68話  ときめき

灰塚はいづか れん



待ち合わせ場所の駅前に着いた後、俺は腕時計で時間を確かめた。約束時間の20分前である10時40分。

ゆずりはは、まだ来ていなかった。

ベンチに腰かけて、俺はぼうっと自分が着た服を見下ろす。白いTシャツの上にゆったりとしたベージュ色で半袖のオープンシャツを羽織って、ブラック系のスラックス合わせた服装。

鏡で見た限りではそんなにおかしくなかったけど、杠はどう思うのだろう。



「………ふぅ」



いつもは適当に着ているから、どうやってスタイルを決めたらいいのか分からなかった。これでも30分くらいは悩んで選んだ服装なのに。

……もっと服を買っておけば良かったかな。

そうやって呆然と時間だけを確かめていると、頭の上から聞きなれた声が響いてきた。



「おはよう……」



顔を上げた途端、俺は思わず目を見開いてしまった。

おまけに口もあんぐり開けてから、彼女に視線を固定させる。



「……ちょっと、何か言ってよ」

「いや……」



…………こんな服も、着ていたっけ。いや、違う。杠はいつもラフな格好をしている方が多かった。

なのに、今回だけは違っていた。

肩を丸出しにしている黒のオフショルダーのブラウスと、ちょうど膝の上まで伸びた白いスカート。

スカートと同じ色の靴とベージュのミニバッグを合わせた、全体的に露出度の高い服装だった。

目が自然と丸くなって、俺はまともに返事もせずに彼女に見惚れていた。

暑さのせいなのか恥ずかしさのせいなのか、彼女は少々顔を赤らめて髪の毛をいじり始める。



「……じろじろ見過ぎ」

「いや……その……」

「…………」

「…可愛いくて、つい」

「くっ……?!」



その言葉を聞いた途端、杠は手を口に添えたまますぐさま俯く。

俺もあまりにも直球を投げたことに気付き、そそくさと頭を下げた。



『…………なんだよ、これ』



聞こえないように何度も深呼吸を繰り返して、俺は精一杯鼓動こどうを落ち着かせようとしする。

今日の杠には、それほどの破壊力があった。アッシュグレーの髪が視界に入ってきて、また動悸が早くなるのを感じる。

今日のために杠がどれほど準備をしていたのか、ほんの少し垣間見えた気がした。



「……ありがとう。灰塚も、その……似合ってるよ」

「……ありがとうな」



立ち上がってから見つめた杠の顔は、さっきとは比べられないくらい真っ赤になっていた。



「…行くか。その、周りからの視線も気になるし」

「うん……えっと、電車に乗ったら喫茶店まで10分くらいしかかからないから、大丈夫だと思う……」

「………そっか」



杠は相当恥ずかしいのか、しょっちゅう体をぶるぶる震わせていた。

その姿を見てたら、段々と緊張がほぐれて行く感じがした。苦笑したまま、俺は未だ俯いている彼女に声をかける。



「ほら、行くぞ?」

「……はい」



………なんで敬語なのか。

この調子だといつまでたっても移動できそうになかったので、俺は彼女を手を取ってゆっくりと足を進める。背中で、はっと息を呑む音が聞こえてきた。

……そういえば、こうしてちゃんと手を繋いだことはなかったっけ。

後ろにいる杠の様子を何度も流し目で確かめながら、俺たちは駅の改札口に向かった。

財布を当ててたどり着いた駅のホームには、週末だからか人でけっこう混んでいた。

離れないように杠の手をもっとぎゅっと握ると、彼女は一瞬体をビクッとさせてから、すぐその手を握り返してくれた。



「人、多いね……」

「そうだな……まぁ、週末だし仕方ないっか。手、ちゃんと握ってろよ」

「………私、別に子供じゃないのに……」



……それじゃ離そうか、なんて意地悪な質問は飲み込むことにした。彼女がなにに喜ぶのかを分かるくらいには、彼女との時間を重ねてきたから。

やがて人がひしめいている電車が来て、俺は杠と手を繋いだまま電車に乗る。夏特有の不快な空気が漂って、少ししかめっ面になってしまった。



「…………」



それにチラチラとこちらを見やる男たちの視線も感じられて、それが気に食わなくて。

俺は杠をドアの方に引き寄せてから、体を支えるようにして両手をドアに付けた。



「ちょっ……!は……はいづ……」

「…………」



いわゆる壁ドンをされた状態で、杠はビクッとしてから俺を見上げてくる。

でも俺は顔を背けて、その視線をよけた。

やりすぎたのか、と一瞬後悔はしたけど………でも、杠があんな視線に晒されるよりは、少し過剰な対応をした方がずっとマシだから。



「…………ばか」

「…………」



そのまま、電車はゆっくりと動き出す。

まるで永遠のような時間が、流れ始める。

懐の中にいる杠の香りと息遣いが思考を曇らせる。シャツの端をぎゅっと掴んだまま、杠は俺の顔から目を離さなかった。



「……………」

「…………やめろよ、杠」

「……そんなの、知らない」



……こんな間近で視線を感じるのは、もう慣れたはずなのに。

セックスをする時も、キスをする時も彼女から挑発ちょうはつされた時だって、これくらいに距離がちぢんでいたのに。今さら、何とも思わない方が当たり前なのに。

でもそんな理屈が通らないほどに、杠が魅力的すぎて……



「……こっち、見て」

「………」

「………早く」



周囲には聞こえないくらいの小さな声で、彼女はそう囁く。仕方なく俺は深呼吸をしてから、彼女と視線を絡ませた。

次の瞬間、俺の視界には普段より何倍も色っぽい、顔を真っ赤にしている杠が映ってきた。

この顔を俺は知っている。これは………杠が、スイッチが入った時にする顔だ。



「……………」

「……………」



……ヤバい、これは。

杠の目はずっと俺を捉えていた。純粋な女子高生じゃ絶対に作れない、性を知っている女の目をしている。

……真っすぐに喫茶店じゃなくて、ラブホに行くことになったら。

そうしたらどんなことが起こるのだろうとつい想像してしまって、生唾を飲み込んで。そうやってお互い食い入るようにずっと見つめ合っていた時――

突然にして、アナウンスの音が電車の中で轟いた。



「あ…………」

「………あ」



ぱっと意識が戻って、俺は跳ね出るように身を引く。間もなく反対側のドアが開いて、俺たちは慌てながら駅のホームに出た。

杠の一歩前で、俺は呼吸を整えようとする。



「………あの、灰塚」

「………さっきは、ごめん」

「え?」

「その……見られてたから、つい」

「………」



返事がないと思って振り返ると、ちょうど彼女と目が合ってしまう。杠の目つきは、まだ全然変わっていなかった。

そのままつま先を立たせて、彼女は俺の耳元で囁くように言ってきた。



「…なんで、謝るの?」

「いや、お前……」

「…ウソつき」

「………………」

「我慢………できそう?」



身震いをする同時に、顔に熱が込み上がってくる。

これが何を意味するのか、さすがの俺も分かっていた。



「…杠は?」

「………私は……ダメ、かも」

「………そっか」



…別に、時間限定メニューがあるわけでもないし、いいっか。

俺たちは、セフレなんだから……



「……行くか」

「うん……」



どっちが先だと言うこともなく手を握り締めてから、俺たちは速足でラブホに向かった。



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