」

「うん」



引っ越しの日まで残り一週間。

その間、私と五十嵐君はなるべくいつも通りに過ごそうと決めていた。残りわずかかの二人だけの時間を大切にして、別れることをあえて話題に出さず、私たちらしく送ることにしたのだ。

歩夢ちゃんを含めた回りの人達には、まだ引っ越しや転校のことは伝えていなかった。

伝えたら、きっとしんみりした気持ちになってしまうから。そうなったらきっと、泣いてしまうから。



「……結さん」

「えっ、歩夢ちゃん……あはっ、もしかして手伝いたいの?」

「はい。その……玉ねぎ、一緒に切りたいです」

「いいよ。歩夢ちゃんなら大歓迎」

「ええっ?!僕は?!」

「五十嵐君はだ~め!女の子同氏のコミュニケーションなんだから」

「なんだよそれ……」



リビングでぐったりとした声を聞きながら、私はクスクス笑みをこぼす。

そしていつものように食卓の椅子に歩夢ちゃんを座らせて、後ろから抱き着くようにして一緒に包丁を握った。歩夢ちゃんの手は驚くほど小さくて、暖かい。

……幸せだな。

本当に、幸せ……



「もう玉ねぎ切っても泣いたりしない?」

「あ、当たり前じゃないですか!この間も泣かなかったですし」

「へぇ~本当かな。まぁ、いいよ。はいっ」



優しく力を入れて、歩夢ちゃんの手を包んでから玉ねぎを切っていく。

私はこの時間が好きだった。五十嵐家に家族として受け入れられているような気がするから。家族としての温もりをちゃんと感じ取れる僅かな時間。

……そのせいで、余計に悲しくなるんだけどね。

……いや、しっかりしないと。歩夢ちゃんの前で泣くわけにもいかないじゃない。



「おお~~歩夢ちゃんも料理上手になったね。私に教わったからかな~」

「…こういう時の結さんは、ちょっと嫌いです」

「えっ?!ウソ。ウソだよね?!歩夢ちゃん?!」

「はい、ウソです。ふふっ」

「………もう~~」



この……まぁ、でも冗談を言うほど親しくなったわけだし、別にいいっか。

ふん、仕返しだぞ。この生意気め。



「こんなに上手くなったのなら、もう私がいなくても大丈夫かな~」

「………えっ」



その瞬間、歩夢ちゃんは急に血相を変えてから私に振り向いてきた。

あまりにも激しい感情の変化に、私はつい目をきょろきょろさせてしまう。目を丸くしている私に向けて、歩夢ちゃんは少し声を震わせながら言った。



「結さん……いなくなるんですか?」

「えっ?あ、いや。じょ、冗談だよ!うん、別に本気じゃないから。いなくなったりしないからね?」

「………」



慌てたあまり両手を振って否定すると、歩夢ちゃんは急に俯いてから椅子から降りてくる。そして……

その小さな体が出せる精一杯の力で、私をぎゅっと抱きしめてきた。

柔らかい体と温度が直に感じられて、息が詰まってくる。



「……いなくなったらいや、です」

「い、いなくなったりしないから。歩夢ちゃん……?」

「…………本当ですか?」

「…………………」



なんで?軽く流した言葉のはずなのに、どうしてこんなに真に受けているの?もしかして引っ越しの事を五十嵐君に聞いた?それとも……

……私の感情が、そんなに表に出てたから?



「……いなくならないでください」

「…………歩夢ちゃん」

「……………」



…………うっ。

ダメ、ダメ………こんなの。

片手で口元を覆って、私は歩夢ちゃんには見えないように天井を仰ぐ。涙はもう目元まで膨らんできてすぐにでもこぼれ落ちそうだった。

バレちゃいけない。バレちゃいけない……笑顔でい続けるってもう決めたんだもん。

永遠に会えないわけでもないじゃない。だから大丈夫……歩夢ちゃんの顔だってちゃんと見られるもん。でも………

ああ…………お願い。お願い……止まって。止まって………



「……………朝日向さん」



………なんで。

なんでお別れなしなきゃいけないの。なんでぇ…………







「美味しかったよ。今日のグラタン」

「それならよかった、ふふっ」



食事の後、私と五十嵐君はいつものように部屋にお邪魔して、デスクの前で軽く雑談を交わしていた。

でも間もなくして、五十嵐君は少し沈んだ口調で言ってきた。



「……大変だったよね、朝日向さん」

「うん?なにが?」

「ほら、歩夢に抱きしめられた時」

「あああ……あの時ね」



……本当、涙をこらえるのに精一杯だったから。

幸い歩夢ちゃんに泣いてることをバレてはいなかったけど、五十嵐君の言う通り本当に大変だった。

あんなに必死に泣くのを我慢しようとしたのは、人生で初めてかもしれない。



「まぁ、仕方ないもんね。歩夢も朝日向さんのこと、ずいぶんとしたっているから」

「……慕われてるのかな、私」

「当たり前じゃん。あの人見知りの歩夢があそこまでデレデレしてるんだから」

「…よかった」



歩夢ちゃんの笑顔を思い出しながら、私は口ずさむ。



「ちゃんと、家族になったのかな……歩夢ちゃんと」

「…………」



五十嵐君は少し間をおいてから、膝の上に乗せている私の右手を自分の両手で包みながら、伝えてくる。



「……家族だよ、ちゃんと」

「……うん」



その言葉だけで、嫌な感情がすべて消え去っていく。日差しを浴びた雪のように、溶けて行った。

私は心底嬉しそうな顔を浮かべながら、ずっと考えてきたことを口にした。



「そうだ、五十嵐君。一つ提案があります」

「うん?なに?」

「ほら、今週がその……私たちの最後の週末じゃない?」

「………そう、だね」

「うん。だから、とびっきりの思い出にしたいと思って」



本当にもう、胸が引きけられるような感じがするけど。

心の中で、重い何かが膨れ上がってもう破裂はれつしそうになるけど、私は大きく息を吸って、その言葉を伝えた。



「一泊旅行で、私と一緒に海に行かない?」

「………海?」

「うん、ほら。ここから電車で二時間ほど離れたところに海水浴場があるじゃない?そこに行ってみようよ」

「一泊二日で?」

「うん。私たちの最初の旅行なの」



五十嵐君は少し視線をずらして何かを考え始める。でも間もなくして、その素敵な笑顔を私に向けてくれた。

私は本当にこの人が好きなんだって、再び自覚させられる。



「うん、行こう。二人だけの海」

「うん。楽しみだね!うふふっ」

「そうだね……先ずはお母さんにちゃんと言わないと。あ、そうだ。お母さんに会っていく?今日は定時上がりだって言ってたけど」

「ええ~じゃご挨拶しようかな」



………本当、変な話。

ほぼ4ヶ月前まではただの仲良しだった友達が、こんなにも私にとって大きい存在になるなんて。

もう五十嵐家に染め上げられた感じがして、それが嬉しくて。また……悲しくて。

でも、こんな矛盾する感情もすべて抱いて、大切にしようって。

何度も自分にそう言い聞かせながら、私はしばらく五十嵐君の温もりを感じるのだった。

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