77話 宣戦布告
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週明けの月曜日。
今日の分の授業を全部受けてから講義室を出ると、すぐ隣に立っている女の子と偶然にも目があう。
綺麗としか言いようのない赤い髪の毛と堂々としている面持ち、壁に背を預けて立っているだけでも絵になってしまう美人。
「ゆずりは……叶愛さんですよね?」
「………はい」
私の好きな人の元カノである、
ごくりと生唾を呑んでから、私は彼女の顔を見据える。
隣にいる人たちは不思議そうな顔をして私たちに視線を投げている。でもそんなことが全く気にならないくらい、私は緊張していた。
その一方で、彼女は
「もしこの後の予定がないのでしたら、一緒にカフェでお茶でもしに行きませんか?」
「…………」
間もなくして、私は肯く。
「はい」
近所のカフェで向かい合ったまま、私は頼んだコーヒーを一口啜って再び彼女に目を向けた。
自然と人々の視線を引き寄せてしまう女の子だ。
初めて会ったのは確か予備校の見学をしていた時だっけ。あの時もとても活発でいて、クラスの中心人物のような雰囲気があったけど……再び真正面から見ると、まるでその考えに判が押されるようだった。
「いきなり連れてきてしまってごめんなさいね。他の手段が思い浮かばなかったんです」
「構いません。それより……私はなんで、呼び出されたのですか?」
「先ず、自己紹介をさせてください。私は七瀬芹菜です。ここからはけっこう遠いところにある女学院に通っている、2年生です」
「……杠、叶愛です」
同い年の人相手に敬語を使うのにはいささか違和感を感じたけど、ある意味当たり前のことかもしれない。
私たちは、友達なんかじゃないから。
「改めて見るとやっぱり綺麗ですね。杠さんは」
「……いえ、そんなことは」
「
「…………」
えっ、噂になってる?私が……?聞いたことがないけれど。
……でもこんなに綺麗な人が目の前にいるのに、こんな風に絶賛されると少しむず痒くなってくる。彼女に比べれば、自分の
だって私は、ただの根暗女だから。
「まぁ、それはそれとして……そろそろ本題に入りましょうか。今日、杠さんを誘った理由は聞きたいことがあったからなんです。質問、聞いてくれますか?」
「はい。答えは……内容によりますけど」
「それで結構です。では」
言い終えた瞬間、彼女は一段と真剣な顔になって体を前に乗り出してきた。
たぶん、彼女も本気なのだろう。私も分かっている。
分からないはずがなかった。彼女がわざわざ私に話しかけてくる理由は、一つしか浮かばない。
私たちの間で吊るされている橋の名前は、一つしかいないから。
「単刀直入に言いますね。杠さんは
灰塚の存在。
ただ、それだけだから。
「いえ、付き合ってません」
「……ならば、どんな関係なのか聞いていいですか?詮索するみたいで申し訳ないんですが」
「ただの……クラスメイトです」
この人は、たぶん自分にチャンスがあるかどうかを探っている。
もし私がここで灰塚との関係をバラしたら、もしくは付き合っているとウソをついたら、彼女は失望して灰塚のことを諦めるかもしれないだろう。
それでも素直にセフレ、とは言い出せなかった。
彼の評判にヒビが入るような真似はしたくないから。それに恋人、というウソもあまりつけたくなかった。
彼の隣に立つほどの資格を、私はまだ持っていない。
「……連は、すごく変わりました」
「はい?」
いきなり話題が変わったので、私は少し目を丸くして彼女を凝視する。
でも私の反応を気にせず、彼女はさっきより緩んだ表情で話を続いていった。
「昔の連を知ってますか?あの頃の連は……なんというか、本当に機械みたいな子だったんですよ。いつもしれっとして無表情で、どう見ても近づきがたい変な男の子。根は誰よりも優しいけど、あまり……表情が豊かな方ではなかったんです」
「……そうですか」
「はい。なのに今の連は、すごく変わっていました」
彼女が見せている表情には、確かな寂しさが滲み出ていた。
「明るくなったんです。自分からもよく話を振ってくるし、会話を交わす時によく笑ったりして……端的に言えば、人間になっていたんですよ。驚くくらいに変わっていたから、私はそのきっかけについて考え始めました」
