35話  救い

ゆずりは 叶愛かな



叔父さんからすべての真実を聞いた私は、文字通り壊れてしまっていた。

ありとあらゆる感情が混ざってぐちゃぐちゃになっていた。それに対抗できる力が、私にはなかった。

どうして頑張ってきたのだろう。

両親に認められたくてなんでもして来たというのに。たった一度も振り向いてくれなくても、すべて飲み込んで傷口にふたをして、ここまで来たというのに。

父は、母を見殺しにした悪魔で。

継母はそれをすべて知った上で父と体を交えた、忌々いまいましい人間だった。



『……………』



…誰か教えて。わたしはこれからどうすればいいの?

わたしは……わたしは……どうすれば……



『お姉ちゃん~一緒にゲームしよ?』

『………あ』



一人で頭を抱えている最中に、義理の妹であるユリが部屋の中に入ってくる。

正真正銘の天才で人当たりもよく、私よりなにもかも優れている妹だった。嫉妬の対象でありながらも、心から大好きだと言い切れる存在。

それが、私にとっての杠ユリだった。



『お姉ちゃん…?どうしたの?電気も付けないで。ほら、早くゲームしよ?』

『…テスト、あと一週間しか残ってないじゃない』

『え~お姉ちゃんと私ならきっと大丈夫だよ。ちょっとした息抜きに、ね?』



ユリのこういうところが、本当に大嫌いだった。

ユリは普段からあまり勉強をしない。テスト期間にもほとんどゲーム三昧で勉強する素振りすら見せないというのに、ユリはいつも私より成績がよかった。

その生まれ持った才能に何度も挫折ざせつしてたけど、それでも私は一生懸命にユリの背中を追いかけていた。大好きな妹と同じ場所に立ちたくて、頑張っていた。

でも、その願望がずたずたに引き裂けられた今。

抑えきれないほどの憎しみと恨みが、私を飲み込んでいった。



『お姉ちゃん?顔色わるいよ?大丈夫?』



……あなたさえいなかったら。

あなたさえ生まれなかったら、すべてが丸く収まっはずなのに。

母も自殺せず、両親が離婚することもなく……私も普通に、普通になれたはずなのに。

幸せになれたはずのに。



『お姉ちゃん……?どしたの?』

『…………っ』

『ちょっ…おねえ…………うっ…!!』



わたしはただ、ただ…

他の子たちのように、普通でありたかっただけなのに……



『わた………しは』

『かっ…!あっ……おねえ……ちゃ』

『あ………ああああ………』



私は、いつの間にか妹の首を両手でめていた。

殺したいという強い意志をを込めて、手に精一杯の力を入れて、妹をこの世から排除はいじょしようとしていた。

ユリは私の手首を握ったまま涙を流している。

私はその顔を脳裏に刻んで、奇怪きかいなうめき声を上げていた。

段々とユリの手から力が抜けていくのを感じながら、私は壊れた人形のように何度も言葉を繰り返す。私は悪くない、悪くない、悪くない………

…………いや。

わたしは……………



「………うっ!!」



光が点滅てんめつするように我に返ったわたしは、ぱっと後ろに身を引く。

全身が震え出して、言葉が思い通りに出て来なかった。



『ケホッ!ケホッ……!かっ……かぁああ……あ……』

『ゆ……ご……ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい。ユリ、わたしは……』

『お……ね』

『なにしてんだお前!!!』



そして次の瞬間、私はなにか硬いものにぶつかれてそのまま床に倒れてしまった。

目を開けると、いきなりひどい耳鳴りと共に痛みが迫ってくる。思いっきりほっぺを叩かれたのだと、私は10秒くらい経ってからようやく察した。

顔をあげると、あの人はまるで串刺くしざしにでもするような目つきで私をにらんでいた。

軽蔑と嫌悪が入り浸っている視線。母の葬式で見た、あの時の目だ。それを再び浴びてから、私は思い知る。

最初から、この人は私の父親ではなかったということを。



『消えろ……』

『…………』

『俺たちの前から、消えろ!!!』



そうやって家から追い出された私は、家から遠いところにあるマンションで一人暮らしを始めた。ユリとはそれ以来、まったく会っていなかった。

毎日暗い部屋で項垂れたままちて行った。見捨てられた私の傍にいてくれる人は、誰もいなかった。

そして高校の入学式が始まるちょうど一週間前。

私の携帯に、あるメールが届いた。



『…………はっ』



内容を確認した瞬間、私は思わず失笑してしまった。

家族全員、交通事故で死亡。

直ちに、本家に帰ってくること。

数時間後、たどり着いた病院の中で親戚たちが悲痛な顔をしているのを眺めながら、私は叔父さんにあるお願いをした。



『妹の死体を見せてください』

『…いや、それはさすがに……』

『まだ、火葬かそうしたわけじゃないんですよね?だったら、見せてください』

