29話  買い出し

ゆずりは 叶愛かな



いつまで許されるのだろう。

勝手な都合で彼を振り回して、彼の匂いを吸って心を満たして。いつか彼に避けらたらどうしようと不安に怯えながらも、私はいつまでも彼に甘えてばかり。

でも、一緒にいたいから。

こんな理不尽な命令をしてまで、彼と一緒にいたいから。心が満たされる気持ちよさにずっとひたっていたいから。



「…………ふぅ」



……なんで。

なんで、こんなに重くてめんどくさい女に育ってしまったんだろう……



「杠、いるか?」



項垂うなだれていたその時、ちょうどドアの向こうから聞きなれた声が響いてくる。私が利用していて、かつ愛している人の声。

嬉しさが顔に出ないようぐっとこらえて、私はドアを開いた。すると、ちょっとぎこちない顔をしている灰塚が姿を現す。



「…おはよう」

「うん、上がって」



大きなキャリーバッグ…本当に家出中なんだ。



「…なんか料理でもしてるの?髪結んで、エプロンまでつけて」

「まぁ、カレーだけどね。あなたの分までちゃんと作るから、荷解きして大人しく待ってて」

「いや…荷解きってお前、本当に…」

「…おそわないから」

「…………」



沈黙が気になって振り返ると、驚愕きょうがくしているとも言える顔が見えてくる。私はちょっとだけ目を細くして、頬を膨らませた。

……この男、私をなんだと思ってるの。



「…じゃ、今日はなんで呼び出したんだよ」

「…最初は、確かにエッチするつもりで誘ってたんだけど。でもやめた」

「なんで?」

「家出したんだから色々と大変なんでしょ?それに、勉強の邪魔をするつもりはないし」

「………」

「……別に、あなたがしたいのなら、私は構わないけど」



珍しく、彼は慌てて口をあんぐりと開けていた。そりゃ、いつもは私から襲ったりするから、今日もてっきりその流れに入るのだと思ってたんだろう。

でも状況が状況なのだ。あの灰塚が家出をするくらいなら、きっと精神的にも疲れているはず。そんな状態で無理強いをしたくはなかった。

……笑える話。散々彼を振り回してきたくせに、今さら気にかけるような真似をするなんて。自分でも矛盾むじゅんしているとは思うけど、仕方なかった。

そもそも、私が灰塚に抱いているこの感情自体が、矛盾しているのだから。



「迷惑じゃないの?」

「え?」

「……だから、俺といるのが窮屈きゅうくつだったりしないのかって聞いてるんだよ。電話で言った通りお金もけっこうもらったし、俺は別に…」

「迷惑じゃない」



とっさに出てきた言葉に、言った張本人である私さえ少し驚いてしまった。



「……て、ていうか、今さら遠慮する必要とかあるの?あなただってもうこの家に何度も来てるでしょ」

「でも、一週間近くも泊まるのはさすがに…」

「……迷惑だと思ってたら、そもそも家に誘ったりなんかしない」



一緒に時間を過ごしたい。

私の世界に足を踏み入れて欲しいから。好きな人とは、もっと一緒にいたいから。

ホテルに向かおうとする彼を引き留めたのは、そんなシンプルな理由だった。



「………まさか、さっそく約束を破ることになるなんて」

「うん?」

「いや、こっちの話。じゃ……お言葉に甘えて」

「……うん」

「ちなみに言っておくと、テスト勉強はしないぞ。教科書も持ってきてないし」



………え?

灰塚が……勉強をしない?



