28話  私の家で

灰塚はいづか れん



「ぶうう……」

「…ごめん」

「連のバカ。わたしせっかく会いに来たのに~」

「だからごめんって……」



響也きょうやにお世話になったその来日、俺は日葵ひまり姉ちゃんと常連であるカフェで顔を合わせていた。



「話はだいたいお母さんから聞いた。そりゃ、いきなり外出禁止とか言われたらイラっとするのも分かるけど…すごく驚いたんだからね?」

「……そんなに?」

「うん、だって幼いころからの連、一度も駄々こねたり反抗したりすることなかったじゃん。それに週末はしょっちゅう出かけているらしいし。こんなの、私が知ってる連じゃない」

「…まぁ、人は変わるからね」

「変わって欲しくないことだってあるの。て言っても、ある程度はのぞましいと思うけど」

「は?望ましいって?」



お父さんにあんなこと言って、家出までしたのに?

目を丸くしている俺に向かって、姉ちゃんはニコッと笑った。



「だって心配だったから。ほら、連は昔から父さんのせいでずっとロボットみたいになってたじゃん?姉の立場からすると不憫ふびんっていうか、可哀そうなところもあったんだよね」

「へぇ、それは初耳だけど」

「今まで言わなかったから。でもようやく自我を取り戻したみたいで、少し安心しました」

「自我って……俺をなんだと思ってるんだよ」

「愛おしい弟。だから……ちゃんとは白状はくじょしてもらおうかな」



そして舌の根も乾かないうちに、姉ちゃんは急に俺の鼻先をぎゅっとつまんできた。



「誰なの、あの女」

「ちょっ……え?」

「やっぱり彼女いるんでしょ?!誰よ、その女。さっさと白状せんか!」

「ちょっ…前に言っただろう。彼女なんていないって……いたっ、力抜いて!」

「やだもん~ウソつきな連なんか、お姉ちゃんは大嫌いなんだもん~」

「あんた小学生か!」

「大学3年ですぅ~早く白状しなさい!反抗期だからってお姉ちゃんにまで逆らう気?!」

「だから、姉ちゃんが考えてるようなことじゃ……あ、もう恥ずかしい……全部言うからもうやめてくれよ……………」



鼻声で言ってると死にたくなってくる。そもそも周りの視線が激しすぎだった。

姉ちゃんはそれまでも頬をぷくっと膨らませていたけど、とりあえず鼻をつまんでいた手は離してくれた。

……ていうか姉ちゃん、なんでこんなに怒ってるの?



「…そろそろ弟離れしたら?」

「あと五十年くらいはムリ」

「…………やだよ、結婚しろよ」

「やだ、連がやしなって……って、今また話をそらそうとした~!今度はきつめに……」

「分かった、わかった。言うから!」



はぁ、どうしてこんなことに……でも日葵姉ちゃんだし、ある程度は話してもいいんじゃないかな。

セフレなんてのは絶対に言えないけど、ある程度なら……まぁ。

結局、姉の脅迫に屈服した俺は仕方なく舌鼓を打ってから言った。



「本当に、ただの友達なんだよ。ちょっとだけ気が合って、放課後にたまに一緒に勉強したり帰ったりするだけ。週末に出かけるのは友達との約束もあるし、その他諸々もろもろあって……」

