62話  告白

朝日向あさひな ゆい



あのメールを送ってから、ちょうど4日くらいが経った。

その間、私は五十嵐いがらし君とたった一言も交わさずにいた。頭の中はずっと曇っていて、ドロドロなしこりだけが心の中でくすぶっている。

…あなたは本当に、これが正しいと思うの?

何度も自分に聞き返した。何度も自分を疑った。

でも私は、これ以外の方法を知らない。私は周りに思われてるほど、器用な人間じゃないから。

………本当に、笑える話。

勝手な真似をして五十嵐君を傷つけたくせに、自分が被害者ぶるなんて。

盗み見た彼の横顔がずっと暗くなっていたことを、わたしは知ってるのに。



「……………バカ」



………なにを、悲劇のヒロインみたいなことを考えているのよ。

五十嵐君に立ち向かうのが怖くて、ストレスを背負いたくなくて逃げたくせに。

……知っている。みんなの前では明るく振舞うわたしは、ただの臆病で寂しがり屋だってことを。

だから恋愛をけていたのだ。こんな自分をさらすのがイヤだから。拒絶されるのが、何よりも怖いから。



「……ふぅ」



力なく体を起こして、わたしはリビングに向かってから食卓の上に置いてある千円札をぼうっと眺めた。

そのお金を、前は五十嵐君と歩夢あゆちゃんのために使っていた。

でも、今は自分のために使わなければならない。その事実を痛感すればするほど、どんどん悲惨になっていく。落ちていく。



「…………」



本当に自分はどうしようもないと思いながら、ちょうど千円札を手にしたその時。

急に、家の正門から聞いたことのない野太い声が響いてきた。



「お届け物です~!」

「………え?」



……宅配?わたしは特に頼んでないけど……さてはお父さんやお母さんのどちらが頼んだのかな。

千円札をまた食卓において、私はまっすぐドアへ向かった。

そして、何の疑いもなくドアを開いた、その時。



「……………………えっ」

「………こんにちは」

「………………え?」



私の視界には宅配業者さんじゃなく、見慣れた男の子が入っていた。

柔らかそうな印象。少し気恥ずかしそうに微笑んでいる顔。私より少しだけ高い背丈。

そう。五十嵐君が、私の前に立っていた。



「ど…………ど……」

「上がってもいいかな?」

「あ…………」



驚きすぎて、つい両手で口元を覆ってしまう。こんな風に来るとは思わなかった。

絶対に嫌われていると思ってたのに。もう二度と、話すこともないと思ってたのに……

……とりあえず、ドアの前で立ちっぱなしにさせるわけにもいかなくて、わたしはかろうじて肯いて、彼を迎え入れた。

なのに、五十嵐君はドアを閉めても靴を脱がず、玄関に立ったまま苦笑を滲ませてきた。



「…ごめんね。朝日向さんはあまり、会いたくなかったのかもしれないけど」

「…………」

「でも、メールを送っても返事ももらえなかったし、電話をしたとしても出てくれそうになかったから……ごめんね。こんな強引に押しかけちゃって」

「……………違う」



なんであなたがあやまるの。意味が分からない。

悪いのはわたしなのに。なんであなたが謝るの。

わたしをののしっても、恨んでも悪口を言っても、わたしは何も言い返せないのに。



「…ちょっと図図しいかもしれないけどね。理由を聞きたくて、ここに来たんだ」

「……理由」

「うん、理由。その………なんで避けられてるのか、聞きたくて」



その質問に対して、わたしはなんて答えればいいのか分からなかった。そもそも簡単に話せることなら、わたしだって苦労はしない。

あのままでいたら、我儘わがままを言いそうになるから。

五十嵐君と、歩夢ちゃんと、放課後に毎日あの家で、もっと一緒にいたいと願ってしまうから……好きな人がいる男を、好きになってしまいそうだったから。

あなたにおぼれるのが、怖くて。

でもこんなことを言えるはずがない。そもそも恥ずかしすぎて言い出せない。



「………うっ」



でも、せっかく来てくれた五十嵐君に対して、私は何かを答えなければいけない。

頭が真っ白になったまま、ただ視界が五十嵐君に満たされて、どんどん心臓が激しく鳴り始める。段々と、理性の塊が遠のいている感じがした。

そして、自分も気付かないうちに……わたしは、本音をらしていた。



「……五十嵐君に、好きな人がいるから」

「え?」

「…好きな人がいるのに、私といていいわけないじゃない。あの人にも失礼だし、五十嵐君の家にはほぼ毎日のように通っているんだから、変に思われるかもしれないし。私は、二人の邪魔にしかならないの」

