37話  切実さ

灰塚はいづか 日葵ひまり



一目で見た瞬間から、私はものすごい違和感を覚えていた。

だって、あのれんがあんなにも自然に笑っていたのだ。心底から信頼して、心を許した人じゃないと見せないあの笑顔を………この女の子に、向けていた。

それに、追及された時に連が見せてくれた、あの慌てっぷり。



『いや、この子は……その…』



家出してから、連はほぼ毎日のように私にメールで報告をしてくれていた。

でも、私は同い年の女の子の家で寝泊まりしているという話を聞いた覚えはない。連が言ってくれた泊まり先は、いつもホテルだった。

連がウソをついてまで、かばおうとした女の子。

その子を前にしている私は、どうしても穏やかな気持ちではいられなかった。

ここは彼女の家の中。れんには少し強めに言って場を外してもらった。

ガールズトークと言うにはちょっと空気が重いけど、知らなければならないことがあるから。



「…………」

「…………」



……そっか、この子が連を変えたのか。改めてみると本当に綺麗だなと、つい感心してしまう。

何一つ飾らない素顔なのに目を引くほど整った顔立ち、静寂せいじゃくで落ち着いている雰囲気。

それと同時に、どこか退廃的な破片を感じられる目と、このアッシュグレーの髪の毛。

普通の高校生に宿やどるはずのない神秘さが、彼女には宿っている。

私も大学に行ってそれなりに多くの人々を会ってきたつもりだけど、こんなに印象的な子は今まで見たことがない。



「あなた、名前は?」

「……杠叶愛ゆずりはかなと言います。弟さんとは同じクラスで、仲良くさせていただいています」

「…本当にただ仲がいいだけ?家出中のクラスメイトを連れ込んで、一週間も同じ屋根の下で住んでたのにね」

「…………」



見る見るうちに彼女の表情がくもっていく。ちょっと刺々とげとげしい口調になってしまったけど、これくらいは勘弁して欲しかった。

本当に、本当に大好きで、大切な弟なのだ。

少し過保護かもしれないという考えはあるものの、この状況を見過ごすわけにはいかなかい。



「…一人暮らしなの?」

「はい」

「その割には家がけっこう広いわね。親御さんは?」

「…お二人とも、去年亡くなりました」

「……………ごめんなさい」

「いえ、そこまでは」



答えを聞くや否や、私は地雷を踏んだことを自覚して、自分の発言に後悔した。

だというのに、彼女は全く気にしない様子で淡い微笑みをたたえている。その痛そうな笑顔を見て、私は何か複雑な事情があるということを直感的に察した。



「…質問を変えるね。連と杠さんはどういう関係なの?付き合ってはいないんでしょ?」

「はい。ただ弟さんには……その」

「その?」



彼女は少しの間言いよどんでいたけど、すぐに顔をあげて私に語りかけてきた。



「……命を、救ってもらいました」

「……………え?」

「……物理的な意味の、命です」



…………え?

なにそれ、聞いてない。連が……?



「…彼をこの家に連れ込んだのは、あくまで私の仕業しわざです。弟さんは何も悪くありません。弟さんは、ただ私のわがままに付き合ってくれただけで…本当に、彼にはなんの非もないんです」

「いや、ちょっと待って……杠さん」

「その、ですから」



彼女の顔が徐々に切実に、そして深刻になっていく。唇もぶるぶる震えていて、見るだけでもその緊張さが伝わってくるようだった。

頭が追いつかない状態のまま、私は目を見開く。



「お願いします。このことを、親御さんには言わないでもらえませんか?」

「………えっと」



少し慌ててしまったけど、でもちょうどいいチャンスだと思った。

彼女の本質を見極めて、連とどんな関係を築いているのかを確かめるチャンス。

声にドスを利かせて、私はあえて厳しい表情を作って言い出す。



「なんで、私がそうしなきゃいけないの?」

「………それは」

「私にとっても大事な弟だよ?あなたの言う通り優しくて気配り上手な、私の自慢の弟なの。そんな弟がいきなり親と喧嘩した挙句に家出して、その上に彼女ですらない女の子と一週間も同じ家で過ごしていたんだよ?杠さんも私の気持ち、少しくらいは分かるでしょ?」

