87話  プール

朝日向あさひな ゆい



「人、けっこう多いね…」

「そうだね……」



横で五十嵐いがらし君がぼそっと呟く声を聞きながら、私も少し口を開ける。

まだ夏休みだからか、プールの中はだいぶ賑わっていた。私たちのように友達と来た組もいれば、家族連れで一緒に泳いでいる人達もいる。

すごいな、先週に行った海もここまでは混んでなかったのに……



「じゃ、それぞれ着替えてからここに集合するか」



灰塚はいづか君は苦笑を滲ませて私たちを交互に見ながら言う。

私の横にいる叶愛かなちゃんは少し呆れたような表情でプールサイドを眺めていた。まぁ、人が多い場所は嫌いだもんね、叶愛ちゃん……



「せっかく来たわけだし。ほら、行こう?」

「うん!行こ行こ!五十嵐君の言う通り、せっかく来たんだから楽しまなきゃ!」

「本当元気だな…朝日向」



それ以上言い加えることなく、灰塚君は五十嵐君と一緒に男子更衣室に足を向けた。私たちもまた、更衣室に向かいながら色々なことを話し始めた。



「そういえば、水着はちゃんと買ったんだよね?叶愛ちゃん」

「……私をなんだと思ってるの。ちゃんと買ってきたから。その……れんと一緒に」

「へぇぇ~~暑いですな~幸せでなによりですな~」

「ちょっ……!そんな反応止めてよ。ていうか結は?どんな水着選んだわけ?」

「ふふっ、それは見てからのお楽しみってことで」



まぁ、普通に海に行った時に着ていた水着なんだけどね。

露出度があまり高くない、レースがあしらわれたワンピース型の白い水着。別に肌を晒すのに抵抗があるわけじゃないけど、厄介な事態を防ぐためにはちょうどよい服装だ。

………いや。でもやっぱり、改めて買った方が良かったのかな。五十嵐君に対する誠意せいいが足りなかったのかな。

そんなことを思いながら更衣室で着替えている時。



「………結ってさ」

「うん?」

「結構着やせするタイプだよね」

「はっ………はあっ?!」



いきなり叶愛ちゃんからとんでも爆弾を投げかけられて、私はそそくさと両腕で腹回りを隠してから叫んだ。



「なっ………わ、わたし太ってるように見えるの?!」

「あ、ううん。そっちじゃなくて、私が言いたいのはその……胸のサイズが、すごく」

「…………あ」

「なんか、思ってた以上に大きいというか」



言葉の意味を察して、今度は胸元を隠した。

ううっ、そういえば海に行った時も友達にいじられてたし………でもそんなに大きいのかな?この前買ったブラがEカップだったからそこそこ成長したとは思うけど、自分じゃあまり実感がないし。

どちらかというと、私は叶愛ちゃんみたいなスレンダーな方がいいのにな。出るところもしっかり出てるし、肌もすごく白くて綺麗で、その上に全体的に細身だし……

……はぁ。とりあえず家に帰ったらダイエット始めよう



「ちょっと揉んでみてもいい?」

「えっ?揉むって……えっと、私の?」

「うん。結のおっぱい」



……うわ、なんかめっちゃ目が真剣になってる。こんな叶愛ちゃんは見たことないかも……

とにかく断る理由もなかったのでもじもじしながら頷くと、叶愛ちゃんは待っていたかのように私の胸を下から持ち上げてみた。

不慣れな感触に変な声が出るのを我慢して、私は身を縮こませる。



「………うっ」

「ちょっ……叶愛ちゃん……?」



……どうしたのかな。いきなり変な声出してるし。

あ、もしかして胸のサイズとか気にしたりして……?