「……………」
「私たちのような医者家系の子たちは、成績に対する負担が多いせいでストレスが溜まることはあっても、あんな風に明るくなるのは全く考えられません。ならば、原因は外側にある。連が周りの人に影響を受けたと思う方が正しい。だったら、その人は誰なのか………連に再開してから、私は悩み続けました」
「…………………」
「ちょうどその時に、あなたの存在が見えてきた」
たぶん、この人はあの時のことを言っている。
私が最初に、予備校で灰塚とこの人が並んで歩いている姿を見た時。
それに耐え切れずに、逃げ出してしまったあの時のことを。
「その時に見せた連の顔を見て、ようやく歯車が噛み合った感じがしました。だって、連のあの顔は……幼馴染である私でさえ、知らない顔でしたから」
「…………」
………ああ、そういうことか。
ようやく私は、この人が何を言いたいのかを察する。
「私は、あなたがすごく……すごく、羨ましいんです」
「…………」
ほとんど言葉を返していない私に、彼女は言い続ける。
「二つ目の質問を、してもいいでしょうか」
「………どうぞ」
「杠さんは、連のことが好きですか?」
予想していた質問のはずなのに、口がまともに開かなかった。
ここで好きだと言ったら?
だったら………だったら私は張り合うことになるの?目の前のこの人と?それともただカマをかけられているだけ?
「……七瀬さんは、どうですか」
「私は、好きです」
「………………………」
待っていたかのように飛ばされた返事に、頭が真っ白になっていく気がした。
「連のことを、心から愛していると言い切られます。私には連が必要です。あの子が一緒にいてくれれば、きっと私はどこまでも羽ばたいていけるから。そして連に幸せな未来を見せるために、もっと頑張れるから」
「幸せな……未来って」
「私は、連とこれからもずっと一緒にいたいと思っています。それこそ大学に入っても、社会人になって大人になっても彼と支え合って、彼を幸せにするために全力を尽くす気でいます。あの子のことが……あの不器用で、誰よりも暖かいあの子のことが、心から大好きなんですから」
「…………………」
「……これを言いたかった」
呆けている私を置いといて、彼女は大きく息を吸いながら前を向ける。
滞りのない、透き通っている瞳と怖いくらいの意志が宿っている唇。
彼女は怯えない。震えない。
それに対する私はひたすら圧倒されて、少し口を開けてぶるぶるしているだけ。
…………私は。
「譲る気は、ありませんから」
この人に……本当に……勝てるの?
「勝手を言って、機嫌を損ねるような真似をして申し訳ないんですけど」
「………七瀬さん」
「もしお二人が恋人でしたら、諦めることだってできたかもしれませんが。でも隙があるというのなら、私は
「…………」
もう直視出来なくなって、私は顔を伏せて俯いてしまう。彼女の顔は見えなかったけど、それでも妙に息遣いが荒くなっているのはちゃんと伝わってきた。彼女もたぶん、緊張はしていたのだろう。
でも、彼女は最後まで震えなかった。
私はひたすら怯えながら、彼女に気圧されてたのに。
彼女より優れている部分なんて本当にあるの、という疑問が頭の中で浮かび上がってくる。ドロドロとした黒い塊が、心をずしんと落としていく。
「杠さんは、どうですか?」
「わたし………は」
わたしは、かつてある願い事をした。
そう、彼に初めて救われた時に。家まで送ってもらった時に、彼に初めてのキスを捧げてから神様に願ったこと。
他の人が現れれば、すぐに消えますから。
彼が幸せにするためなら、私は本当に………なんでも、しますから。
その願いにウソなんて欠片もない。そしてその気持ちは今も変わっていなかった。
でも、でも…………
「…………うっ」
声が響く。もう、その時が来たんだと。
もう灰塚を諦める時だと、私が私に言う。
「……………………」
結局、私はまともな言葉の一つも紡げなかった。
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