4章

64話  夏休み

灰塚はいづか れん



期末テストも終わって季節は巡り、俺たちは夏休みを迎えた。夏休みになってからも、俺と杠の関係はあまり変わらなかった。

週に2~3渡くらい彼女の家に行って、勉強を教えたりまったりテレビを見るだけの日常。

そして時々セックスをしたりもする…………ちょっと、不思議な関係のままだった。



「暑いな……」



より暑くなった夏の日差しを浴びながらゆずりはの家に向かう途中、ふと思う。俺と杠の関係は、一体どんな言葉で定義付けたらいいのだろうと。

自分で言うのは恥ずかしいし俺の一方的な錯覚さっかくかもしれないけど、俺たちは線を越えている。肉体関係のみならず、既に精神的な部分でお互いを支え合ったりしているのだ。

そう。明らかにセフレ以上の関係になっている。



「…………」



自然と恋愛、という二文字が頭をよぎった。

杠と彼氏彼女の関係になるなんて、正直に言うと想像しがたかった。

俺にとって彼女は……見守るべき対象で、もっとも大切な他人だから。果たしてこれを恋と名付けてもいいのか。これが恋なのかどうかも俺は知らない。

杠が俺に抱いてくれる感情は、なんなんだろう。



「おはよう」

「うん、おはよう。上がって」



優しく顔を緩ませる彼女を見て、俺は安心感を覚える。

……そっか。たとえ杠が俺にどんな感情を向けようが、この笑顔はまごうことなき本物だということを、俺は知ってるから。

俺たちはまだ高校2年生で、高校の卒業までは1年半という長い時間があるから。

関係性を建て直したり考えたりするのは、未来の俺がなんとかしてくれるだろう。

そう思って、俺は靴を脱いで杠と共にリビングに向かった。



「あぁぁ~エアコン助かる……」

「ふふっ、外暑かったんでしょ?」

「そうだな、ちょっと歩くだけでも汗かいちゃうし……ってあれ?なんか作ってたの?」



ちょうどカバンを下ろした時に、キッチンで湯気が立っているのが見えた。杠はすぐに答えてくれた。



「どうせお昼もまだなんじゃない?お昼ご飯作っておいたから、一緒に食べよう」

「………」



ほうけている俺に対し、杠は小首をかしげて疑問の視線を飛ばしてくる。たぶん、俺のために何かを作るという行為にもう違和感がないのだろう。

……これじゃ、まるで本当の恋人みたいじゃないか。



「………ありがとう」

「うん」



作ってくれた蕎麦そばを美味しくいただいた後、俺たちはリビングのテーブルを囲んで座りながら軽く話をした。

主な話題は夏休みと、成績のことだった。



「…でもすげぇな。短時間でここまで上げるなんて」

「……別に、中学の時は勉強してたって言ったじゃん。その経験を生かしただけ」



杠はあっさりと答えたけど、その成長っぷりを目の前にしている俺としては驚かざるを得なかった。

爆発的と言ってもいいほど、杠の成績は全般的に上がっている。中間テストと比べて平均点が40点以上も上がったわけだから、担任の先生があんなに驚くのだってムリはないだろう。



「経験を生かしたと言っても、お前が頑張ったのも本当だろ?もっと素直に喜んでもいいと思うよ」

「……喜ぶはずないじゃん。まだまだ、遠いんだから」

「は?」

「……いや、こっちの話。それにあなたに教わったんだから、成績が上がるのも当たり前じゃん」

「……本当、自分に厳しいな。あまり厳しすぎるのは良くないぞ」



杠の通知表に目を通した後、俺はテーブルに頬杖を突きながらぼうっと考える。

杠の成績が上がったことは、俺にとっても喜ぶべきことだった。勉強というものは未来に備えるための物であり、それはすなわち杠が未来に立ち向かっているということでもある。

かつて死にたがっていた彼女にしては、想像もできないくらいの進歩だ。

でも、どうしていきなり勉強をする気になったんだろう。そのきっかけが分からなくて、俺は質問を投げる。



「一つだけ聞きたいんだけど」

「うん。なに?」

「前にも何度か聞いてた気がするけど…本当になんで、ここまで勉強するの?こんなに根を詰める理由が知りたい」

「………同じく、前に何度も答えたでしょ。特にやることもないからしているだけ」

「へぇ………なのに休み時間もまともに取らずに勉強漬けか………」

「………なによ。文句ある?」

「いや、それはないけど」



………もしかしたら、杠が頑張る理由には……俺が絡んでいる?

…分からないけど、もしそうだとすると、それは少しだけ歪な依存関係とも言えるだろう。



「……なにニヤニヤするのよ」

「いや、なんでもない」



……でも、どっちにせよ俺には関係ないことだった。依存しているのはこっちだって同じだ。

もし杠が突然がいなくなったりしたら、俺は言葉通り壊れてしまうかもしれない。心臓に穴が空いたまま生きることになるだろう。そしてきっと、その穴が埋まることはない。

俺にとって杠叶愛という少女は、既にそれほどの存在になっているから。



「そうだ。俺、来週から予備校だから平日に会うのはちょっとキツイよ」

「……予備校?なんで?あなたに必要あるの?」

「成績落ちたら通うって、昔に父さんと約束したんだ。ほら、中間テストで一度落ちたんだろ?そのせいで」

「…厳しいのは私じゃなくて、灰塚のお父さんじゃない?」

「それには同意見。まぁ、約束は約束だし、ちゃんと行くけどさ」



杠はその言葉を聞いて、納得したように肯いてくれる。

でも次の瞬間、彼女はまるで心の準備をするかのようにだいぶ間をおいてから口を開いた。



「…その、灰塚は志望大学とかある?」

「志望大学?特にないけど」

「えっ?!!」

「……うるさいな、なんだよいきなり」

「いや、だって……本当にいないの?その……医大とか……」

「ああ………」



まぁ確かに、杠の発言には合点がいくところがある。

高校2年生の夏休み。まだ受験生でないとはいえ、今から大学の入試を意識する生徒も少なくはない。それに加えて、進路と言う大きな壁も考えなければならない。

でも俺は、特にこれといった考えはなかった。



「と言っても……そもそも俺にはこれといった夢も目標もないから、まだどの学部にするかも決めてないし」

「…医大に進学するんじゃないの?」

「それは親の望み。今まで俺自身が何かをしてみたいと思ったことはないから………杠は?」

「うん?」

「杠はどうなの?進路とか、行きたい大学くらいはあるだろ?」

「私は………」



少しの間だけ口ごもってから、ようやく彼女は言う。



「…分からない」

「……そっか。まぁ、ゆっくり考えればいいよ。来年になっても勉強は見てあげるから」



ごく自然に放った言葉にショックを受けたのか、杠は口をあんぐり開けて俺を見据えてきた。

その様子が可笑しくて、ついまた失笑してしまう。



「……クラスが違っても?」

「だとしても別に変わらないんだろ?今だってクラスではほぼ喋らないし」

「………やっぱり、変わってる。灰塚は」

「……お前にだけは聞きたくなかったな」



お互い笑いながら、俺は密かに考えを巡らせる。

そっか、俺は来年も杠と一緒にいたいと思うのか。

来年になっても勉強を見るという言葉は、とっさに出てきた言葉だった。なのに俺は全く違和感を感じなかった。

心で気付くよりも先に口が動いて、気持ちを伝えたのだ。

……これが、人々が言う好きなのか。それとも単に杠といるのが楽だからなのか。

分からない。17歳の幼い高校生には難しい問題だった。

でも、来年になっても俺の隣には杠がいる。

今は、それだけでもいいような気がした。

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