「ふうん……」

「……なんで不満顔?」

「気が合う、放課後に一緒に過ごす、否定しなかったから女というのは確実で……」

「…姉ちゃん?」

「その子、可愛いの?」

「………えっと、可愛い方……だとは思うけど」

「へえええ…………」



姉ちゃんは何かを口ずさむや否や、いきなりまた鼻をつまんできた。さっきよりずっと痛い。



「いやっ、なんでだよ……」

「うるさい。連に彼女できるの、わたしは反対。ああ~娘をお嫁に行かせる母親の気持ちってこんなものかな?私、なんかすごく寂しい」

「こらっ……だからって鼻をまむな。付き合ってもないし姉ちゃんが思ってるような関係でもないから」



何がそんなに気に食わないのか、姉ちゃんはずっと半眼を向けていたけど、やがてため息をついてからようやく手を引いてくれた。



「いいな~高校生の恋愛。私も高校生に戻りたい」

「だから、そんなんじゃないって」

「……へぇ、気付かなかったの?例のあの子を説明している時の連の顔、少しだけ二やついてたよ?」

「………………いや、それはウソだろ」

「へぇ……わたし、あの子に会ってみたいな。会って私の連を返しなさいと叫びたい」

「安心していいよ。絶対にあいつとは会わせないから」

「私の連を、返してぇぇえええ~!」

「ちょっと、周りが聞いてるじゃんか!!」



……いつもこうだ。会話のテンションが高すぎてついていくのが大変だ。

でもいつも元気をくれるし、なんだかんだ言ってすごく大事にしてくれる。姉とこうして話すのは素直に嬉しかった。

この人は、家族の中でもっとも信頼できて頼れる存在だから。



「まぁ、浮気の件はここまでにして。ちょっと真面目な話をしよっか」

「………はい、はい」

「真面目な話をするの。これからどうするつもり?泊まり先とかあるの?どうせお金もあまり持ってないんでしょ?」

「ネカフェにでも行く予定だった。後はまぁ…………露宿ろしゅく?」

「…………………れん?」

「はいっ、ごめんなさい………」



うわぁ………これ以上言ったら殺されそう……

返す言葉も見つからずうじうじしてると、姉ちゃんはしょうがないと言いたそうな顔で、カバンから財布を取り出した。



「日曜日まではちゃんと家に帰ること」

「えっ?」



そして、驚くことに7万円という大金を渡してきた。



「えっ、ちょっと……え?こんなに多くは要らないよ」

「ネカフェよりホテルに泊まること。そして時々、私に電話して状況報告をすること。はい、この三つの条件をんでくれれば、このお金あげる。分かった?」

「いや、こんなに要らないって……姉ちゃんこそ大丈夫なの?こんなに……」

「それくらい、心配だから」

「………」



申し訳なさを覚えて少しうつむいたら、姉ちゃんはすぐに身を屈めて俺の頭を撫でてきた。



「とっても大切な弟だから。それに私のお小遣いなんて普段から余るほど両親にもらってるし、連が気にする必要はないよ」

「……ごめん」

「ううん。連がいっぱい頑張ってきたの、誰よりも私が一番よく知ってるから。だから今回はテストのことなんて気にしないで、一人でゆっくりしてなさい。世の中にはね、成績よりもっと……もっと大切なものだって、あるはずだから」

「…大切なもの?」

「それは、私もまだ分からないけどね」



…大切なもの。姉ちゃんにこんなことを言われるのは初めてだった。

こう見えて生真面目な俺の姉は、幼い頃から誰よりも成績を気にしていたのだ。恋愛も部活もすべてほったらかしにして、医者になるという一念だけで努力してきたから。



「そうだ、次に私が帰ってきたらね、一緒にどっかに遊びに行こ?」

「……分かった。でも恥ずかしいから頭でるのはやめてよ。周りの人が見てるじゃんか」

「やだ。私だって何らかの報酬は必要なの」

「……まったく」

「ふふっ、その呆れ顔してる時の連、すごく好き」

「…………」



なんでこんな顔が好きなんだよ、と言いたいところだが。

心優しい姉にただ笑うだけで、俺はしばらくの間、恥を耐えながらずっと頭を撫でられていた。








姉ちゃんと別れた後、俺はさっそくスマホで近所のホテルを検索していた。せっかく心配して出してくれたお金だし、好意にはちゃんと甘えるべきだろう。

間もなく適当に良さそうなホテルがあったので、さっそくそのホテルに向かって足を運んだ。

そうして道を探している最中に、突然ポケットからスマホが鳴り始めた。



「えっ………」



画面には、杠からのメッセージが表示されていた。



『今どこ?』

「…………」



今日は週末、そして週末に杠から来たメッセージ……たぶん、いつもの呼び出しなのだろう。

どう答えるべきか一瞬迷った。普段なら迷わず彼女の家に向かうはずだけど、今は絶賛家出中なのだ。キャリーバッグを引いて杠と会うなんて、どう考えても違和感がありすぎる。

しばし悩んでいると、まるで返事を急かすようにまたメッセージが届いた。



『答えて』

「……はぁ」



……さすがに会うのはムリだよな。

杠の家に泊めてもらう案もあるけど……彼女に迷惑を掛けたくはないし、そもそも俺たちはそんなことを気楽に頼めるような間柄でもないから。

とにかく文面より言葉で説明した方が早いと思って、俺はさっそく彼女に電話をかけた。



『もしもし』

「悪いけど…今度の週末には会えない」

『え?どうして?』

「親と喧嘩して家出したんだよ。状況が落ち着くまでは一人でいた方がいいだろ?キャリーバッグ引いてお前の家に押しかけるわけにもいかないし。だから悪いが、今週は………」

『……関係ないよ」

「は?」

『どうせ行く先もないんでしょ?GWゴールデンウイークが終わるまであと一週間もあるのに、その間どこで寝泊まりするつもり?』

「いや、それはなんとか…」

『答えて』

「………姉からもらったお金があるから、ホテルにでも泊まるつもりなんだけど」

『…そう』



何を考えてるのか、杠は少々言葉尻をにごしていた。

なのに次の瞬間、その声はとびっきり鮮明なものとなって俺を驚かせる。



『なら、うちに来て』

「いや、だから今週は…」

『うちに、泊まりなさいって言ってるの』

「………………は?」



今、こいつ何を…?



『これは命令。GWが終わる前まで……私の家で泊まりなさい」

「…………」



いきなりすぎる発言に、頭が追いつかず。

ただぼうっと立尽くしたまま、俺はしばらく何も答えられなかった。

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