92話 イチゴショート
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「五十嵐、ちょっといい?」
「え?」
想像もつかなかった人に話しかけられて、僕はそのまま固まってしまった。
顔を上げると、そこにはクールな雰囲気を漂っている、ショートカットの背の高い女の子が立っている。平然な目つきで見下ろされて、緊張で息がつまりそうになる。
「え……えっと、どうしたの?谷山さん」
「ちょっとお話ししたいことがあるから。この後時間大丈夫?」
「えっ?」
周りを見ると、みんなホームルームが終わってそのままクラスから出て行こうとしている。
だからこっちにはあまり視線が集まっていないものの、肝心な朝日向さんだけは僕たちを
それを気付きながらも、谷山さんは表情を崩さない。
「大丈夫だよ、
「きょ……許可?いや、許可なんて!僕たち、そんな関係じゃ………」
「あははっ、五十嵐も結と同じ反応するんだ。ウケる~~」
「まぁ、長話するつもりはないから。私だってこの後予定あるし。で、どうすんの?」
「………この後バイトだから、手短にしてくれたら、まぁ………」
「そんな長く話さないって。よかった、じゃ付いてきなよ。静かな場所知ってるからさ」
「あ…………」
反射的に朝日向さんに目を向けたけど、朝日向さんは軽く手を振ってから背中を見せてくるだけだった。二人の意図が全然読めなくて少しハラハラする。
とにかく谷山さんに付いて廊下を歩いて、僕たちは校舎の裏側にたどり着いた。人気がなくて、内緒話をするのには適している場所だ。
……ちょうど一週間前、ここで告白されてたことを思い出す。
その短時間に二度もこの場所に訪れることになるなんて、不思議だなと思った。
「とりあえず、時間空けてくれてありがとうな」
「あ……うん」
谷山さんには彼氏さんがいると僕は聞いている。だったら、消去法で残るのは朝日向さんのことだけ。
でもいきなりどうしたのかな……朝日向さんの機嫌を損ねた覚えなんてないけど。
だいぶ緊張して、僕は
「じゃさっそく本題に入るけど。あのさ……最近、結になんかしたの?」
「えっ?」
「いや、別に問い詰めているんじゃなくてさ。ただこの一週間、結があまりにもしんみりしてるから、どうしたのかなって」
「あ……」
それは、確かに僕も同じく感じていたことだった。
この一週間、朝日向さんは確かに何かを悩んだり、少しだけ不安がっているように見える
でも、気付くんだ……やっぱり朝日向さんのことをよく知っているからこそ、谷山さんも違和感を覚えたのだろう。
羨ましいなと思いながらも、僕は首を横に振った。
「ううん、特になにも。僕にもよく分からないかな」
「そっか……五十嵐もか」
谷山さんはため息をついてから少しもどかしそうな表情になる。その顔を見て、僕はこの前の出来事を言うべきかどうか迷い始めた。
ここで告白されたことを言ったら。
時間的に、朝日向さんの元気がなくなった時点は僕が告白された時点と一致している。
でも僕は上手く誤魔化したと思ってるし、あれから朝日向さんも特にこれといった素振りを見せることはなかった。もっとも、気付かれたとしても僕はちゃんと告白を断ったのだから、後ろめたい気持ちもいない。
少し俯いて、どうしようと悩んでいた次の瞬間。
谷山さんはもう一度ため息を吐いてから、真剣な口調で言ってきた。
「あのさ、五十嵐」
「うん?」
「結はさ、寂しがり屋で臆病で面倒だけど、ちゃんといい子なんだよ」
「…………」
恥ずかしさのせいなのか、谷山さんの顔は少々赤みがさしている。
「だから五十嵐から先に寄り添って、もっと積極的に構ってあげなよ。結はちょっと考えが多すぎるから」
「えっ………」
「頼むわ」
とっさの言葉に呆けて、僕は口をあんぐり開けて谷山さんを見つめる。まさかこんなことを言われるなんて………
そして時間が経つにつれて、谷山さんはとうとう耐えられなくなったのか顔を背けて髪をいじり始める。
それを見て、固まっていた心臓が少しずつほぐれて行く気がした。
「えっと……どうして、それを僕に言うの?」
「はあ?!あんたそれ正気で言ってんの?!」
