2章

21話  溺れる

ゆずりは 叶愛かな> 



「あのねぇ……灰塚はいづか

「うん?」

「面白いの?勉強って」

「そこそこ」

「……………あ、そう」



………おかしい。

男女が一つ屋根の下で二人きり、女の方は薄っぺらい部屋着姿で、今日は時間が有り余る週末。だというのに……

なんで、なんでこの男はこんなに平然としてるの……?普通の男子高校生ならもっと悶々もんもんとするもんじゃない?もしかしてもう私の体に飽きた…?

もう家に来てから2時間も過ぎたというのに、こりもせずに勉強ばっかりして…!



「……暇なの?ゆずりは

「ううん、全然?」

「…暇なら、一緒に勉強でもしたらどうだ?知らないところ教えてあげるから」

「要らない。興味ないし」

「…赤点取るぞ」

「補習を受けないくらいには勉強してるから。ていうか、何なの?」

「うん?」

「……今日は、何曜日?」

「……………土曜日」



彼もこの質問の意図をすぐに察したのだろう。私たちにとって、週末は…

……セックスを、するための日だから。



「………いや、もしかして怒ってるの?」

「ううん?全然怒ってないけど」

「いや怒ってるだろ…なんで?俺、別に今日しないとまでは言ってなー」

「…もう少し、強めに言った方がいいのかな」



立ち上がって、私は目の前にあるテーブルを退かしてからぼそっと呟く。



「そうでしょ?もとはと言えば、私があなたの都合を考えなきゃいけない理由なんてないし」

「………」

「私を生かしたのはあなただから…その代償は、たっぷりと払ってもらわないと」

「いや、ゆずりは……」

「黙って」



胡坐あぐらをかいている彼の膝の上に乗っかって、首に両腕を回す。私の視界が彼で埋め尽くされる。

ドクンドクンと鳴る心臓の音。熱くなっていくばかりの体。

……どうして、こんなにも緊張してしまうのだろう。

もう何度も体を重ねてきたのに、何度もしてきたのに…するたびにドキドキさせられて、ついつい求めちゃって…理性が吹き飛んで、我を忘れてしまう自分がいて。

ああ……やっぱり私、ダメだな。

どうしても、気持ちを抑えられない……



「…私には、あなたを思ういやる義理なんてない。そうだよね?」

「…ゆずりは」



体がぶるぶる震えるのを精一杯落ち着かせて、私は彼の耳元に顔を近づける。

自然にハグをする体勢になって、心臓がまた一度ドカンと鳴った。その鼓動を押し殺して、私はあえて声を低くしてから囁く。



「……今日も、壊してあげる」

「………うっ!」



そして、いつの間に顔が真っ赤になった灰塚を襲って、私は彼をむさぼるようなキスをする。唇を、押し付ける。

首に回した腕に力を入れて、彼の唇を甘噛みして、舌を絡めて、唾液を喉に流し込んで………何度も、何度も。

お互いの境界がなくなって、脳も体も溶けてしまうくらいに、何度もキスをする。



「ぷはあ………はああ」

「………早く、してよ」

「……うっ」



爆発しそうなほど膨らむ好きを押さえつけながら、私は再び目を閉じた。







灰塚はいづか れん




「…………はぁぁ」



……まさか、あんなに無理やりキスされるなんて。

深いため息を吐いて空を見上げる。俺が杠の自殺を食い止めたあの日から、もう二週間も経っていた。

その間、杠は段々と積極的に俺を誘うようになった。

俺たちの暗黙的なルールだったキスも、週末だけという約束も効力を失って、時々平日にまで誘われることもあった。そして俺はその提案を拒まなかった。

………それは、死にたがっていた彼女を助けた責任を取るためか。もしくは……

……単に、気持ちよすぎるからか。



「…………」



片手で腰をつかみながら顔をしかめる。いけないことをするような背徳感があった。俺が歩んできた時間と杠と過ごす時間は、あまりにも違いすぎる。

彼女とのセックスは死ぬほど甘くて気持ちいいけど、彼女とする度に泥沼にハマっていくような感覚があった。うっかりしていると、きっと人生ごと持っていかれるのだろう。




「……溺れているのかな」



……まぁ、あいつは俺の人生を壊してやると言ってたから、これが本望なのかもしれないけど。

とにかくキリがない悩みを抱えて歩いてると、いつの間に家のドアが見えてきた。腕時計で時間を確かめてから、足を運ぶ。



「ただいま」



靴を片づけてから、とりあえず部屋に行って持っていたカバンを下ろした。そして階段を降りてから洗面所に寄って、リビングのドアを開ける。

そしたら、真っ先にソファーで新聞を読んでいた父と目が合った。



「………ようやく来たな」

「………ただいま」

「あら、お帰り。夕飯できてるわよ」

「うん、分かった」



……あまり、会いたくなかったのにな。

あれから、俺たちの関係はずっとこんな感じだった。俺が杠の家で無断外泊した後に大喧嘩をして、一ヶ月経った今でも窮屈なままだった。まぁ、あの喧嘩の後にちゃんと謝ってはいたんだけど……

