26話 家出
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「ただいま」
送らなきゃ良かったのかな、なんて考えが一瞬頭をよぎったけどすぐに首を振った。身勝手な考えだけど、俺には杠を見守る責任があると思うから。
それになによりも、彼女といる時間は気楽て……楽しいから。
「……本当、おかしくなったもんだ」
苦笑して
なんてことを考えてドアを開けると、真っ先に不安そうにそわそわしている母さんと、いつになく顔をしかめている父の姿が見えてきた。
「お前、今までどこにいたんだ」
その険悪な口調を聞いてすぐに気付くことができた。今日は、いつも以上にマズいのかもしれない。
「…友達の家で勉強してくるって言ってなかたっけ?」
「今なん時だ」
「…8時半。でも遅くなるかもしれないって、先に連絡も入れておいたけど」
俺は少なくとも、自分に非があるとは思わなかった。夕方にちゃんと母に連絡も入れておいたし、多少は喋っていたけど真面目に勉強したのも本当のことだから。
なのに父はその
「今まで何をしてたんだ」
「さっきも言ったじゃん。友達の家に勉強してたって……」
「最近のお前は、少しおかしいな」
「は?」
父は基本的に厳しい人間だ。ところどころしわが寄っているけどその圧力はすごくて、母さんは場の空気に気圧されたまま、ただうろうろしていた。
「週末にはほとんど出かけていて帰りも遅いし。時々平日にまで外で遊んでいたんだろう?最初にその話を聞いた時は、お前を信じて放っておくことにしたが…でもお前は、一定の線を越えた」
「……は?」
「試験までの残り時間は?」
「…今日を差し引いたら、9日くらいだけど」
「その間、お前は外出を禁止させてもらう」
それを聞いてもっとも
「ちょっと、あなた!」
「あなたは黙っていなさい!この前、勝手に他人の家で泊まった時から気に食わなかった。彼女でもできたか?恋愛でもしてるのか?!」
「………違う」
しばらくの間を置いてから答えた。俺は、杠の恋人じゃない。
「じゃなんだ?外で何をすればそんなに忙しいんだ?」
「何度も言うけどな、俺は―!」
「うるさい!歯向かうな。お前は俺を継いで次期院長になる男だ。息抜きももちろん大事だが、今のお前は緩みすぎている」
「…………はっ。だから、外出禁止だと?」
「そうだ、我慢しろ。あと2年だけ我慢すれば少しは余裕も出る。恋愛や人間関係は大学に行ってから
……………はっ。
確かに、今まで父に歯向かうことはなかった。
心の中で密かに父を嫌っていても、流れゆく日常に息苦しさを感じていても、俺はただただ教科書に目を通して父の言いつけに従ってきた。
でもそれは単に自分が何をするべきなのか、分からなかったからで。
今は違う。心の中に確かな違和感がくすぶっていた。消えるどころか、膨らんでいくばかりの違和感が。
「…ふざけんなよ」
「…………は?」
「れ………れん?!」
「勝手に決めるなよ。今までだって勉強に手を抜いたことはねぇし、成績が落ちたわけでもないじゃねぇか。なのに外出禁止?こんなの、ただの
「お前……!」
目頭に力を入れたまま口を滑らしていると、段々と奥底から何かがせり上がってくるのが分かった。
「あと、前にも言ったけどな…俺は、院長になんかならねぇ!」
「黙れ!!!」
「なんで俺に押しつけてくるんだよ。いつも俺の意志なんて丸ごと無視するくせに、安全だとか正しいとか都合のいいことばかり言いやがって!!!」
「この野郎……!!」
次の瞬間、父は俺の胸元をぐっと掴んできた。
「最近、なんだかおかしいとは思っていたが……ここまで
「ちょっと、あなた……!これ早く放して!!連、あなたも父さんに謝りなさい!」
「もううんざりなんだよ!」
喉が痛くなるほど大声をあげて、俺は再び言い放つ。
「成績も落ちてねぇのにヒステリックに外出禁止なんか言いやがって!医者家系だからお前も医者になれと?くっだらねぇこと言って勝手に人の将来決め付けて、何もかも束縛してきたくせに!!」
「このくそったれが!!」
「連、れん……!落ち着いて。ね?頼むから……!」
「じゃ、聞いてみようか。今まで当たり前のように俺を手玉に取ってきたから、答えもきっと分かるだろうな」
「ちょっと、れん……!!」
マグマのように
「父さんの計画上、俺はいつになったら幸せになれるんだ?」
「……………」
俺はなぜこんな生活を続けなければいけないのか。どこまで続けたらいいのか。
父が敷いておいたレールに便乗するだけの人生。それは確かに人々の言う正しさかもしれないけど。
でも、俺には違った。
俺が本当に正しい人生を送れる人間だとしたら、そもそも杠とあんな関係になったりはしない。
これほど、あいつの世界に踏み入ろうとするはずがない。
「……出て行け」
だからこういう反応が出るのも、少しくらいは予想していた。いざ言われたら呆れて、つい失笑が出てしまう。
「ちょっと!あなた!!」
「お前みたいなクズに俺の病院はあげん。出て行け、今すぐ」
「…そうだな。そうさせてもらおうか」
捨てせりふを吐いてから俺は自分の部屋に戻り、さっそくクローゼットの上にあるキャリーバッグを下した。
そして無我夢中になりながら、手当たり次第に下着と上着をその中に詰め始めた。目を剥いたまま半分ほど詰めた時、母さんが部屋に入って俺に訴えかけてくる。
「今すぐやめなさい!れん……連、落ち着いて。落ち着こう?きっとお父さんも怒って口が滑っただけだよ。あなたにだって父さんの気持ちは…!」
「………もしあの人が、本当に俺のことを愛していたらね」
「…………え?」
「真っ先に、出て行けとは言わないと思うよ」
「……………」
さすがに反論はできなかったのか、母さんは悲惨な顔をしたまま何も言わなかった。
間もなくして荷物をすべて詰め込んだキャリーバッグのファスナーを閉めて、俺はすぐに立ち上がった。
「れん……!」
母を横切って階段を降りる際にも、親父という人間は全く姿を見せなかった。はっ、むしろ上出来だ。
そのままドアを開けて、家を出ようとした瞬間……
「あっ、連~!!ごめんね、電車乗り遅れて来るの遅くなっちゃった……ってあれ?その荷物は……」
「…………姉ちゃん」
「れん………」
心配げに俺を見てくる母さんと、俺のいかつい表情を見て察しがついたのか。
日葵姉ちゃんはしばらく立ち竦んでから、困ったような笑みをたたえてから言った。
「はははっ……えっと……」
「………」
「……わたし、もしかして来る日間違えちゃった……?」
その表情に酷く罪悪感を覚えたけど、もう後戻りなんてできやしない。
俺は少し首を下げてから、そのまま歩き出した。
「…ごめん、姉ちゃん」
「あっ、ちょっと、連?!」
「……………れん」
心配してくれる姉の声さえまるっきり無視して、俺は行き先も分からぬまま家を飛び出た。
俺の人生初の、家出だった。
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