20話  幸せにしてください

ゆずりは 叶愛かな



あの騒ぎがあってから、ちょうど3日くらいが経った。その間、私たちは以前と変わらない日常を過ごしていた。

放課後になったらいつものようにこの空き教室で顔を合わせて、淡々とやることだけをやって、一緒に帰るだけの日常。呆れるくらいになにも変わってなくて、少し拍子抜けした気分さえあった。

……いや。よくよく考えると、変わった事が一つだけあったかもしれない。

それは、クラスの空気だった。



「あの、灰塚はいづか

「うん?」

「あなた、今朝なにかしてたんでしょ?」

「……なにかって?」

「とぼけないで。あなたが何か言ったんじゃない?クラスの子たち、何故だか私たちを見てずっとざわざわしてたんだよ?」

「…………」



しばらく沈黙した後、もう隠せないと悟ったのか彼は小さく舌打ちをする。それから、顔を上げて…



「…彼女宣言した」



とんでもない爆弾を、投げつけてきた。



「…………………え?」

「だから、お前が俺の彼女だと……ウソをついて、わざと言いふらしたんだよ」

「…………………は?」

「俺はあの噂のことを全く知らなかったという設定で、お前が来る前に陰口叩いているやつらに本当のことを話して、最後に彼女だと加えておいたんだ。そうすると話の信憑性しんぴょうせいが上がるからな」

「…………………え?」

「…すごい顔してるな」



…………………え?

なに?私……今なにを聞いて……



「は……はああああああああ?!」

「……前言撤回。顔じゃなくて声の方だった」

「なに……あなた、なに言って!!」

「いや、手っ取り早いから」

「そういう問題じゃないんでしょ!!じゃ、クラスではあなたが私の……か、彼氏だというわけ………?」

「まぁ、夏休みに入ったら適当に別れようか」

「はいづかぁぁ……!!!!」



一気に顔が火照り始める。なんということを……!この男、なんなの…?!羞恥心とか常識とか、そういうのがないわけ?!どこか頭のピース外れてない?!



「……悪かったよ。でも事前に相談しても断られそうだし、噂をしずめる手段も特に思いつかなかったから、この方が効率的だと思ったんだ。それにお互い、別にそういう間柄でもないし……お前も、特に気にはしないだろ?」

「………それはそうだけど。といっても、私の気持ちをよくも無視してくれたわね………」

「…ごめん。返す言葉もない」

「はあ…………」



まさかこんなことをやらかすなんて想像もしてなかった。ここまで突拍子とっぴょうしもないことをするなんて、はぁ………

…でも、灰塚が言った言葉にもいくらか納得はいく。彼の発言にはそのすさまじい成績のおかげでそこそこ影響力もあるし、恋人だとウソでもついた方が……噂をなくすためには、確かに手っ取り早いのかもしれない。

