47話 演奏
<五十嵐 響也>
「ウチの家、実は母子家庭なんだ」
なるべく声音を高くして、僕は言い続けた。
「僕が八歳になった時に、父さんが交通事故に遭っちゃって」
「……」
「歩夢が生まれてから一年も経たなかったのにね……だから、歩夢は父さんのことを何も知らないんだ。僕は覚えているけどね。お父さんの笑顔とか優しいところとか。そしてお母さんをとっても愛していたことも」
「……五十嵐君」
「あっ、ごめん。別に空気を重くしたいわけじゃなくてね。ただその……昔は、ちょっと大変だったと言いたかっただけだよ」
朝日向さんはすごく申し訳なさそうな顔で僕を見つめていた。慌ててわたわたと両手を振って、僕は否定する。
好きな人には、なるべく暗いところは見せたくなかった。平常を保つように大きく息を吸ってから、僕は口角も上げた。
「とにかく僕も父さんのことは大好きだったから、色々キツくてね。中学の時は憂鬱だというか、何もかも諦めたい気分になった時があったんだ」
「…うん」
「その時にね。動画サイトのホームページに知らないアーティストのMVがあって見てみたんだよ。そのアーティストがバリアだった」
「うん」
「朝日向さんも知ってる通り、バリアも小さい頃からお父さんを亡くして貧乏だったじゃん?周囲からいじめられて
「あんな風って……五十嵐君は、ラッパーになりたいの?」
その質問に僕は首を横に振って、朝日向さんではなくモニターに視線を向けた。映っているのは、僕が初めて聞いたバリアのアルバムのカバー。僕の人生を変えた16個の曲が入っているアルバム。
それを見てると、自然と声に力が宿っていく。
過去の僕を、MVを見て涙を流した頃の僕を思い出してしまうから。
「別にラッパーになりたいとは思ってないけどね。でもどんな形であれ、僕も必死に努力すれば家族と一緒に幸せになれるんじゃないかと思うようになったんだ。だからバリアの曲は、僕にとってすごく特別なんだ。どん底にいた僕を引き上げてくれたのは、間違いなく彼の曲だから」
「……………」
「何度も彼の曲を聞いて、いつの間にか立ち直ってバイトを探して……彼の音楽のおかげで僕はだいぶ変わったと思う。だから僕もいつかはバリアみたいに、誰かに希望を与えるような存在になりたいな……って思ってるけど」
「…………………」
「……あっ、ごめん!ちょっと引いたよね。ごめん……えっと、朝日向さん?」
しまった。暑くなりすぎた……!慌てて朝日向さんを振り返ると、彼女は今まで見たこともないほど目を丸くしてぼうっと僕を眺めていた。まるで何かに取りつかれたような、もしくは激しく驚かされたような顔だった。
とっさにあらゆる考えが頭をよぎって行く。
やっぱり引いてる?ちょっと調子に乗りすぎた……?
「あ………あの」
「……………」
「………そうですよね」
まぁ、確かに急にこんなこと聞かれたら困るよね、そうですよね……
さっきまで威風堂々としていた船がいきなり沈没するみたいに、僕は首を垂れてぐっと唇を噛んだ。ああ……これで終わりなんだなと、本気で思った。
「あ……えっ、どうしたの?五十嵐君」
「………え?」
「……ぷふっ、変な顔。本当不思議よね、五十嵐君は」
「うん……?」
でも朝日向さんは引いた顔は見せず、むしろ手を口元に沿えてクスクス笑い始めた。
「ぼうっとしてごめんね?ちょっと新鮮だったから」
「……なにが?」
「五十嵐君があんな表情をするなんて、わたし想像もしてなかったから」
「あんな表情…?どんな表情?」
「すごく男前で、かっこいい表情」
「……………………は、はい?」
「あ、本人は気付いてないのか~」
…男前で、かっこいい?僕が?そんな表情を?
