14話 迷い
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知っていた。
いや、知っているつもりだった。
本来なら、あいつが他の男とセックスをしようがしまいが俺には関係もないことだった。そもそも干渉できる資格もないのだから。でも認めざるを得なかった。
あの日、あいつが他の男と歩いているところを見た時、俺は間違いなくショックを受けていた。
「………」
当たり前のことを、当たり前に受け入れることができず。
モヤモヤした気分も晴れずに、気づけば週明けになっていて、俺は普段より早く学校に行く支度をする。
あの時一緒にいた男が誰なのか、せめてそれだけでも知りたかった。知って何かが変わるというわけでもないのに。
さっそく教室に入っても、やはりというべきか杠の姿はなかった。あいつは俺よりも普段の登校時間が遅いのだ。
でも教室の真ん中でそわそわしていた
「灰塚君!よかった」
「…おはよう、朝日向。どうしたの?そんなに慌てて」
「悠長なことを言ってる場合じゃないよ!いいから来て」
「は?」
わけもわからず手首を引っ張られてると、俺はいつの間にか人通りの少ない屋上の入口に立っていた。朝日向は手首を握る力を緩めず、今まで見たことがないくらいに焦っている。
何かが起きてしまったという嫌な予感がして、自然に声色が低くなった。
「何かあったの?朝日向」
「…その……」
それまでも、朝日向は
そしてこういう類の予感は、恨めしいほど外れることがない。
「…昨日ね。
「………」
「その男の人がね、見かけによると二十代で背も高く、結構イケメンだったみたい。だから普通に考えて年上の彼氏じゃないかって思いつくはずなのに…何故かみんな恋人じゃなくて…パパ活、みたいに捉えていて」
「……噂を流した人が誰なのかは、知ってる?」
「ううん、それは分からない。でももうみんな、そんな風に信じてるの」
「………くそったれが」
パパ活。
あまりにも非現実的に聞こえるその言葉が、俺の
もし俺があの日に何も見ていなかったら、杠はそんなやつじゃないと言い切られたかもしれない。
でも、俺は見てしまったんだ。
杠が年上の男と肩を並べているその姿を。そして杠は本人が言ったように、刺激に飢えているヤツで…
「……そっか」
「叶愛ちゃんがそんなことするはずないと言う子もいれば、失礼なことを言う子もいて…」
「…………」
「…灰塚君は、どう思う?」
朝日向は不安に満ちた瞳でじっと俺を見つめている。彼女さえも、杠を百パーセント信じてはいない気がした。
つい、それは当たり前かもしれないという思いがよぎった。
杠はかなり浮いているから。誰と会話することもなく、誰かと親しく接することもなくクラスでも
濁った頭の中で思考がぐちゃぐちゃになって、ただ朝日向に何かを答えなきゃいけないから。
俺は一度唾を呑んだ後に、率直な考えを伝えた。
「分からない」
「…………灰塚」
「……俺はあいつのことなんて、なに一つ知らないからな」
正直に言って、可能性はあると思った。あいつはもう経験済みなのだ。ただの気任せで、俺と体を重ねたようなヤツなのだ。
あらゆる情報をまとめて考えると、彼女があの男に体を許す可能性自体はあると思った。俺はそれを否定できなかった。
――じゃ、お前は本当に杠がやったと思うのか?
「…戻ろっか。いきなり連れてきてごめんね」
「……いや、構わない。行こう」
………くそ。
あいつは何度も言ってたじゃないか。ただ体だけの関係だと何度もほのめかして、優しくしないでって、ただ刺激が欲しいだけだって。
だからあいつの行動は、なに一つ間違っていないのかもしれないのに。
あいつが俺以外の男と会うのだって、当たり前かもしれないのに――
「…灰塚?…
「
「…………」
そして、階段を降りて教室に向かおうとした途中に。
偶然にもカバンを背負った杠と鉢合わせてしまって、朝日向はちょっと後ろめたい表情で挨拶をした。
「おはよう、叶愛ちゃん」
「おはよう…二人ともどうしたの?何か話してた?」
「あ、ううん!ちょっとした内緒話をしただけ。えっと……
相変わらず杠は目を丸くして俺たちを見ている。どうやら、噂が広まっているこの一連の流れにはまだ気づいていないようだった。今すぐにでも、問い正しかったけど。
けど……朝日向が隣にいるこの状況、そんなことを言う度胸はさすがにない。
仕方なく、俺は朝日向と話を合わせることにした。
「まぁ、あいつの妹のことと誕生日について、色々と聞かれてな」
「うん。ちょっと恥ずかしいけどね」
「……そう、わかった」
幸いに、杠は特に疑うそぶりなく肯いてくれた。これで一緒に教室に入ったら一安心だが――
「結、悪いけど灰塚と二人きりにしてくれない?」
「あ…うん?どうして?」
「灰塚と話があるから。先に教室戻ってて」
「……うん、分かった」
「ありがとう」
……この状況は、さすがに予想してなかった。
朝日向は慌てていたが、すぐに返事をして教室に向かった。彼女の小さい後姿が遠のいていく。
取り残された俺は、密かにため息をついてから訊いた。
「…どうした?」
「ウソでしょ?」
「は?」
「ウソじゃない?あなたと、結が言ってたこと」
目を丸くしたままこわばって、何も言い出せなかった。
どうして気づかれたのか。演技がそんなにぎこちなくは……なかったはずなのに。
そして杠は俺の動揺さえもすべて見抜いたらしく、口角を上げながら俺との距離を縮めてきた。
「何を話してたの?」
「……それは」
「…教えられない?」
「いや……お前」
「灰塚、今日の放課後に時間あるよね?」
「……いつもの教室?」
「ううん、うちに来て」
「先週は、してなかったんでしょ」
「…………」
なんだ、これは。
何を言ってるんだ、こいつは。俺をからかっているのか?昨日、確かにあの男と会っていたはずなのに?
………いや、もしかしたら本当にやってないのか?こいつはただ、純粋にあの男と顔を合わせていただけで……
「戻りましょう。もうすぐHR始まるから」
「……ちょっ、ゆずりは」
「うん?どうしたの?」
「いや……」
聞きたいことが山ほどあるのに、言葉にはなってくれなかった。
これを言ったら、杠が悲しむのではないだろうか。本当にやってないなら、俺はとんでもない無礼を犯したことになってしまう。
……そもそも、杠が二股をかけるような人間なのか?それとも、ただ俺がそう信じたいだけ?
「ぷふっ、今日は変だね。灰塚」
「…は?」
「なんでそんなに焦ってるの?
「…………」
「さぁ、教室行くわよ?」
結局、俺は何も言えなかった。そのまま彼女の後姿を追うことしか…できなくて。
チクチク痛む頭を片手で抱えたまま教室に着く。杠は、なんのためらいもなく引き戸を引いた。
そして次の瞬間、まるでみんな待っていたかのように、教室の中が一気に静まり返った。
「……………」
「……………」
「……………」
異変に気づいたのか、彼女はふとこちらを見上げてくる。でも俺は何も言わず、そのまま生唾を飲み込んで自分の席に戻った。
頭がぐちゃぐちゃで、粘っこい泥沼に浸かれているようで、何がなんだかどうすればいいのか全く見当がつかなかった。
でも、ひとつ確かなのは。
俺は今日の放課後にも、杠と会うという事実だけだった。
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