17話  互いの決心



ゆずりは 叶愛かな



真っ暗な部屋。窓ガラスにしたたる雨粒。

ベッドで一人座り込んで、私はずっと考えていた。

ずっと自分が嫌いだった。

完璧じゃない自分が、思うままになれない自分が大嫌いだった。私の存在は誰かの迷惑にしかならなくて、他の人みたいにうまく笑えなくて…私はまた、愚行を重ねる。



「………」



窓の外を眺めるたびに、自分がここで飛び降りたら周りの人がどんな反応をするのかなと気になって仕方がなかった。

本に出てくる主人公がみずから死を選ぶたびに、羨ましいという感情が沸き起こった。

いつか、テレビで流れてる自殺予防のCMを見て、あさましいと悪態を吐く自分に気づいた時があった。

あなたはなんで生きているの?なんのために生きてるの?

数えきれないほど自分自身に投げた質問に、私は未だに答えを出せず。



「本当に……もう」



…大嫌い。

たかが、友達でもない男に終わりを告げられたくらいで。このくらいで思い悩んで、くすぶって、涙を流している自分が。

ちょろすぎて、傷つきやすくて、才能もなくて、迷惑にしかならない、こんな空っぽで抜けがらみたいな自分が、私は大嫌いだった。

大嫌い。何もかも嫌い。

自分の特徴的な容体も、めんどくさい性格も、似ても似つかない名前の意味も全部、全部大嫌い。



「うっ……ううっ………」



孤高ここうでありたかったのに。

優しい人になりたかったのに。無邪気に笑う人に……なりたかったのに。でも私の願いはたった一つも叶えられなかった。

世界は不公平で理不尽で、私をけ者にして平然と回り続ける。私がこの世界でいなくなったとしても、きっと誰も気にはしないだろう。



「……ううっ……くっ……!」



騙したつもりだった。精一杯自分を騙して違う、違うと何度も言い聞かせてきた。

それでも、もう認めざるを得なかった。私は弱くて、誰かの温もりをずっと欲しがっているままで。

いつの間にか、灰塚連はいづかれんという男の子に依存していたって、認めることしかできなくて。

それでまた、彼に捨てられて……死というものに、また縋りついてしまう。

無様。軟弱。情けない。本当に大嫌い。だから……

もう、もういいでしょ……



「もう、疲れたよ…………」



ようやく言い出した小さな言葉さえも、雷の音がすべて消して行った。







灰塚はいづか れん



部屋の電気もつけずにベッドで横たわったまま、俺は考え続ける。

何もかもがぐちゃぐちゃになって、頭の中をかき回していた。

杠と距離を置いた方がいいんじゃないか?どうせお前には何もできないんだ。セフレ関係だけでも十分あやういというのに、これ以上足を踏み入れたら厄介なことになるぞ?

――でも杠が苦しんでいるじゃないか。お前はそれでいいのか?



「………知るか」



――距離を置いた方が、絶対にいいじゃねぇか。

朝日向に薄情な男だって思われても仕方がない。あれは、あの女はあまりにも面倒で、得体が知れないから。

遠ざけた方がいい。そう、さっきから何度も出した結論だった。頭の中でいくら天秤てんびんをかけてもこれ以外の選択肢が浮かばなかった。

なのに、どうしてこんなにも思い悩んでいるのか。



「…………」



俺には責任が取れない。あいつがいる世界は、助けたいという安っぽい同情で首を突っ込んでもいいところではない。

あいつの世界は、俺が生きてきた世界よりはるかに苦痛と絶望で敷き詰められている。どう考えたって、厄介なことばかりだ。



「くそ………」



なのに、どうしてまだ分かれ目に立ち止まっているのか。

俺は、いったい……



「………?」



そうしてまた歯噛みした次の瞬間、珍しくスマホが鳴り出した。画面には五十嵐響也いがらしきょうやという名前が映されている。

俺はちょっとだけ首を傾げてから、その電話を取った。



「もしもし」

『あ、連?まだ起きてたんだ。遅い時間に電話してごめんね』

「構わないけど…どうしたの?珍しいな、お前が電話するなんて」

『うん…何となくね』



電話の向こうで、響也は一度ため息をついてから言った。



『今日の連、なんかすごく追い詰められている気がしたから。話をしても上の空だし、ずっと悩んでいるように見えて』

「…それは」

『杠さん…だよね?』



図星をついてくる言葉に少し動揺してしまう。そっか。あんなに顔に出ていたのか…………




「…ああ、そうだけど」

『…噂、もう学校中の誰もが知ってると思うよ。杠さん、あんなに綺麗だからなおさら持ち切りになってるし』

「…………」

『できるなら、相談に乗りたいな。僕じゃあまり頼りにならないかもしれないけど、言って楽になる事だってあるじゃん』

「…………」



そして、俺は自分でも驚くぐらい自然に口火を切っていた。



「…分からないんだ」

『…なにが?』

「あいつは…………面倒な女なんだよ。頭では絶対に避けた方がいいと思ってるのに、でも何故か無視しちゃいけない気がするんだ。なんだか…あいつを見捨てると、俺の中の大事な何かが壊れるような気がして。うまく、表現はできないけどさ………」