「……なんだよ、その目」

「………えっと、存在意義を失ってない?」

「喧嘩売ってんの?」

「いや……うん、そうだね。確かに私がどうこう言える問題でもないし…とにかくカレー作ってあげるから、待ってて」

「…分かった」



そっか……親御さんと喧嘩までしたんだから、勉強も何もまともに集中できないんだよね。

…じゃ、どうやって過ごせばいいわけ?これから一週間も同じ屋根の下でいなきゃいけないのに。ウチはゲーム機とかもないし。

それに彼と一緒にいる時は、いつだって……



「杠」

「は、はい!!」

「………杠?」

「あ……くっ……な、なに?」

「いや……クローゼットの空いている空間、使ってもいいか?」

「うん、構わないよ」

「…ありがとうな」



彼は少々眉をひそめてはいたけど、すぐにキッチンから姿を消してくれた。その時になってようやく、私は溜まった息を吐いて心を落ち着かせる。

………よかった。バレてなくて。

でももしかしたら、私……



「……とんでもないこと、しちゃったのかも」



包丁で野菜を切りながら、私はぼそりと呟いた。








「そうだ、俺ちょっとコンビニ行ってくるよ」



食事を済ませて皿洗いまで終えた灰塚は、急にリビングに戻ってそんなことを言い出してきた。



「なんで?必要なものでもあるの?」

「歯ブラシ。持ってきてないから」



……あ、そうか。まぁ、喧嘩した後に歯ブラシとか、いちいち細かいことを気にするなんてできないもんね。

そう思い至った瞬間、とっさに頭のなかであるアイディアがひらめいた。



「じゃ、そのついでに買い出しにでも行く?」

「買い出し?」

「うん、食材もないし、あなたの食器だって買わなきゃいけないんでしょ?」

「いや、そこまでしなくても……」

「私が、気にするの」



一人暮らしなんだから、当然二人分の食器なんて揃っていなかった。それに、少なからず私情も入っていたのだ。

自分でも情けなくなるけど、仕方がない。同棲するカップル感を出したいとか…そんなの、叶うはずがないって知ってるのに。

でも灰塚が私の家に泊まることなんて、これが最後かもしれないから。



「分かった。じゃ行くか」

「…うん」



スーパーまではここで十分も掛からないので、私たちはお互いラフな格好のまま家を出た。そしてゆったりと歩いてからスーパーに着く。

連休のせいなのか、思ってた以上に人が混んでいなかった。



「そういえば、なに作るの?」

「そうね、なにが食べたい?」

「は?」

「え?」



振り返ると、灰塚は目を丸めたままこちらをじっと見ていた。

えっ、なんで?私、何か言い間違えた……?



「いや…その、俺の要望を聞くとは思わなかったから」

「あ………私も鬼じゃないし、リクエストとかがあったら普通に応じるから。食べたいものがあったら言ってちょうだい」

「じゃ、作りやすくて簡単なもので」

「……あんたね」

「いや、だって本当になんでも構わないし」



この男はいったい……ちゃんと自我を持ってるのかな。



「ふうん…そう。じゃ、私の勝手にすればいいってことよね」

「うん、それで構わない」

「それじゃ、ラザニア」

「…………は?」



一瞬に出てきた腑抜ふぬけた顔を見て、つい吹き出しそうになる。

全く予想してなかったのか、灰塚はもう口まであんぐりと開いて驚いていた。ダメ。本当に大声で笑っちゃいそう。



「いや、俺…簡単なものって、言わなかったっけ?」

「うん。でもそのリクエストに応じなきゃいけない義務はないからね」

「…じゃなんで聞いたんだよ」

「言っておくけど、普通に応じるつもりだった。あなたが変な気を回さずきちんと言ってくれてたらね」

「そもそもラザニアって、本当に作れるの?」

「失礼ね、前に一度だけやったことあるから。暇な時はちょくちょく料理してるし」



もちろん再びレシピに目を通す必要はあるかもだけど、この前にちゃんと成功してたから、きっと大丈夫なはず。

それになによりも…好きな人に、美味しいものを作ってあげたいし。



「それじゃ人参と玉ねぎと…ラザニアのシートってあるのかな」

「はぁ…」



ようやく諦めがついたのか、灰塚はふうっとため息をついて頷いてくれた。

私はひそかに口角を上げてから、店内を回り始める。



「ていうかできるんだな、料理」

「うん?」

「お見舞いに行ってたときは冷蔵庫からぽだったから、てっきりコンビニとか惣菜で済ませてると思ってた」

「たまには弁当で済ませてるんだよ?一人暮らしだと面倒な時もあるからね」

「やっぱり」

「……後で覚えてなさい。絶対に驚かせてあげるから」

「ぷふっ、そっか」



あっさりと答えて、彼は苦笑交じりの顔を浮かべる。



「楽しみにしてる」

「……そう。楽しみにしていなさい」

「うん。分かった」

「………」



この表情だ。

この優しい表情にはとうしても勝てる気がしない。いつも心がふにゃふにゃに溶かされてしまう。顔が一気に熱くなるのをなんとか隠しながら、私はいち早く足を運ばせた。

そしてなんとかして買い出しを終えたあと、灰塚はさりげなくパンパンになったビニール袋を手に取って先にスーパーから出ようとした。

その後を追いかけながら、私は叫ぶ。



「ちょっと、待ちなさい!」

「うん?」

「お会計も割り勘でしたじゃん。あなたにだけ持たせるわけにはいかない」



ラザニアの具材とその他の食材も色々買ったので、きっと軽くはないはずだった。なのに彼は何気ない顔で、ほんのちょっとだけ目を細めてから言う。



「……無償の善意だと受け入れたらどう?」

「…何度も言ってるでしょ。私、あなたにそんなこと望んでない」

「本当、お前ってやつは」



しょうがないと言いたげな顔をして、彼はまたため息をつく。

そして次に浮かんできたのは、嘲笑も呆れもないほほ笑み。



「百均」

「え?」

「この後、百均行くんだろ?その時の荷物はお前が持てよ。これで公平だろ?」

「……屁理屈言わないで、さっさとよこして」

「いや、でも袋は一つだけだし」



………うっ。



「……なに、その顔」

「うん?なにが?」

「……だから」



彼には絶対に聞こえないほどの小さい音量で、私は呟く。



「…調子に、乗りすぎ」



……ダメ。

心臓がドキドキする。顔はすでに熱がこみ上がってきて隠すのが精一杯だった。

この何気ない優しさが、いつも私を狂わせる。体の芯を熱くさせる。

この人のことが本当に好きなんだと、再び自覚させられる。何度も気付かされて、何度も悟られて……どうしたらいいのか、分からなくなって。



「…本当に、重くないの?」

「うん。重くない」



……こんなウソつきなんて、大嫌いなはずなのに。




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