「ち、違う違う違う!そうじゃなくて!その………谷山さんに信頼されるようなこと、僕は何もしてなかった気がするし……そもそも話したのも今日が初めてだし」
「ああ……そういうことか」
いきなり
「まぁ………アレだよ。五十嵐、悪いヤツには見えないし」
「……ありがとうございます」
「それにまぁ、今の反応を見ただけでも純粋って言うか……とにかくそんな感じなんだよね、五十嵐って」
「は……あはは……うん、よく知ってます……」
「……仕方ないヤツだな」
仕方ないと言わんばかりの顔で、谷山さんは苦笑をする。
ていうか、やっぱり僕って植物扱いされるんだ……
「てなわけで、結をよろしく。あの子、なかなか本心を打ち解けないからさ」
「……………」
「うん?どうしたん?」
「…………ううん」
言葉を受けるにつれて、段々と胸が踊り出す。
朝日向さんの親友である谷山さんに認められた感じがして、朝日向さんにもっと近づいたような気がして。
上手くやらなきゃと改めて実感して、僕は気を引き締めてから声に力を入れた。
「分かったよ。ありがとう、谷山さん」
「…………」
「ちゃんと頑張るね」
今度は谷山さんが目を丸くして、驚いたと言わんばかりの顔で僕をジッと見てくる。
何か言い間違ったのかなとおろおろする前に、谷山さんはくすりと笑って口角を上げた。
「へぇ。五十嵐って、そんなことを真顔で言えるキャラだったんだ」
「……え?」
「ううん、なんでもないよ」
谷山さんが何を感じたのかは分からないけど。
でも少なくとも気分が悪いようには見えなかったから、今はそっとしておくことにした。
「響也~もう上がっていいぞ」
「はい、お疲れさまでした!店長」
スタッフルームに入って、僕は速やかに持ってきたカバンとスマホを取って再び店内に出る。カウンターに座っている店長はニッコリと笑みを
「そういえば、響也は今週末オフだったよな?」
「そうですね。まぁ、特に予定もないんですけど」
「彼女作れよ、彼女。ていうか、さっさとその眼鏡外したらどうだ?俺的には前の方が良かったけど」
「それは……まぁ、色々あって」
「へぇ、そうか」
……まだ朝日向さんの許可が下りてないんですからね。
そんなことを言えるはずもなく、僕は少々恥ずかしさをこらえながら答えた。そうしたら店長は特に気にした様子もなく、すんなりと聞き流してくれた。
「じゃ、また月曜にな。お疲れさん」
「はい、お疲れさまでした!」
軽く挨拶を済ませて、僕はそそくさに店を出て家に向かう。
金曜日の夜だからか、街はいつも以上に賑わって活気に満ち溢れていた。制服を着ている生徒たちを含め、様々な人がほのぼのとした顔で歩いている。
もう9月の半ばに差し掛かった頃だからか、昼間より風が少し肌寒かった。空を見上げながら、僕はぼんやりと考える。
「踏み出してみても…いいのかな」
答えは出ない。僕は最初から朝日向さんの心の準備ができるまで待つって決め込んでいたのだ。
変に距離を
でも最近の朝日向さんは、確かに何かを深く悩んでいるように見える。そして谷山さんが言った通り、朝日向さんは本人の悩み事を決して軽々しく口にしない。
朝日向さんは、何もかも一人で抱え込むタイプだから。
「……………」
その悩みの原因が僕であるとしたら、申し訳ない気持ちしか浮かばない。でも、僕は知りたかった。
好きな人が何を悩んでるのか、知りたいのが普通ではないか。
僕が力になってあげられるかもしれないし、もし僕に言い出せないことだとしたら……その時はそっとしておければいいのだ。
「……………よし」
うん、週末とか月曜日に言ってみよう。
朝日向さんが負担を感じないよう、なるべく丁寧な形で……
「………あれ」
とまで思ってた瞬間に、いきなりポケットからスマホが鳴り始めた。
こんなに遅い時間に誰かなと思って画面を見下ろすと、そこには朝日向さんという5文字が映っている。
反射的に、僕は驚いてスマホを取り落としそうになった。辛うじてそれを握りしめて、深呼吸をしてから耳に当てた。
「……もしもし」
『うん、もしもし』
電話の向こうで、天使のものなんじゃないかと思えるくらいの優しい声が響いてくる。
「えっと……どうしたの?朝日向さん」
