91話  教えて

朝日向あさひな ゆい



なんとなく、感づいていた。

五十嵐いがらし君はウソが下手だから、言ってる時の口調や表情でだいたい察しられる。それを分かるくらいには、五十嵐君との時間を積み上げてきた。

放課後の校舎裏、私は大きな木の後ろに隠れたまま二人の会話を耳にしていた。授業が終わった途端にこっそりと五十嵐君の後をつけたのだ。

これがあまり褒められる行動ではないということくらい、自分も分かっているけど。

そして、五十嵐君なら私が思っているような返事をしてくれると、信じているけど。

それでも……気になるのは仕方ないから。



「……好きです」

「…………」

「前からずっと、ずっと好きでした……」



その言葉を聞くや否や、胸にずしんと痛みが走ってまともに息を吸うことができなくなる。

切実な声だった。たぶん、あの冬華とうかちゃんっていう子は、本当に五十嵐君のことが好きなのだろう。



「初めてお店でお会いした時から、一目惚れしてしまって……それから偶然学校で先輩を見掛けて、目で追ってたんです」

「……そうなんだ」

「い、いきなりこんなこと言っても困らせるだけだとは思いますが……つ、付き合うのがもしムリでしたら、あの……れ、連絡先でも、いただけないでしょうか………」

「……………」



冬華ちゃんは、遠目で見ても分かるくらいに体を震わせていた。勇気をふり絞って、思いを伝えようとしているのが分かる。

息が詰まって、心の中でどんどんどす黒い何かが膨れ上がってくる。その気持ちに驚いて、私は口元を手で覆った。

そしてついに、五十嵐君の返事が聞こえてきた。



「本当に、ごめんなさい」



私はその姿を確かめる。

視界には冬華ちゃんと後ろ姿と、五十嵐君が頭を下げているところが映っていた。



「悪いけど、君の気持ちには応えられない。僕には好きな人がいるから」

「………あ」

「本当に……ごめんね」



まごうことなき拒絶だった。

突きつけるという表現が相応しいほど、五十嵐君は断固として冬華ちゃんの気持ちを断っている。

もうこの場所にいられない気がして、ひっそり立ち去ろうとしたその瞬間。



「……そうですか」



冬華ちゃんの返事が、響いてきた。



「ははっ……あ……ううっ……そ、そうですね………」

「………ごめんね」

「いえ、大丈夫です……大丈夫ですから。ただ……ちょっと……」



こっちが辛くなるくらいに、冬華ちゃんは涙を堪えようとしている。

見えるのが後ろ姿だけだとしてもはっきりと分かってしまう。だって、俯いたままにあんなに震えてるから。

そして五十嵐君は罪悪感まみれになった顔で、冬華ちゃんを見守っていた。



「くっ………ううっ……」

「……………」

「ごめんなさい。でも……そうですね」

「うん?」



目を丸くしている五十嵐君に対して、冬華ちゃんはちゃんと顔を上げてから伝える。



「幸せに、なってくださいね…………」

「…………」

「………………うッ」



耐え切れなくて、私はそそくさとその場を立ち去った。何故か私の視界までうるおんでいるような気がした。

息を整えようと何度も深い息を吐いて、私は胸元に手を当てたまま真っすぐ家に向かう。



「はぁ………はぁ………」



おかしな話だ。自分が告白された時だって、こんな風に感情が揺れ動くことはなかったのに。

………いや。私はもう知っている。なんでこんなにそわそわしてしまうのか。

……五十嵐君が好きだから。

彼を、誰かに奪われたくないから。



「ふぅ……」



たぶん、私は五十嵐君のことが、もっと前から好きになっている。いつの間にか芽生めばえ初めて、炎がまきを燃やして広がるみたいにどんどん心に滲んで、取り付いてしまっている。

でもそれと同時に、怖いという感情もどんどん膨らんでいた。

いや、その怖さが頭の中をほぼ支配していた。私が五十嵐君と付き合うのを迷う理由は、私が臆病者だから。

付き合うも前に別れることを先に考えちゃう、変人だからだ。



「…………ただいま」



誰もいない家の扉を開いて、すっかりやみが差している廊下を歩き、洗面所に向かって手を洗う。それから部屋に上がって、崩れ落ちた。

背中を部屋のドアにくっつけたまま、ぼうっと天井を見上げる。

家の中は、恨めしいほど光が付いていなかった。

父さんの顔を見たのは、先週の週末が最後だった。

そんなに仕事が忙しいのか、平日はいつも夜遅くに帰ってきて顔を見ることさえろくにできない。そして母さんも父さんほどではないものの、帰宅が遅いのは同じだった。

高校に入ってからの平日は、いつも一人だった。



「……………」



昔は、ここまでではなかったと思う。

昔は、ちゃんとなごやかとも言える家庭だった。両親がお互いを愛しているのが目に見えて、私のことを大切にしてくれて……幼かった私はそれが永遠に続くと、そう思い込んでいた。

でも私が中学に入ってから、関係は徐々に変わり始めた。

どこからズレたのかは分からない。大きな喧嘩があったわけでもないし、直接目に見えるような大きな事件があったわけでもない。

ただ、時間が経つにつれて両親の口数は段々と少なくなっていった。いつの間にか、家族ではなくなっていた。

私は知らない。両親の間でどんなことが起きたのか、二人は何を考えてるのか、何も知らない。

私が唯一知っていると言えることは、二人にとってこの家はもう、やすらぎの場所ではないということだけだった。

二人の口調からも、眼差しからも、些細ささいなな行動や後ろ姿からも、私はそのことを感じ取れる。



「…どうすればいいのかな」



永遠の関係なんて、この世には存在しない。

あんなに仲睦なかむつまじかった両親でさえ、今は他人同士になっているのだ。私が望む関係はこの世にはいない。

だからずっと拒んできた。見ず知らずの人間と付き合うなんて、相性がいいはずがないから。そもそも上手く行くはずもないから。

別れたら絶対に、私は傷つくから。

………だけど、そこで現れた唯一の例外。



「教えて………」



五十嵐君の存在。

それが、私が持ってきた信念のすべてを狂わせた。

私の世界で、彼ほどありのままの私を受け入れてくれる人はいない。彼ほど優しくて、気配りができて頼れる男もいない。

彼ほど純粋で、格好よくて、笑顔が素敵で、すべてを打ち解けてくれるような人間は……いない。

いつの間にか、彼となら大丈夫なんじゃないかと甘い夢を見てしまっている自分がいる。

でもそんな、そんな彼だからこそ。



「五十嵐君………」



なおさら、付き合うのが怖くなるのだ。

五十嵐君ほど素敵な男とお別れすることになったら、私は耐えられるだろうか。こんなに好きになってるのに、胸がパンパンになって今にもはち切れそうになっているのに、そんな彼と上手く行かなかったら……私は。

きっと、壊れてしまうに違いない。

分かっている。これは私がただ臆病なだけっていうことも。

私が重ねてきた戸惑いが五十嵐君と、冬華ちゃんにまで迷惑をかけてしまったことを。



「お願い……五十嵐君……」



五十嵐君のために、私は告白の答えを出さなければいけない。

でも私はまだ怖い。私はそれほど強くないのだ。幼くてもろくて、軽くひびが入っただけでも崩れてしまうような女だから。

両親の関係が断絶されるのを目の前にして、私だけは違うと言って新しく関係を築き上げるなんて、私にはできない。

お願い……五十嵐君。



「教えて………」



どうすればいいの。

どうすれば私は、あなたの恋人になれるの。

どうすれば私は……あなたと、永遠に結ばれるの?

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