18話  幸せの海

ゆずりは 叶愛かな



今日で全部終わり。

朝起きてからその考えだけがずっと頭の中を支配していた。生きるための活力も希望も見出せず、ただ自分の死に様を思い描く今。

そんな今が、私はとても楽だった。



「………」



学校に行く支度を終えて、私はカバンの中に入れておいた手紙を思い出す。その手紙は、ゆいに残す最後の謝罪だった。

結がずっと私を気にかけてくれていたのを、私はよく分かっている。私の力になりたくて、ずっと何かをしようとしたのもちゃんと知っている。

でも……ごめんね。

私は、そんな好意に値しない下劣げれつな人間だったみたい。

深くため息をついて、最後に約二年間暮らしていた家の中を眺めて、私は靴を履く。今日の放課後、私はあの空き教室で自殺する。

その計画を何度も頭で反芻はんすうしながら、ドアを開く。そしたら……



「……………え?」

「…おはよう」



真っ先に、灰塚はいづかが視界に入ってきた。まるで私を待っていたかのように、手すりに背中をもたれた体勢のままに。

そして私と目があった瞬間、彼は即座に手すりから離れて頭を下げてきた。



「…ごめん」

「………………え?」

「酷いことを言って、悪かった……違うってお前が言ってたのに信用せずに、お前を傷つけたから。だから、ごめん」

「…………」



想像もつかなかった光景に、私は呆けた顔をして彼を見下ろす。謝罪の言葉を口にしてから、彼は頭を上げてもう一度深呼吸をした。



「電話で謝った方かいいんじゃないかと迷ってたけど…直接会った方がいいと思って。でも絶対に避けられるはずだから、こうやって待ち伏せしたんだよ。不愉快だろ?ごめんな」

「………………」



……なんで。

なんでいきなり謝るのよ。どうして、どうして今日なの?

私は、今日死ぬのに。

そう決め付けて何もかも投げ出そうとしてたのに、なんで。

彼の行動が、声が、目の前にいる彼のすべてが私を狂わせて行く。反射的に唇を噛んで、私は下からねめあげるように彼を見た。

ふと、微かな感情が沸き起こった。どす黒くて、どんどん膨らんでいって、吐き出さないと今の自分が変わってしまいそうな気がして。

今の自分を守るために、私はもう一度唇を強く噛んで、悪態を吐く。



「…笑える」

「……」

「あなたが言ったんでしょう?もうお終いだって。なのに今さら謝るなんて、本当笑える」

「……今日の放課後、あの教室で来てくれないか?」

「なに?愛の告白でもするつもり?それとももう一度私とヤリたいの?でも残念だね。私はもう、あなたの事なんかとっくに消したんだから」



自分で驚くくらいに口が滑り始める。それを知っていながらもどうしてもやめられなかった。最大の傷を、彼に刻みたかった。

私の存在が呪いになってこびりついて、彼の人生がめちゃくちゃになって欲しかった。彼が眠りについた時も、起きてる時も首を締めて脳を犯し続ける悪夢になれたら。

そうすればきっと、死んだ後でもさぞかし気持ちいいのだろう。

最大級の悪意を込めて、私は悪態を吐き続ける。



「なに本気になってるの?そうだよ。わたし寝てた。あの男とセックスして同じ布団に潜り込んでた。そう、あなたが予想していた通りだよ?こんなビッチにすがりつくなんて、あなたも惨めな人間よね」

「………」

「セックスも全然気持ちよくできないし、見捨てられたらやけになってお終いとか口に出して。本当に無様。もう一生彼女なんかできないんじゃない?ふふっ、はははは……本当に笑える」

「……………」

「なにぼうっとしてるの?私があなたの事で悩んで涙でも流してると思った?安っぽい同情心を発揮して、私を救おうとでもしたの?そんなの……要らない。むしろ厄介だから。私、あなたのことが本当に大嫌い」

「ゆずりは」

「初めて会った時から大嫌いだった。幸せな家庭で育って、生まれつきの才能でなんでもできますよと嫌な雰囲気出して、なのにいつもつまらないと言わんばかりの顔して。吐き気がするくらいだよ。本当に、大嫌い」

「…幸せな家庭か。はっ……」

「………なに?」



……何がそんなに可笑しいのよ。

こんなにも悪態をついたというのに、なぜ笑えるの。



「いや、悪い……それで、話はこれで終わりか?」

「………え?」

「じゃ俺の番だな。今日の放課後、あの教室に来て欲しい。もちろん、そんなに俺のことが嫌いなら仕方ないけど…俺は、待ってるから」

「……………は?」

「それと」



彼は平静を崩さないまま、私に向かって苦笑した。



「さっき、お前は俺が全然セックスできないって言ってたけど」

「…………」

「……俺はお前としてて、気持ちよかったよ。本当に」

「…………」

「お前だって……同じだろ?」



…………………あ。



「…先に行く。また教室で」



そんな言葉だけを残して、彼は何の惜しげもなく背を向けて階段を降りて行った。

その背中が消えた後、私は首を垂れて…爪が肌に食い込むほどに、強くこぶしを握りしめた。

なんでこうなってしまうのかが、分からなかった。

なんで、なんであなたはまた、私の前に現れるの?








