16話  空回り

灰塚はいづか れん



むしろちょうどいいと思った。

そもそもこの関係は歪すぎるのだ。俺たちはただ予定された結末を迎えただけで、これはむしろ喜ぶことなのかもしれない。

なのに、どうしてこんなにイライラしてるのか。

何に対して苛立っているのか、そんな簡単なことさえ分からず、俺はまた悪態を吐く。



「くそ……」



ヘッドホンから流れてくるうるさい音楽が、全然耳に入らなかった。

ゆずりはに終わりを告げてからちょうど二日。その間、杠がパパ活をしたという学校の噂はもはや既成事実として受け入れられていた。そして彼女はなんの否定もせずに、ただいつものようにのんびりと本を読んで過ごしている。

そんな事態が、俺はたまらなく不愉快だった。

せめて少しは否定しろよ。何で黙ってるんだ。お前はあんなにさげすまれて何とも思わないのか?



「……………くそ」



ヘッドホンを外しても、寝ようと目を瞑ってもあの映像が頭から消えない。

言ってはいけないことを言ってしまったという確かな違和感と……

あの時、杠が見せた悲しそうな表情が、どうしても消えてはくれなかった。







帰りのHRが終わると、杠はすぐさま立ち上がって教室から出て行った。またあの空き教室にいるつもりなのか、それとも…家に帰るのか。

反射的にそんなことを考える自分に呆れて、俺はもう何度目かも分からないため息をこぼした。



「……ふうぅ」



…帰ろう。

そう思ってカバンを手に取った矢先、後ろからくぐもった声が聞こえてきた。



「…あの、灰塚君」

「うん?」



振り返ると、声の主である朝日向あさひながぎこちない顔をして、俺を見下ろしていた。



「この後時間あるよね?カフェにでも行かない?」

「あ………」



少し戸惑ってしまう。いつも笑顔で堂々としている朝日向が、こんなにも不安で怯えているのを見たのは初めてだった。それに、何かを訴えかけるようなこの必死な顔。

……消去法で残るのはただ一つ。杠のことしか浮かばないけれど。

俺はあえて首を横に振って、錆びた声で言った。



「杠のことなら、悪い。俺とはもう関係のないことだから」

「……え?」

「じゃ、また明日」



そう言い捨てて背を向けようとした瞬間、手首がぎゅっと握られて思わず足を止めてしまう。



「お願い」

「……」

叶愛かなちゃんを、助けて……」



すぐに泣き出しそうなくらい歪んだ顔を見て、俺は何も言い出せなかった。

どうして、彼女はこんなにも杠を助けようとするのか。なんで、彼女はその役割を俺に押し付けてくるのか。



「……………」



………どっちにしろ、こんな顔をされたら断れない。

その後、俺は前に杠と来た喫茶店で朝日向と向かい合った。彼女とこういう店に入るのはこれが初めてだっけ。

学校のアイドルと二人きりなんて少し贅沢な気もするけど、そんなことを言えないほど朝日向の顔は酷くくもっていた。もしかしたら噂に巻き込まれた本人よりも気にかけているのかもしれない。

彼女は苦いコーヒーを啜ってから、話を切り出した。



「無理強いをしてごめんね。でも、私一人じゃどうしようもできなくて」

「…なにかあったの?」

「……昨日ね。叶愛ちゃんが耳打ちで、こんなことを言ってきたの」



首をかしげる俺に向かって、朝日向は瞳を伏せてから言う。



「もう私に話しかけない方がいいよって……言ってた。私にまで被害を及ぼしたくないからって」

「…………」

「八方ふさがりなんだ。噂は広まってるし、叶愛ちゃんも何も言わずにいるから…どんどん、状況が悪化して行くの」

「………」

「叶愛ちゃん、このまま一人でいたら絶対に壊れちゃう。だからお願い、叶愛ちゃんを助けて。もう灰塚君しかいないの」



…俺しかいないって。

その言葉は間違っている。もう彼女の隣には誰も残っちゃいないし、この状況は彼女がすべてまねいた結果にすぎないのだ。俺に何かできることがあると思うなら、それは朝日向の大きな勘違いだ。

それに俺には、彼女のために動き出す理由さえないじゃないか。



「悪いけどさっき言った通り、俺とは関係ないことだよ」

「そんな……」

「むしろ、こっちが聞きたいくらいだけど」



俺はずっと前から考えてきたことを、口に出す。



「……どうして、杠があんなことをしなかったと断言できるの?俺にはその方が不思議だけど」

「………」

はたから見たらあいつは…ただの変人だろ?他人とあまり親しくなろうともしないし、クラスに馴染む気も一切ないし。普段話しているのも俺と朝日向、響也きょうやを含めて精々3人くらいで」

「それは……」

「だから、あんな嫌味たっぷりな噂を誰もが信じるんだよ。あいつなら違和感を感じさせないから」



これは朝日向も否定できないだろうと思った。

杠は他人に全く興味を表さない。自分の世界に閉じこもって粛々しゅくしゅくと本ばかり読むおかしなやつ。なのにその綺麗な見た目と独特な雰囲気のせいで誰もむやみに近寄らず、自然と浮いてしまう存在。別世界の住民。

