75話  気持ちの温度

七瀬ななせ 芹菜せりな



『ゆずりは!!』



あんな風に困惑していたれんを、私は今まで見たことがない。

昔から感情の薄い子だった。いつも平然としていて、たまに私に優しい表情をするだけで口数も少なく、近づきがたい変な男の子。

でも、私は連がどれだけ素敵な人なのかを、ちゃんと知っている。

だから彼を選んだのだ。彼と共に歩む未来を想像し、彼に尽くしたいと思ったから。

何らかのすれ違いで結局別れてしまったけど、それでも私は世の中で一番、彼のことをよく理解していると自負していた。

……そう。しているつもりだった。

あの顔を見るまでは。



『………連』

『…………あ、ごめん。えっと……クラスメイトなんだ、あいつ』



絶対にウソだと察していた。ただのクラスメイトに、あんな顔を浮かべるはずがないから。

連はまるで、浮気現場を見られた人みたいな反応をしていたから。



『分かった。そういうことにしておいてあげる』

『……いや、本当だから』



だからあえてあの場で詮索せんさくはしなかったものの、あの時のしこりは残り続けて今も私をいじめていた。

連は、変わってしまった。

彼は、もう私が知っているぶっきらぼうな幼馴染なんかじゃない。もうあの時の機械じみた男じゃない。

連は昔よりもっと自然に視線を合わせて笑うようになった。そしてあの時、連が見せてくれた表情を思い出すと嫌でも分かってしまう。

これは、あの人に変えられたのだと。

あのアッシュグレーの髪の毛を持っている少女が、連を変えたのだと。



「……すごく綺麗だったよね」



……まさかとは思っていたけど、とんでもない壁が現れたな。反則でしょ、あの見た目は。

目が惹かれていくほど整った顔立ち。どこかクールで楚々そそとした雰囲気を滲ませて、まるで普通の人とは別世界に生きているような少女。

連の隣にあんな美人がいるなんて、想像もしてなかった。ぶっちゃけに言うと、全然勝てる気がしない。



「勝てるのかな……わたし」



……別れなければ良かったのかなと、今さら後悔してしまう。

過去を振り向かない私にしてはごく珍しく、連と別れたのは何度も後悔したことだった。

でもあの頃の私は……すごく、刺々とげとげしい女の子だったから。



「……やっぱり、会って見なきゃ分からないのかな」



とりあえず、明日は連とのデートだから……うん。ちゃんとした服を選ばないと。

そう思って、私はベッドから立ち上がってクローゼットを開く。







灰塚はいづか れん



『私が未来永劫、幸せにしてあげる』



それが、芹菜から真っ先に聞いた告白の言葉だった。

俺は首を傾げながら、こう答えていた。



『……どうやって?』

『私は七瀬芹菜だよ?私の隣にいる人が幸せにならないなんて、そんなこと起きるはずないじゃん」

『……………ぷはっ』



その言葉を聞いて、自分で驚くほどに大きな声で笑ったことを今も覚えている。

あんな大笑いしたのは生まれて初めてだったかもしれない。本当に、腹が痛くなるほどゲラゲラと笑っていた。



『本当、面白いよな。芹菜って』

『……それで、答えは?』

『お前でも照れるんだな』

『当たり前じゃない!恋する乙女だから!私をなんだと思ってるの?!』

『頭のおかしいヤツ』

『ぐぬぬぬ………』



そして真っ赤になった芹菜に伝えた言葉も、俺は覚えている。



『じゃ、よろしくな。彼女さん』

『そんなことだろうと思って……!………い、今なんて言った?』

『彼女さんって言った』

『………え?』

『ちなみに言うと、三度目はないぞ』



天井を突き破りそうな勢いで飛び上がった芹菜の姿も、きっといつまでも忘れないだろう。



『やったあああああ!!!!!!!!!!!!』

『ちょっ……うっせぇよ!バカ』

『やった!!!やったやったやった……やったぁ……うええええ』

『いや、何で泣くんだよ……』



恋人としての始めてはそんな感じだった。きっと、他の初々しい恋人たちとはちょっと違う、突飛な瞬間だったと思う。

でも芹菜のそんな変わっているところが俺は好きだった。彼女に振り回されるのはいつも楽しかったから。

だから俺は芹菜を選んで、人生で初めて恋愛をし始めたのだ。

でも俺たちの恋愛は、長くは続かなかった。



『……連はね、ちゃんと私のこと好きなの?』

『だから付き合ってるじゃんか……なんでそんなに疑うんだよ」



どこからズレて行ったのかは、分からない。

でもいつからか、芹菜はけっこうな頻度で、本当に自分のことが好きなのかとしつこく質問してくるようになった。そして時々、ものすごく怒っていた。

たぶん、芹菜は確かな形で俺の愛情を確かめたかったのだろう。

でも俺は、その穴が埋まるほどの愛情を芹菜にあげなかった。

あげられなかったのか、あげなかったのかさえ分からない。そんな違いすら分からないほど、俺は未熟で不器用な男だった。

気持ちの温度というものを知るには、あまりにも幼かった。

どうこうすることもできず、関係は徐々に終わりへと向かって。

そして、そのまま終わってしまった。



『………ごめん。私なんか……連といるのが辛くて』

『…………』

『なにがなんだか、どうすればいいのか……分からないの。私は連がまだ好きなのに……確かに、好きだと言えるのに……連はどうなの?私と、まだまだ付き合いたいと思う?』

『…………俺は』

『…………』

『………分からない』

『………やっぱりそうだよね』



間違いなく、俺が悪かったのだろう。

芹菜が満足するほどの愛情を注がなかったから。俺はただ傍で見守るだけで、あくまでも受け身で芹菜の話を聞くだけだったから。

芹菜が好きじゃなかったわけじゃない。一緒にいたいとも思っていた。でも俺の気持ちは、芹菜が望むような熱い何かではなかったんだと思う。だからズレてしまった。

自分は薄情者だと、つくづく実感してしまう。



「ふぅ………」



別れを告げられて、それから3年が経った。

恋人として最後にデートをした時から、ちょうど3年。

俺は明日、芹菜とデートではない友達としてのお出かけをすることになっている。芹菜のことは今も人間的に好意を抱いているから、ためらわずに約束はしたけど……



「…………」



芹菜は本当に、俺をただの友人として見ているのだろうか。

その疑問はまるでパンドラの箱のようで、開けるのが怖くなってしまう。

たぶん、いや間違いなく、俺の心はもう……

ゆずりはに、奪われているのだから。

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