『……あまり見ていいもんじゃねぇぞ』

『それくらいの権利は、私にもあるじゃないですか』



長時間の口喧嘩の末に案内された一室では、白い布をかけられた死体があった。

ゆっくりと、私は顔の部分だけその布をはがす。そしたらもう枯れ果ててしまった青白い顔が、姿を表した。

おでこに残された血痕。色をまとっていない唇。でもまぎれもないユリだった。

私の妹の、ユリだった。

いつも私をかばってなついてくれたあの妹だった。でももう動かない。

体から変な匂いがして反吐が出そうになった。その匂いをたっぷり嗅いでからやっと、私は実感する。

ユリは、確実に死んだのだと。



『あ………ああああああああ……』



毎日のように私にくっつけてきた頬はもう冷え切っていて。

無邪気に私とゲームをしたがっていた妹は、もう戻ってこない。



『あ……あがっ………ああああああああああああああ!!』



死というのは、ありとあらゆる法則を無視して人々を離れ離れにする。

まだ謝罪もまともにしてなかったのに。一生かけて伝えても足りないくらいの感情があったのに。

この愛をたった一度でも伝えなかったのに、なのに……



『ははっ………はははっ………ああ……はははは……!』



なのに、私は笑っていた。

ユリが死んだのが嬉しくて嬉しくて、心の奥底から湧き出る喜びに流されていた。

霊安室れいあんしつのドアが開かれて、叔父さんと目が合った。でも私にはどうしようもできなかった。

涙をこらえることも、笑いを止めることもできず、ただただ甲高い声でわめくしかなかった。



『ははははっ……かはっ………あああああ………ははっ』








「………」

「…幻滅したんでしょ?ごめん」



灰塚はいづかはたった一言も口に出さず、私の話を真剣に聞いてくれた。

でも、聞いてくれるのと受け入れてくれるのには大きな違いがある。少なくとも私は幻滅されても仕方ないと思った。

こんな歪な女だから。

妹の亡骸なきがらを目の前にして笑い出す姉なんて、受け入れられるはずがないから。



「ごめんね、変な話聞かせちゃって」

「………いや」



私はひたすら謝りながら灰塚の次の言葉を待つ。彼は何度も口を開いて閉じたりして、必死に何らかの言葉をつむごうとしていた。

その挙句、放たれた言葉は…



「………こちらこそ、ごめんな」

「…………えっ?」



想像もつかなかった、謝罪の言葉だった。



「…………なんで?」

「……」

「なんで?なんであなたが謝るの?なんで?」



あなたは悪いことなんて何一つしなかったのに、と言いかけたところで私は彼の言葉の意味を察する。

彼は助けたからごめん、と言っているのだ。



「お前が助けられることによってともなわれる苦痛を、俺は全く知らなかった」

「……灰塚」

「…俺はもうちょっと、お前に寄り添うべきだった」

「…幻滅したり、しないの?」

「うん?」



そして灰塚はちょっとだけぎこちない笑みを浮かべながら、言った。



「あまり、そういう気にはならないけど」

「……………」



予想外すぎて、私は呆気に取られてしまう。ここまで真面目でバカだとは思わなかった。

なんで自分が助けた人の人生に、ここまで責任を取ろうとするの。



「…はいづか」

「そんな変なものを見るような目で見るなよ」

「………だって」

「まぁ、知ってるよ。俺もどこかズレているってことくらい」



そう言った灰塚は急に恥ずかしくなってきたのか、視線を逸らしたまま頭をかき始める。

私は、涙を流しそうになるのをぐっとこらえながら顔をほころばせた。

抱きしめられてもいないのに、体中に熱がじわっと広がっていった。



「…ありがとう、灰塚」

「………」



私は灰塚の手の上に自分の手を乗せてぎゅっと握りしめる。涙でごちゃ混ぜになった顔を伏せたまま、その大きな手を強く掴んだ。

そしたら灰塚は、その手を優しく引き寄せてから、私を抱きしめてくれた。

私の首筋に顔を埋めながら、彼は相変わらずのフラットな口調で言う。



「……こんな時にはさ、何を言えばいいのか、正直分からないけど」

「……うん」

「……頑張ったよ、杠は。俺が保証する。杠は、誰よりも頑張ったから」

「……………うっ」

「だから、もう頑張らなくていいよ」



その言葉を聞いて、ついに私は大きな声を上げながら子供のように泣き始めた。

灰塚の匂いにつつまれながら、私は何度も考える。

あなたと一緒にいるこの時間が好き。あなたのことが大好き。

言葉の代わりに思いの分だけ、彼を抱きしめた。

灰塚がどんな顔をしているのか、目をつぶっている私には見えなかったけど。



「生きていてくれて、ありがとう」



その声を聞いただけでも、私は救われたような気がした。

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