『うん』

「……二週間前だっけ。お見舞いに行った時にあいつ、うなされてたことがあったんだよ。その時に泣き叫んでいた姿が、頭から離れないんだ。あんなやつを見捨てていいのかと思う否や、あいつがもし本当にパパ活とかをしてたのなら………あれは自己責任だから、俺が気にすることでもないし」

『………』



右腕で目元を覆ったまま、俺はまた嘆息してから呟く。



「……めんどくさいんだよ、あいつ。昨日からずっと、ずっと考えてたのに……」

『……僕は、それでいいと思うよ』



そして響也が放ったその言葉に、俺は少し口を開けてしまう。



「は?」

『連の感情がおもむくままにした方が、いいと思うよ。たまにはいいじゃん、バカになったって』

「お前…なに言って……」

『……連はね、きっと考えすぎたんだよ。頭の中で計算ばっかしてるから、答えが出ないんだ。もちろん、僕も大した人間じゃないからこんなことを言う資格、ないかもしれないけど…たまには、何もかも投げ出して、感情の赴くままにしても……いいんじゃないかな』

「…………」

『自分に素直になって、信じたいように信じて、やりたいようにやればいいよ。そんなバカな行動が、幸運をもたらす時だってあるじゃん』

「…でも、違ったら?」



心の奥底をほじくられて、俺は思わず声を上げて反対の言葉を口にしていた。



「違ったらどうするんだよ?あいつは本当に他の男に抱かれていて、あの噂がもし本当だとしたら…!」

『……その時だって、感情の赴くままにすればいいよ』

「………お前な」

『ていうか、前から聞きたかったんだけどね』



俺の言葉を遮って、響也はいきなり突飛な質問を投げかけてきた。



『連はね、杠さんのこと好きでしょ?』

「…………は?」

『好きじゃないと、そんなに悩んだりするはずもないじゃん。杠さんのことを見ていなかったとしたら、彼女が誰に抱かれたって……きっと、気にしないと思うし』

「いや………」



とっさの質問でつい言葉を失ってしまう。何を言ってるんだ、こいつは。俺が、杠のことが好き……?

………いや、それはない。俺は杠のことを、そんな目では見ていない。



「…違うよ」

『……だったら?杠さんは、連の何なの?」



…ただのセフレ、という言葉が真っ先に浮かび上がった。

そうだ。ただのセフレなのだ。彼女はただ体の快楽を得られる対象で、不思議で遠い存在で………危うくてもろい、どこにでもある17歳の女の子だ。

放課後にはいつも顔を合わせて、週末になったらセックスをして、他の誰よりも長く時間を共有したりする………そういう……



「………………」



…………くそ。

……そうだ、もうとっくに知っていたじゃないか。

俺が目を逸らしただけだった。あいつとは快楽以上の何かがあるって、もう俺は知っているのではないか。抽象的だけど確かな何かが、俺たちの間にあったというのに。

でも今の俺は、この関係の中に込められている意味を言葉にすることができない。



『……連?』

「…………」



……やっぱり、分からない。

ただ響也の忠告に従って、感情だけで言うのなら…



「……友達、なのかな……」

『…なんで疑問形?』

「俺も分かんねぇよ。でも……」



でも感情だけっていうなら、俺も少しは……少しは、素直になれる。



「でも………大切なんだよ。なんだかよく分かんねぇけど、大切なんだ。失ってはいけない気がするほどに……」

『……そっか』

「…ああ」



そして、響也はさっきよりは活気の籠った声で言ってくれた。



『そんなに大切な友達なら、信じてあげなくちゃ』

「………………」

『信じてあげてよ。僕なんかよりよっぽど、杠さんのことを知ってるんでしょ?』

「……そっか」



信じる、という言葉が胸の奥に深く突き刺さる。それと同時に最後に杠が見せた顔が蘇ってきた。

その顔を何度も脳裏に刻み付けながら、俺は天井を仰ぎながら言った。



「ありがとう、響也」

『…うん、じゃね。おやすみ!』

「ああ、また明日」



電話を切ってから、俺はまたベッドで仰向けになって目を瞑った。

そっか、感情か。感情。感情だけで言うのなら………



「……………」



………謝りたい。真っ先に、杠に謝りたい。

信じてあげられなくて、あんな悲しそうな表情をさせてしまって悪かったって謝りたかった。そして助けたい。助けて、以前のようにあの放課後の空き教室でまた顔を合わせたかった。

ちゃんと……俺にはちゃんと大切なのだ。

彼女といる時間が、その時に自分の中に駆け巡るあらゆる感情が、俺はちゃんと大切だから。



「……ふう」



考えろ。

考えろ。こんなにも感じているじゃないか。失ってはいけないと、頭の中であんなに響いたのではないか。

変えられるはずだ。まだ間に合わない。あのめんどくさいセフレを助けるためには、何が必要なのか……



「…………先ずは」



………先ずは明日、ちゃんと謝ろう。

まぁ、酷いことを言ったからたぶん許されないと思うけど…だったら許してくれるまで謝るしかいない。明日の朝に、あいつの家に行ってみよう。

もう雨が止んだ窓際を眺めながら、俺はそう思った。


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