「………………」

「……連の姉として、私はどうしてもこの状況を見過ごせない。本当に大好きだからこそ、その分正しい道を歩んで欲しいからね」



わざとらしく深刻そうに言ったものの、ある程度は私の本音でもあった。

だって、あんなにロボットみたいな連が親に歯向かうなんて、かつては想像もしてなかったことだから。

その急速な変化については理解できない部分もいくつかあったし、なにより家族としての純粋に心配だった。

だから、彼女も何も言い返せず押し黙っているのだろう。彼女はさっきからうつむいたまま、膝に置いた手を震わせている。

……まぁ、さすがに大事になってしまうから、お父さんには言わないけど――



「もう、会いません」

「……え?」

「もう会いませんから。だから……お願いします。今後一切、弟さんとは顔も合わせないようにしますから……お願いします。親御さんにだけは、言わないでください」

「……………………」

「お願いします……悪いのは私ですから。お願いします。彼を責めないでください。なんでもしますから、彼にはもう近づきませんから……彼は、本当になにも……!」

「……………」



駄々をこねる子供のように、彼女はそんな言葉だけを繰り返す。

思わぬ反応に、私はまた慌てて目を丸くしていた。

普段の私なら、いくらこんな言葉を聞いたって絶対に動揺しないはずだ。心を動かすには私にとっての連の存在が大きすぎるから。

なによりこれは、彼女がとっさに紡いだ適当な弁明なのかもしれないのに。

……でも、その割には。

その割には、あまりにも声が切実だった。



「……それはできないよ。あなたの言葉だけを聞いて判断できる問題じゃない」

「全部、全部私が悪いんです。初めて家に誘ったのも、週末に約束を取り付けたのも全部私からなんです。必要でしたら私が直接親御さんに会って謝罪しますから。だから……!」

「……いいよ、そこまで」



……もう、心がチクチクしてもう見ていられないな。

寄り添った後に伺った顔は、すっかり涙でぐちゃぐちゃになっていた。

なるほど、どうりでさっきから全身を震わせていると思いきや、泣くのを必死にこらえていたのね。

彼女の肩を手で優しく包んでから、私は少し俯いて潤っている瞳と視線を合わせる。



「…さっきも言った通り、あなたの言葉だけを聞いて判断できる問題ではないの。だから、連の話もちゃんと聞いてから親に話すかどうかを決めるね。あなたが連をどんなに思ってくれているのかは、はっきりと伝わったよ」

「……それは」

「杠さん。一つだけ聞きたいことがあるけど、いい?」

「…………聞きたいこと、ですか」

「うん」



この涙……演技じゃないよね?演技とはとても思えないけど。これがもし演技だったら、きっとトップクラスの俳優さんか何かじゃないかな。

えも言えぬほど悲痛まみれの顔だった。うるんでいる涙がすべてを物語ってくれる。

連と会わないことが彼女にとってどれほどの苦痛なのかを、伝えてくれる。

………この子は本当に連が大好きなんだなと、私は気付いてしまった。



「連のこと、どう思ってる?」

「どう思ってる……って」

「言葉のままだよ?ありのまま、言ってごらん」



間もなくして、彼女の口が開いた。



「……とても、大切な人です」

「うん」

「幸せに……絶対に幸せに、なって欲しいです」

「………そっか、幸せか」

「……ずっと…幸せであってほしいんです。ずっと……」

「…分かった、わかったから、もう泣かないで」



そうは言われても、彼女は堰を切ったようにずっと泣いていた。

こぼれ落ちるその涙を、私は着ている服の袖で丁寧に拭っていく。

まぁ、まだ知らないことがたくさんあるけど、それは後で連に聞こうかな。

……でもそっか、ある程度は見えてきたかもしれない。

連がなぜこの子と一緒にいるのか、私も少し分かったような気がした。








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遅れてしまって申し訳ございません。

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