「………………」

「それに、その………」



歩夢ちゃんとあなたの存在が、どんどん私の中で膨らんでいるから。どこまでも、あなたたちに甘えてしまいそうになるから……

でも、死んでも言えない。

こんなこと、死んでも言えない。顔に熱が上がってくる。唇をぐっと噛んだまま、わたしはそれ以上に言葉を続けなかった。単なる幼稚ようちな行動かもしれない。

でも言えない。めんどくさいと思われても、言えない。

なのに、頭の上からいきなり笑い声が聞こえてきた。



「ふふっ……ああ、そうか」

「…え?」

「なるほど、そういうことだったのか……本当に、ごめんね?ウソついちゃって」

「…………ウソ?」



ウソ……?なにを言ってるの……?

ほうけたまま顔を上げると、ちょうど五十嵐君の表情が目に入ってくる。それを見て、ドカンと心臓の音がとどろいた。

…あの顔だ。

見るたびに惹かれてしまう、真剣な目つきをした五十嵐君………

彼は一度だけ深呼吸をしてから、余裕を崩さずに……言葉を、紡いでくれた。



「僕の好きな人はね、朝日向さんなんだ」



その、爆弾みたいな言葉を。



「……………………え?」

「前に言ったよね?僕があの人を好きになった理由。一年生の時に、廊下で僕よりも先に挨拶をしてくれて、惚れたんだって」

「……………まさか」

「うん。その人、朝日向さんなんだ」



……思い出した。

そう、あの時の五十嵐君は隣のクラスにいて、常に委縮いしゅくしているように見えてたから。だから私は元気づけようと挨拶をして……



「……ごめんね。素直に思いを伝える勇気ゆうきがなかったんだ。ずっと朝日向さんをだましてきて、本当にごめんね」

「…………………」



頭が、一気に白飛びしていく。

五十嵐君は腰まで曲げて謝罪していた。なのにわたしは、唇をぶるぶるさせながらただぼうっとしているだけだった。



「………じゃ、その。他のクラスとか、印象が明るいとか、それは……」

「…うん。全部ウソだよ。初めからそんな人はいなかったんだ。初めて好きな人がいるかと咄嗟に聞かれた時に、好きだと言える勇気がなかったから……その場でウソをついてしまったんだ。ごめんなさい。この髪型とか、異性と距離をちぢめるやり方とか……色々と助けてくれたのにね」

「………」

「僕は、あの時間を先延ばしにしたくて…朝日向さんと一緒にいる時間が楽しくて、自分勝手な理由で、朝日向さんの好意を無駄にしたんだよ。本当に、ごめんなさい」



体を直角にかがめたまま、何度も謝ってくる五十嵐君。

でも、ごめんなさいと言いたいのは、むしろ私の方だった。

彼の謝罪が、全然耳に入ってこなかったから。

さっきから一つの言葉だけが頭の中を支配して、どんどん脳みそを蕩けさせているから。体もさっきから震えてるばかりで。



「…………そっ、か」



……五十嵐君の好きな人は………最初からわたし。

わたし………五十嵐君の意中の人は、最初から……………わたし。

わたし………

わた、し………



「あ…………う………」

「だから、こんなこと言うのは図太ずぶといかもしれないけど……言うね」



ようやく五十嵐君は顔を上げてから、わたしと視線を絡んでくる。私はこんな恥ずかしい顔を見せたくなくて、思わずまた両手で口元を隠してしまった。

でも五十嵐君は相変わらずの真剣な表情で、少し声を震わせながらも……伝えてくれた。



「……朝日向さんが僕に失望して、僕との距離を置きたいと言うのなら、僕は素直に従うよ。今、この場でムリだって言ってくれたら全部諦めて、これ以上朝日向さんを困らせないようにするね。僕は最低なウソつきだけど、この約束だけは守れる」

