25話  元カノ

ゆずりは 叶愛かな



「じゃ、また学校でね~」

「うん、バイバイ」

「気をつけて帰れよ」



五十嵐いがらし君と別れたあと、私と灰塚はゆっくりと歩き出した。もう夕日が沈みかけている頃だった。

灰塚はいづかは、今日も私を家まで送ってくれていた。

こうして彼と一緒に帰るのがいつものことになってしまって、不思議だった。あんなにも彼をののしっていたのに、なんでこんなに私に優しくしてくれるのだろう。

灰塚のことを、もっと知りたい。

だから二人きりになった途端、自然と口が動き出した。



「…彼女、いたんだね」

「うん?ああ…そうだな」

「どんな人だった?」

「……さっきあれだけ説明しただろ?」



…確かにみんなに散々質問されてたっけ。おかげで事の経緯けいいは大体聞かせてもらったけど、彼が説明したことはあくまで上っ面なだけな気がして…正直、釈然しゃくぜんとしなかった。

私が知りたいのはもっと深いところにある、もっと粘性ねんせいのあるドロドロなやつだから。



「…一応、聞くけどさ」

「なにを?」

「あの人とは、したの?」

「………いきなりグッとくるな。してない」

「本当に?」

「当たり前だろ。2ヶ月も持たなかったし、あの頃はまだ幼かったから……ちなみに言うと、キスもしてない」

「ふうん…そうなんだ。それで、どんな人?」

「あのな……」

「まだ私の質問に答えてない」

「お前本当に……まぁ、いいけどさ」



大体のことはもちろん覚えている。中2の頃から付き合い始めて、相手は幼馴染。家族ぐるみの付き合いで一緒にいる時間も多かったから、自然とそういう流れになってしまった……と言ってたっけ。

でもあまり長続きはせず、最後には彼女に振られて関係はお終いになったらしい。その後は普通に友達として接していると言う。

そして別れの経緯を説明するその際に、灰塚は苦笑しながらこんなことを言っていた。



『俺、あいつと相性が悪かったからな』



一方的に振られた記憶。きっと苦々にがにがしいはずの初恋。彼にとっては、あまりいい思い出とは言えないはずだ。私はそれをよく知っている。

なのに、なのに私は聞いていた。彼の傷をえぐることに申し訳なさを覚えながらも、嫌われるかもしれないという不安を抱きながらも、私は聞いていた。だって、知りたかったのだ。

……好きな人の心を奪った女だから。

こんなにも揺るぎのない彼と、付き合っていた人だから。



「すごいやつだとしか言いようがないな」

「……すごいって、どこが?」

「全般的にな。中学の頃はいつも学年トップ、俺よりがり勉で頑張り屋なのに頭も切れていて、リーダーシップもあったんだ。だからみんなにすごく好かれいてな。要すれば、全く欠点が見つからない完璧超人。それが芹菜せりなだった」

「……芹菜って言うんだ。あの人」

「うん。元々、告白は向うからしてきたんだよ。必ず俺を幸せにするから、一緒に幸せになろうって…そんなことを冗談抜きに真顔で言われて、なんか面白くてさ。まぁ、顔なじみで親しい関係だし、付き合ってみるのもいいんじゃないかと思って、付き合い始めたんだ」



それを言う灰塚の顔はくもっているどころか、むしろ面白かったと言わんばかりに笑みを湛えていた。

それと同時に、体中に黒いもやがかかり始める。

灰塚が笑っている。きっと彼女は、別れた後でさえ彼に笑顔を与えられるような人間だったのだろう。

………私には、それができないのに。



「…好きじゃ、なかったの?」

「は?」

「好きという感情は?あの人が好きだから、付き合い始めたんでしょ?」



当たり前の質問なのに、彼は不意ふいを突かれたように目を丸くした。

でも間もなくして肯いてから、再び顔をほころばす。



「そうだな。好きじゃないと…付き合ってみよう、なんて思わないからな」

「……」

「あの頃は気付いてなかったけど、好きだったかもしれない。人々の言う好きがあんな感じなのかはよく分からないけど、間違いなく…芹菜は、魅力的なヤツだから」

「…………」



魅力的な人…か。灰塚が誰かを魅力的だと言うのは、初めて聞いた気がする。

頭の中に影が差して行く。それじゃ、私は?

あなたにとって、私はどんな人なの?

めんどくさくて重くて、助けてあげたのに迷惑ばっかりかけていいように振り回して…心にもないセックスに付き合わされて、あなたは嫌じゃないの?

少なくとも私は、自分に魅力があるとは思わない。いつも、彼に迷惑ばかりかけているから。



「あ、着いた」

「…そうだね」

「じゃ、お気をつけて」



手を振ってから、彼は背を向けて反対側に歩き出す。

自分が不安定なのは、よく分かっていた。

私が灰塚に執着しゅうちゃくして、無意識に彼を通して心を満たそうとするのも分かっていた。自分がいびつなのも、灰塚がそれをすべて受け入れてくれるのも知っている。きっと私は、許されない存在だ。

……彼に、愛想をつかされたくない。

好きな人に厄介なヤツだと思われたくない。それに恋人でもないのだ。彼がどんな人と会おうが私は気にしてはいけないし、気にする必要もない。

…………私には、資格がないから。



「はいづか!!」

「な……うっ?!」

「…………」



なのに、どこまでも甘えてしまう。

彼のバカげた優しさに、もう全身に刻まれている体の快感にどこまでも甘えて、心が溶けてしまう。



「うっ……!!」

「…………」



襟元えりもとをぎゅっと掴んだまま、まるで襲うみたいに乱暴なキスをした。

目を閉じて熱を浴びた唇を重ねて、舌を絡ませて。唇の感触とふわふわな幸福感に世界が埋め尽くされて行く。この人からはのがれないと感じた。

灰塚は一瞬驚いてはいたけど、すぐに体に力を抜いてむさぼるような私のキスを全部受け入れてくれた。

自分から唇を寄せることもなく、かといって私を突き放すこともなく、ただ立ちすくんだまま、私の攻めに精一杯答えてくれていた。

私は時々、彼のそういう行動がたまらなく苦しかった。



「ぷはぁぁ……はぁ……」

「ふう……ふぅ…」

「……お前、なんで」



キスが終わった後、彼は少しだけ上気した顔で私を見つめ返す。

でも私はその問いには答えなかった。説明したくもないし、これ以上なにかを話したくもないから。



「…また、明日」

「………」



耳元で囁いてから静かに身を引く。彼は何か言いたげな表情だったけど、私はそれを無視して背を向けた。

………バカ。言えるはずがないじゃない。

やきもちを焼いたんだって、言えるはず………ないじゃない。

ときめく心臓を抑えながら、私は大きなため息を吐いた。



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