こうして顔を合わせると、何を言えばいいのか分からなくなる。



「もう、あなた。夕飯!」

「……そうだな」



眼鏡越しから鋭い目線を感じられる。ものすごく厳格げんかくで厳しい完璧主義者。それが、俺の父である灰塚正家まさいえという人間だ。

しぶしぶ席に座ってから箸を進んでいると、案の定向かいの席から小言が飛んでくる。



「そういえば、勉強は進んでるのか?もうすぐ中間試験だろう?」

「ちょっとあなた!食事してる時までそんなこと…!」

「いや、大事なことだからな」



……やっぱり、苦手だ。



「…進んでる」

「そうか、ならいい。試験はいつだ?」

「GW明け」

「そうか。まぁ、いつも通りに準備すれば問題はないだろう。こう見えても、お前をちゃんと信じているからな」

「…………」

「頑張れ」



………おかしいな。

昔はけっこう父の言葉を真に受けていた。こういった励ましの言葉も応援も、昔は素直に受け取って、感謝の言葉を口にしたというのに……今は口が開かない。

信じているという言葉も頑張れという応援も、すべてが俺を縛りつけるためのくさりみたいに感じられてしまう。自分がいておいたレールの上だけを走ればいいと言われるみたいで。

……もちろん、これは俺の大げさかもしれないけど。

でもこの場の空気が耐えられなくて、俺はすぐに立ち上がってしまった。



「………ごちそうさま」

「ちょっと?!連!」

「単に食欲がないだけだから。父さんもゆっくり休んでね」



半分も食べずに部屋に戻ってから、俺は椅子にもたれかかる。



「はあああ……」



…なんか、今日はやけに心がざわつくな。

特にやることもなかったので音楽でも聞こうかなとパソコンを立ち上げた時、突然にしてスマホが鳴った。



「え……」



……日葵ひまり姉ちゃん?

しばしぼーっとしてしまったけど、俺はクスリと笑ってから電話を取る。



「もしもし」

『あ~!!連!元気にしてた?彼女できた?私で良ければ恋愛相談にでも……!』

「切るぞ」

『ちょっと!久々に電話してきた姉に、そこまで酷くしなくてもいいじゃない!』

「どうしたんだよ…いきなり」



灰塚日葵ひまり

俺にとっては上から三番目の姉で、家族の中では俺と一番仲のいい人だった。面倒見もよくて他の姉ちゃんたちに比べて年も近いから、昔からけっこう可愛がられた記憶がある。

まぁ、未だに子供扱いするのは釈然としないけど……

とにかく久々に姉の声を聞くのは、素直に嬉しかった。



『元気にしてるー?わたし、連が心配で夜もまともに眠れないんだよ?』

「大げさな……元気にしてる。そっちは?」

『ぶっきらぼうだな~もう。私も元気、ふふっ』

「……ちょっとウキウキしてない?」

『そうだね、最愛の弟の声を聞いたから?』

「あのね………」

『ふふふっ』



…全く、ストレートだから。



『そうだ、わたし来週に家に行くから。ね?』

「いや、そんなことは母さんに言ってよ。何で俺に伝えるんだよ」

『…むっ、酷い。心優しい私の弟はどこに行ったの?お姉ちゃん拗ねた』

「子供か……分かったよ。俺が悪かったから、ごめん」

『ふふふっ。来週の金曜日に着くから、ちゃんと週末の予定は空けておくように』

「俺、再来週にテストなんだけど」

『えええっ?!あ……そうだった。忘れてたぁ……』

「………少しくらいは付き合うから。一日くらいは大丈夫なんじゃない?」

『ダメ、もしバレたらお父さんにめっちゃ怒られそうだし。はぁぁ……デートは夏休みまでお預けかぁ……』



デートって……本当に気軽に言ってくるよな。



『あ、そうだ。彼女はできた?今気になる子とかいる?』

「…………いや、いないけど」

『………さっきの沈黙はなんなの?答えて。今彼女いるんでしょ?!』

「いや、本当にいないから……」



しまった……とっさに杠の顔が浮かんで答えられなかった……



『ふうん……お姉ちゃんに隠し事をする気なの?早く言ってよ~誰?クラスメイト?』

「なんで噛みついてくるんだよ。本当にいないから」

『じゃ、気になる子はいるってことよね?誰?私より可愛い?』

「いや、気になるというか……」



ウソをついたってこの姉にならきっとバレるはずだし、ここは適当にちゃかしておくことにした。

……でも杠との関係って、どんな風に説明すればいいのだろう。適当な言葉が浮かんでこない。ありのままに話したらきっと大事になってしまうし。

…結局、長い沈黙を経てから、俺はようやく口を開いた。



「………面白いやつは、いるかも?」

『へぇ……どんな子?』

「……それは説明できないけど。でもまぁ、そこそこ可愛いんじゃないかな」

『私より?』

「いや、姉ちゃんとは属性が違うというか……」

『ぶううう……』

「何でだよ……正直に答えたのに」

『これは見過ごせないね………帰ったら、絶対に吐かせてもらうからね』

「え~それは勘弁して欲しいかも」

『ふん、連の浮気者』

「あのな…………」



本当、他人に杠のことをどう説明したらいいのか…俺には解けない難題だ。でも久しぶりに姉の声を聞いて、ずいぶん気は晴れたのかもしれない。

その後、俺たちは約一時間以上も通話をし続けた。

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