「………」

「でも、もし朝日向さんがまた、ウチに通いたいと思ってくれるのなら……もう一度だけ、チャンスをくれないかな」



そして五十嵐君は何の恥じらいもなく、その言葉を口にした。



「頑張るから」



暴力的だとも言えるその言葉を聞いて、わたしの理性は段々と崩れていく。



「……うっ」

「朝日向さんに好きになってもらうように、頑張るから」

「……五十嵐君」

「諦めが悪いのかもしれないけど……僕には、できないんだ。僕は本当に、朝日向さんのことが大好きだから。だから、朝日向さんが振り向くような素敵な男になるから、もう一度だけ、チャンスをくれないかな」



五十嵐君は、照れない。

あくまでも真剣に私と向き合っている。私のことが好きだって、はっきりと伝えている。

…こんな五十嵐君は、知らない。

知らない……こんなの……



「……あ………ぐぅぅ…」

「……朝日向さん?」

「いや、あの………そ、その……」



………なにしてるのよ、わたし。

言え。言え。言え……!



「あっ……くっ………あ、明日は……行くから…」

「………………それっ、て……」

「…こ、こちらこそごめんね。勝手にあんなメール送って……で、でも誤解も、その、解けたわけだし……え、えっと、明日からは……また、五十嵐君の家に行っても、いいかな……」

「………うん」



五十嵐君はパッと笑いながら、首を縦に振ってくれた。

わたしは俯いて、顔の熱をしずめようとした。



「……あ、ありがとう。朝日向さん」

「う……うん」

「…あ……そ、その……ありがとう」

「……………うん」

「……じゃ、その、ぼ………僕は、もう行くね!」



いきなり出てきた言葉に驚いて反射的に頭を上げたら、なおさら驚いてしまった。

今まで見たことのないほど、五十嵐君は顔から耳まですべてを真っ赤にしていた。必死に言葉を紡ごうとして、それでも上手く言葉が出ないただの照れ屋さん。

…普段の、五十嵐君だったから。



「さ………さよならぁぁぁ!!」

「あ、ちょっと!!」



そして彼は勢いよくドアを開いて、そのまま飛び出てしまった。取り残されたわたしの耳には、大声で叫ぶ彼の切実な声だけが響いてくる。

片腕を伸ばしたまま凍り付いていたわたしは、徐々に気を取り直して動き出す。開きっぱなしなドアを閉めて、まだぶるぶると震える手を自分の胸に当てて……

そのまま、崩れ落ちた。



「はうっ………うううううううううっ……!!」



なにこれ………

なにこれ、なにこれ、なにこれ……こんなの知らない。

なに……?今の……すごくドキドキして、嬉しさが溢れ出して、わたし、わたしは……



「きゅううううううっ……ぐうううっ!!」



今までだって何度も告白されてたのに……なんで?何でこんなに動揺してしまうの?

なんで……こんなに、ドキドキするの?



「あ……はうっ………うううううっ……くうぅぅぅ」



両手で顔を全部おおってから、何度もわめく。

こんな、こんなの……こんなに嬉しいなんて、こんな……



「…………ううう」



ようやく落ち着きを取り戻して、わたしはさっき交わした会話を思い返す。

五十嵐君は、わたしのことが好きで。頑張ると、言ってくれた。

わたしは……また明日から、彼の家に通ようことにした。

彼に会いたくて。彼といる時間を増やしたくて。

そんな……そんな、こんなの………!



「ううううぅぅぅぅぅ……!」



結局、ここが玄関だということさえ忘れて、わたしはそのまま倒れてもがき始めた。恥ずかしい。死にたくなるほど恥ずかしかったけど。

でも、明日になったらまた会える。

また、五十嵐君と一緒になれる。会話ができる。

もう、距離を置かなければならない理由なんて、どこにもいないから。



「……ははっ、あああ……もう、知らない。うふふっ…」



……バカになった。

そんなことを思い出しながら、わたしは笑ってしまった。

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