………だから、俺も彼女を信じられなかったのだ。



「それでも」



でも、朝日向は違って。



「私は、叶愛ちゃんを信じてるから」

「……………」



不意打ちを食らったように、頭が一気に白くなる。

どうして言い切れるのか。呆れと驚きが混ざって目が見開く。そんな俺の反応を見て、朝日向は小さく笑い出した。



「驚いた?」

「…………いや、こんなにはっきり言われるとは思わなかったから」

「そうだね、根拠もないもんね。それに…叶愛ちゃんがそんな風に見えるのも、ある意味では仕方ないと思うし」

「なら…」

「でも、なんとなく違う感じがするの。本当になんとなく。あの子、そういう線引きははっきりとするタイプだと思うから…知らない人に、自分が信用していない人に体を許すなんてこと、絶対にしないと思うの」

「…………」



目を白黒させている俺を見た後、朝日向は深呼吸をしてから言った。



「中学の時の叶愛ちゃんはね、今とは全然違ってたんだ」

「…は?」

「驚くことに、学年一位まで取ったこともあるんだよ?今じゃ想像もつかないくらい勉強熱心で真面目だったし、あの頃も綺麗だったからけっこう告白もされてたの。知ってる?」

「……いや、初耳だけど」



杠に過去のことを聞いたことはなかった。だから俺は、予想外の昔話にちょっとしたショックさえ受けていた。

優等生な杠って、確かに朝日向の言う通り想像もつかない。

そして朝日向はまるで自慢をするかのよう、ウキウキとした顔で語り続けた。



「すっごく優しくて頭もよかったの。私も勉強で知らないところがあったらまっすぐ叶愛ちゃんのところへ駆けつけてたから。あの頃は私、自分に自信が持てなくてちょっと陰キャだったけど、いつも笑顔で接してくれて…」

「…………」

「だから、ずっとずっと憧れてたんだ。私にとって叶愛ちゃんはね、ただの友達以上の、憧れの存在なの。もちろん、叶愛ちゃんは私のことどう思ってるか分からないけど…」

「…そうか」

「でもね、あの時の叶愛ちゃんは…同時にすごく、追い詰められていたんだ」

「……は?追い詰められる?」



唐突に出てきた表現に眉をしかめる。少しだけ話題がズレているような気がした。

でも、朝日向は苦笑を浮かべたまま語り続けた。



「叶愛ちゃんには同じ中学に通ってる妹がいてね。年子としごだから学校でもけっこう話題になってたんだよ。姉妹二人して学年首席でどっちも美人だから、天才姉妹だっていつも注目されてたの」

「…………妹か」

「うん。でも彼女は話を聞く限り、本当に生まれつきの天才だったみたい。一度数学の公式を見ただけでも簡単に理解して、英語の文法もただの勘で分かる…凡人には触れられない、正真正銘の天才。だから、いつの間にか妹の方が姉より優れているという噂が出てしまってね。顔には出さなかったけど、叶愛ちゃんは……けっこうストレスを感じているように見えた」

「………」

「…でもね」



その後朝日向から出てきた言葉に、俺は驚きを禁じ得なかった。



「死んだの。あの妹さん」

「………………は?」

「受験生だからって、自分を除いて行った家族旅行で……交通事故にあってね。家族全員、亡くなったってしまったの……」

「……………………」

「あの頃は私もこっちに転校した時期だったから、地元の友達から聞いたんだけど………それで叶愛ちゃんも、親戚の家に近いこちらに引っ越して来たみたい。それで運よく同じ高校の同じクラスになったけど、その時にはもう、叶愛ちゃんが変わっていて」



一人暮らしをしていて、あの殺風景な部屋と退廃的にさえ見える本人の性格。悪夢にうなされていた姿。

それを見て、何らかの事情があるんだなとは思っていた。でもまさか、家族がいないなんて………



「…だから、すごくつらいと思うの。今みたいな状況では、特にね」

「………」

「……ごめんね?でも、灰塚君しかいないの。叶愛ちゃんとちゃんと話をして、事の真相を確かめて。それをクラスの子たちに一度言うだけでも、噂は収まると思うから」

「……勘違いしてるぞ、朝日向。俺にはそんな力なんて……」

「ううん、あるよ」



俺の言葉を遮って、朝日向は今まで聞いたことのないくっきりとした声で断言した。



「この学校の誰も、灰塚君の言うことなんて無視できないよ。一年の頃から、あなたはずっと一位だったから」

「……」

「それに、本当の意味で叶愛ちゃんを動かせるのも…きっと、灰塚君だけだよ」



俺は、その言葉に何も言い返せなかった。

情報が洪水こうずいみたいに流れ込んで頭がぐちゃぐちゃになる。まだ俺がどうしたいのか、どう動けばいいのか方向すら決まっていないというのに。

俺は杠を助けたいのか。まだそれすらはっきりと分からないのに。



「………分からないな」

「え?」

「どうしたらいいのか、分からない」



その曖昧な言葉に、朝日向は何も言わずただ淡い笑みをこぼすだけだった。



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