ありえない。
ありえない。ありえない。絶対にありえない。えっ、だって僕が……うん。ありえない。朝日向さんが僕をからかっているのに違いない。
カッコいいって、そんな言葉は僕に似合うはずがないのに。
「でも、うん…分かった。聞かせてくれてありがとう。どうしてあんなにバリアが好きなのか、ちょうどさっき理解しました。おまけに五十嵐君の新しいところも見れたことだしね」
「あ…新しいところって、からかわないでよ」
「ふうん……ちょっと失礼するね」
「え………えっ!?」
次の瞬間、顔に急速に熱が上がって、僕は朝日向さんをまともに直視できずに俯いてしまった。
だって、朝日向さんがなんと僕に向かってスッと身を乗り出して、前髪を触ってきたのだ。反射的に体が震えてしまう。
「ちょっとだけ、じっとしてて」
「は…はい………」
「そうだ、メガネ外してもいい?」
「な…なんで…?」
「うむ…ちょっとだけ試したいことがあるから」
「…どうぞ」
「うん」
こんなに満面の笑みでお願いされると、さすがに断れなくなる。
それから約五分くらい、僕は朝日向さんに前髪を触られたりメガネを外されたりして、まるで着せ替え人形のごとくいじられた。近くにある朝日向さんの香りが漂ってきて、物凄く心臓がバクバクと鳴った。
何かが、おかしい………こんなの、普通は男子からするんものなのに?僕はなんで……いや、嬉しいけど!朝日向さんを近くに感じられるだけで、涙が出るほど嬉しいけど!でも男の自尊心というヤツが……!
「うむ……ごめんね?やっぱり、五十嵐君は自然体のままがいいかな。あ、メガネは外したままで!」
「……えっと、いきなりどうしたの?僕の髪なんかいじって」
「ちょっとした疑問。あ、ギター!そうだ、五十嵐君。ギター弾いてくれない?」
「…なんで?」
「いいからいいから!ほら早く」
……すごく恥ずかしいけど。今すぐにでも部屋から飛び出てどこか小さい穴にでも潜りたい気分だけど。
でも僕は精一杯我慢して、部屋の隅っこにあるギターを両手で持ち上げた。本当に、仕方がないのだ。惚れてるのはこっちだから。
幸い練習した曲はいくつかあるので、僕はぼやけた視界の中でチューニングをして、再び朝日向さんに目を向けた。
交わった視線から見える朝日向さんの顔は、少し呆けているような気がした。
「えっ、どうしたの?」
「…………」
「き……聞きたい曲とかあるかな?」
「あ………あ!な、なんでも構わないよ。五十嵐君の好きな曲にして」
「…………はい」
…なんなのかなこの空気。ものすごくもどかしい感じがするけど。何だか、さっきから朝日向さんにずっといじられているような……
でも好きな曲……か。じゃ、最初に練習した曲にしよう。バリアがポップアーティストと作業した、僕が一番最初に聞いた彼の曲。
お母さんと歩夢にはもう何度も聞かせているので、もう手がコードを覚えている。早速、僕は指を動かして音楽の世界に飛び込んでいった。
心地いい音が、部屋の中に響き渡たり始める。
「……………」
「……………」
指を動きながら、リズムに合わせて体が少しずつ揺らいでいく。笑みがこぼれて僕の顔を滲ませた。
これだ。この時だ。
音楽を堪能しているこの時があるからこそ、僕はまた明日を生き抜いていけるのだ。これが僕にとっての希望。耳元で流れてくる音に合わせて、益々指の動きを早くして行く。
そして演奏が終わる頃には、朝日向さんはさっきよりずっと驚愕した顔で僕を見据えていた。
「えっと……朝日向さん?」
「あ………はい」
「何で尊敬語……?」
「いや、違うの。その……なんていうか」
朝日向さんはなんだか嬉しそうな顔で、もしくは感心しているような顔でそう言った。
「……五十嵐君って、すごいんだね」
「…………なん、で?」
「……本当に知らないのか。まぁ、今はそれでいいよ」
小首を傾げながらそう答える朝日向さんに、僕は何も言い返せなかった。
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