『ううん。ただ電話してみただけ。バイトはもう終わった?』
「うん、ちょうどさっき上がったよ。今帰ってるところ」
『そっか。今日もお疲れさま、五十嵐君』
「うん……ありがとう」
でも声を聞くたびに、段々と心の中で違和感がむくむくと膨れ上がってきた。
この声はいつもと違う。いつもの元気な朝日向さんの声じゃなかった。
沈んでいて、どこか寂しそうに聞こえる………たまに僕に見せてくれる、朝日向さんが弱っている時の声。
直感的にそれを察して、僕は深い息を吐いてから話を切り出した。
「そうだ。僕、今日谷山さんと色々話したんだよね」
『うん、知ってる。だって美咲ちゃん、とっさに昼休みに五十嵐君のこと借りてもいいかって言ってきたんだもん』
「借りるって………あはっ」
『もう、大変だったからね?真顔でそんなこと言うから、私すごく驚いてさ。それでその……美咲ちゃんと何を話したか、聞いてもいい?』
「特にはなにも。朝日向さんのことを話してたけど、朝日向さんが心配するような事は何もなかったよ」
『ふうん……そうなんだ』
谷山さんは僕を信頼しているように見えたから。それに朝日向さんにもっと構ってあげなと言われたことを、張本人に言える訳がないし。
……でもそっか、構うか……
「そうだ、朝日向さん。今食べたいものとかある?」
『うん?』
突飛な質問に対し、朝日向さんは変な声を上げて聞き返してきた。
電話の向こうで朝日向さんが驚いている顔が目に映って、それが幸せで、また笑顔が
「今まだ商店街にいるからさ。なにか食べたいものでもあったら、週末にでも届けに行こうかなって」
『えっ、悪いよ。そんな………』
「……やっぱりその、いきなりだったかな。あはは………」
『……………』
ちょ、調子に乗り過ぎたのかな……?返事が全くないんですけど!?うううっ……
片手で頭を抱えたまま歯を食いしばっているところで、ちょうど朝日向さんの声が聞こえてくる。
『別に……』
「うん?」
『明日じゃなくても、いいのに』
「………えっ?」
『……今すぐにでも、構わないのに………』
「………………」
………………えっ。
いや、これ………えっ?!今朝日向さん、なんて……?!今すぐにでも構わないって、それってどういう意味……ああ、まさか。
そっか。こんなに縮こまっている声……
『ケーキ』
「うん?」
『イチゴショート。ほら、あの時の。五十嵐君が初めて家に誘ってくれた時に食べた、あのお店のケーキ」
「あ………」
突然言われたことなのに、記憶はすぐに
そっか、寂しそうにしている朝日向さんを誘った時に。
そういえば、あのケーキ屋さんは確かこの商店街の付近にあったような気がする。あの時はずっとバタバタしていたから、思い出すだけでも顔が熱くなるけど……
……でも、よし。これで朝日向さんの気分が晴れるなら。
「うん、分かった」
寂しがっている朝日向さんの傍に、いてあげることができるなら……
「今営業中なのかは分からないけど、早く行ってみるね」
『………うん、お願い」
「ぷふっ」
『………ちょっと、今なんで笑ったの?』
「ううん、なんでもないよ」
普段の朝日向さんなら、こんなお願いなんて絶対にしてこないだろう。
でも今は弱っているから。寂しがっているから……本音がただ漏れになって、僕に甘えているわけで。
それがたまらなく愛おしくて、やっぱり僕はこの人のことが大好きなんだと自覚すると同時に……僕は一つの事実に気付くことができた。
「朝日向さん、今一人だよね?」
『…………』
耐えられなかったのだろう。お家に一人だけっていう寂しさが続くのは、辛いことだから。
益々、自分の足が早くなっていくのが分かる。
『…………うん』
「分かった」
速足でケーキ屋さんの所へ向かいながら、僕は言う。
「ちょっとだけ待っててね。すぐ行くから」
嬉しさが滲み出るような声で、朝日向さんは言い返してくれた。
『うん………待ってる』
電話を切って、僕は時間を確かめながら走り出す。なるべく、早く朝日向さんのところへ行かないと。
一人でいるには、今日の夜はやけに寒いから。
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