「じゃ、解散~」



先生の軽い一言でクラスのみんなが教室から出ていく。ただ今、人生最後のHRが終わった。

今日も特に何もない日常だった。時々不審な目で見られたり、大っぴらに陰口を叩かれたりはしてたけど……それ以外には、特にこれといった事件は起こらなかった。

灰塚は私を振り向いてから、すぐ教室から出て行った。たぶんあの空き教室で待っているつもりなのだろう。



「………」



……行かないけどね。

校舎の裏側で適当に隠れようと思って、立ち上がった時――



「叶愛ちゃん」



結が明るい声を発しながら、私に近づいてきた。



「…ゆい

「うん。一緒に帰ろう?」

「…………ごめん。今日はちょっと用事があって」

「そっか…残念だなぁ。じゃ、また明日!」

「…………」

「叶愛ちゃん?」



笑顔のまま放たれたその言葉に、私は何も言い返せなくる。

私には、明日なんて存在しないのに。

あなたの下駄箱に手紙をおいて、今日の夕方に飛び降りるつもりなのに。



「………うん。また、明日」

「うん!」



パッと顔をほころばせる結を、私はまともに直視できなかった。最悪なウソをついて、それ以上はなにも言わずにその場を立ち去った。

…手紙は、捨てた方がいいかもしれない。

せめて結だけは幸せになって欲しい。私の存在なんかかなぐり捨てて、幸せに。

絶対に悲しむんだろうなと思いながらも、私は校舎裏に行く足を止めなかった。涙を流しそうになったけど、ぐっとこらえた。

そんな思考を巡らせながらついた校舎の裏側。

人通りが少なく、あまり目立たない場所だからきっと誰にも見つからないはず。



「…………」



私は、待ち続けた。

遠くに聞こえる運動部の声が消え去るまで。日が沈みかけて世界が真っ赤に染まるまで。

昨夜立てた計画を何度も反芻しながら、私は待ち続けた。そして待ち望んでいた、最終下校時間を知らせるかねが鳴った時。

ようやく、私は笑うことができた。



「………よかった」



あともうちょっと、十分だけ待っていれば校舎には誰もいなくなる。この学校が、私のためだけに開かれた舞台になる。

そして十分過ぎて、私は裏側にいるドアを通して校舎に入った。なるべく足音を出さないように注意しながら、階段を上がった。

幸いに、校舎の中は静まり返っていた。



「……はぁ」



そしてようやく、私はこの場所にたどり着いた。

誰もいない空き教室の中。かつて私だけが使っていた秘密基地。一人で楽にいられた、私の安らぎの場所。

そして…私の死にどころ

いや、正確に言うと飛び降りるところなんだけどね。まぁ、それはさておいて…

……やはりというべきか、灰塚の姿は見えなかった。

その代わり、彼がここにいたってことを証明するかのように窓が開いていた。ちょうど、彼がいつも座っていた席の横側にある窓だった。



「…………」



…………あれにしよう。

私は、ほほ笑みながらゆっくりとあの席に近づいていく。



「ふぅ……」



ここで初めて話をして。私は読書、あなたは勉強をして。時々どうでもいい雑談なんかして、一緒に帰って…いつの間にか、セフレになって。

………ごめんね。

彼はきっと、私が死んだら相当なショックを受けるのだろう。心底最低だと思うけど、その事実が果てしなく気持ちよかった。

彼なら、きっといつまでも私を覚えてくれるだろう。

彼の中で、私は生き続けられる。そんな最低な確信が、せめての救いだった。

窓枠に手を置いてから、私は靴を脱いで椅子の上に立つ。



「………ふふっ」



下を見ると、そこには幸せの海が広がっていた。

平和。安楽。解放。自由。幸せ。私が望む何もかもが、あの冷たいコンクリートの上にある。

ようやく、私は幸せになれる。

段々と手が汗ばんで、心臓が早鐘を打った。目が自然と見開いて行った。

でも、この恐怖さえ乗り越えれば、私はもう楽になれるのだ。死に際にこそ、私は本気で笑えるから。

だからさよなら。さよなら。さよなら。

さよなら………



「……ごめんね、はいづか」



そして、体を前に乗り出そうとした時―――





「ゆずりは!!!!!!!!」





私の手首が、誰かに引っ張られたような気がした。

体のバランスが崩れて、そのまま後ろに倒れていく。でも感じられるのは床の硬い感触じゃなく。

私のすべてを包むような、圧倒的な温もりだった。



「くそ………!!」



次第に、体中に広がる圧迫感。

頭、腕、背中、すべてが力強い腕で縛られて…彼の匂いが、全身に広がって行って。

ようやく状況を把握した私は、震える声で、その名前を呟く。



「はい…………づか?」

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