「……はぁぁ」

「えっ、どうしたの?」

「ううん……なんでもない。その……普段から何食べてるのか聞いてもいい?」

「うん?食べ物って……ああ。やっぱそんなことか~~」

「………ムッ」



もう、本当に可愛いな。恋する乙女はこんな風に変わっちゃうんだ。

そっか、灰塚君に喜んでもらえるためか。



「まぁ、特に気にしているわけじゃないけど……友達のうちに詳しい子がいるから、一度聞いてみるね?」

「…うん、お願い」



あんなに冷たかった叶愛ちゃんがこんなに変わるなんて。

微笑ましい気持ちに浸りながら、私はカバンから持ってきたワンピースの水着を取り出した。







「お待たせ~」

「あ、来た………って、うっ」

「うん?どうしたの、五十嵐君?うん?」

「いや、なんでもありません……」



ふふっ、なんでもないはずがないじゃない。一気に顔を赤らめてそんなに分かりやすそうにそっぽ向いたら、誰だって気付くんだよ?



「へぇ……似合ってるな、朝日向」

「ありがとう、灰塚君。それで、五十嵐君の感想は?」



体を前に乗り出すと、五十嵐君もさすがに逃げられなかったのか仕方なくこちらをチラチラ見ながら言ってくれた。



「……か、可愛いです。朝日向さん、すごく………」

「……へ、へえ~」



……うぐっ。こ、こんな直球はさすがに予想してなかった……!

慌てる感情を表に出さないようにして、私は一度深呼吸をして息を整える。

……うん、落ち着こう。こんなことでドキドキさせられたら、なんか悔しいし。



「じゃ、とりあえず中に入ろっか」

「うん、そうだね!」

「そういえば、朝日向ってちゃんと泳げるの?叶愛は泳げないから、一応俺が泳ぎ方を教えるつもりだけど」

「えっと……」



ちょっと答えに迷ってしまった。浮き輪なしでも水に浮かぶのはそこそこできるけど、ちゃんと泳げるのかと言われると……ちょっと違う感じがする。

そもそも海に行った時もみんなとビーチバレーしたり、海の家で駄弁ってたりしたのがほとんどだっから。



「うむ……自信はないかな」

「そっか、じゃ響也きょうやは?」

「僕はいらないよ。ちゃんと泳げるし、前に歩夢あゆに何度か教えたこともあるから」



その言葉を聞くや否や、私の頭ではあるアイディアがよぎった。



「じゃ、五十嵐君が私を担当して、灰塚君は叶愛ちゃんに教えるのはどう?」

「えっ?!」

「……まぁ、別に俺はいいけど。叶愛は?」

「うん、私も構わない。バラバラになってしまうけど、後でウォータースライダーでも一緒に滑ったらいいし」



よし。叶愛ちゃんがいいことを言ってくれた。

私はとりあえず、叶愛ちゃんと灰塚君に二人だけの時間を作ってあげたかった。みんなで来たからと言っても、付き合いだした恋人たちに二人だけの時間っていうのは大事なはずだから。

みんなで遊ぶのは午後でもいいし、それに……



「えっと、じゃ……よろしくね。朝日向さん」

「うん!五十嵐君」



五十嵐君と、二人きりでいられるし……

……時々思ってしまう。私はもう五十嵐君に惚れているんじゃないかと。

私は彼と一緒にもっと色んな経験をしてみたいと、そう願っているから。

これは、たぶんまごうことなき恋心だ。

でも、まだ私の中での何かが思いを伝えるのをふせいでいる。それは別れるかもしれないという不安だった。

まだ付き合ってもないというのに、もう別れることを考えるなんて、どうかと思うけど。



「て……手!繋いでもいいかな」

「ぷふっ、そんなことわざわざ聞かなくてもいいのに。ほら、ちゃんと私を指導してくれるんでしょう?」

「ううっ………ううぅ」



……でも、五十嵐君がいつも甘やかしてくるから。

だから今だけはちょっと、何も考えずこの素敵な時間に浸っていたかった。

横で灰塚君と叶愛ちゃんが両手を繋いで泳ぎの練習をしているのを見た後、私は二人と同じく五十嵐君と手を繋いで、プールの地面から足を離せる。

そうすると自然に体が浮いて、心地いい浮遊感が訪れてきた。

それに、目の前には五十嵐君の優しい笑顔。



「そう、そのままゆっくり体に力を抜いてみて?浮かぶのだけでもほぼできたものだから」

「うん、今ちゃんと浮いてる」



…………失いたくない。

ふとよぎったその願いを隠して、私は五十嵐君と繋いでいる手にもっと力を入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る