…だとしても恋人だなんて。なんてバカなことを……



「……もういい。なんか怒るのもバカらしくなってきた」

「…ごめん。反省してる」

「だから、もういい。それにあなたが言った通り、別にそういう間柄でもないから」



そう、私たちは別に恋人でもないのだ。以前のようにセフレに戻っただけでなく、お互いの人生を壊していくという歪な関係になっている。

そして私は、彼の人生をめちゃくちゃにするために生きている。

恋人とか……そんな甘ったるい関係とは全然違う。もう分かっているのだ。わたしにはできないということを。

私が、灰塚の恋人になれるはずがないのだ。



「帰るわよ?今日のところは許してあげるから」

「…ありがとう」

「でも、次はないからね。またこんなバカ騒ぎを起こしたら……分かるよね?」

「……分かったよ。今後は気をつけるから」

「うん」



……本当に変な男。何でそんなに私に気を使ってくれるのか。

きちんと場を整理した後、私たちは一緒に帰り道につく。お互い特に何も話さずに、ただ肩を並べてゆっくりと歩いた。行く先は私の家だった。

あの騒ぎ以来、彼は毎日のように私を家まで送くってくれるようになった。

彼はごく自然に、本当に事も無げにわたしが住むマンションの前までついてきて、手を振ってまた明日と別れの挨拶をしてくれる。

昨日の夕方、恋人でもないのに何で送ってくれるのかと聞いた時に、彼はこんな風に答えていた。



『また自殺しようとしたら困るから』

『…言ったでしょ。あんたの人生をめちゃくちゃにするまでは、死なないって』

『それはよかったな』



なにがそんなに可笑しいのか、彼はただただ口角を上げて笑うだけで……その顔を思い出すだけで、心臓がぎゅっと握られるような錯覚さっかくおちいる。

そして今日も何気なく隣を歩いている彼の横顔を見上げながら、私は考える。



「……………」



私は、不純物だ。

彼のような優しい人間が、幸せになるべき人間が私という不純物でけがされてはいけない。私は、彼の人生から早く消えた方がいいのかもしれない。

私は疫病神やくびょうがみだから……彼にまで、迷惑をかけるかもしれないから。



「もうすぐだな」

「……うん」



彼の人生を、もっとめちゃくちゃにしたいのに。

何で私を生かしたの。あなたじゃなかったら、私は確実に死んだはずなのに。何度も言葉を吐いて、ののしって、消えない残痕ざんこんを刻みたかったのに。

…………でも、できなかった。

私にはどうしてもそれができない。どうしても彼の幸せを願ってしまう。

隣にいるだけでも十分、彼の人生を狂わせているのではないかという甘ったるい疑問に逃げてしまう。

だって、私は………



「じゃな。また明日」

「………うん。また明日」

「気を付けて帰れよ」

「…もうマンションの入口なんだけど」

「心配だから」

「……………」



チョロいから。

惨めだから。たかが優しい言葉をいくつかかけられただけで心が躍り出す浅ましい女だから。生きてくれと言われただけで涙を流す、もろい人間だから。

彼の中で生きたかった。忘れ去られるのは怖いから。

私のすべてを、彼にあげたいから。



「はいづか!!」



だから、私は背を向けている彼に駆け寄って。



「な……うっ?!」

「……………」



目をつぶって、彼を頬を両手で包んで。

背伸びをして、唇を合わせる。

こんな卑怯な真似をしてでも、私は生きたかった。彼の中で私という存在を刻みたかった。

私はきっと、あなたのことを永遠に忘れないから。



「……………」

「……………」



今まで一度も交わさなかったキス。ずっと、暗黙的に守ってきた私たちの距離。

でも、そんな距離感なんてもう存在しない。私はそれを壊した。私の生きる理由なんて、所詮はこんなものだから。

相手の初めてをすべて奪い取って忘れられないようにするのが、私の生きる理由だから。



「………分かる?」

「ゆ……ずりは」

「……わたしね、キスも初めてだよ?」



いきなりキスされるとは思わなかったのか、彼は今まで見たことないくらいに戸惑っている。

その姿が可愛らしくて、やはり私もどうかしてるなと思ってしまった。

心臓がバクバクと鳴って、顔が一気に火照り始めて、今抱きとめている男の子が愛おしくて、たまらなくて……つい二度も、口づけをしてしまったから。

目の縁から涙が滲み出す。私は幸せにおぼれて行く。

灰塚連はいづかれんという少年に、どんどん溺れていく。



「……わたし、キスも、体も、命も、全部あなたにあげたんだよ?」

「……………お、まっ…」

「だから、覚悟してよね?灰塚」

「………」

「絶対に、あなたの人生を…めちゃくちゃにするから」



だから…神様、お願いします。

彼に好きな相手ができたとしたら、すぐにでも諦めますから。

彼が私の存在に飽きたとしたら、すぐにでも消えますから。

彼を幸せにするためなら、私は何でもしますから…

だから、あと少しだけでもいいです。

私の恋が、彼にとっての迷惑にならないように……してください。

私の好きな人を、どうか幸せにしてください。




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