13話  惨めな女

ゆずりは 叶愛かな



「…こんにちは」

「うん、久しぶりだね。叶愛ちゃん」



待ち合わせ場所の駅前で、私はぺこりと頭を下げてから彼を見上げた。

相変わらず、気まずい人だ。

モデルみたいに高い背丈と整った顔立ち。それに裏が読めない丁寧な口調と笑顔。知らない人には理想的なイケメンに見えるかもしれないけど……私は、この人のことがすごく苦手だった。

彼の名前は杠哉斗さいと。亡くなった父の弟である叔父おじさんの息子で、時々様子を見に来てくれる私の従兄だった。



「ごめんな?昨日は急用が入っちゃって、どうしても時間を作れなかったから」

「いえ、構いません」

「そうか」



この人のことだから、たぶん女関係なのだろう。



「今日も綺麗だね。一人暮らしなのに、体調は崩さなかったかい?」

「…はい」

「それは結構。じゃ、行こうか。内緒話をするにぴったりなカフェを調べておいたからさ」



彼はそう言ってから、私の肩に自然と手を回そうとする。もちろん、私は一足先を歩きながらその手つきをかわした。

…やっぱり、この人のことは好きになれない。ほんの少し触れられただけでも鳥肌が立つ。

私がこの人と会っている理由はただ一つ、書類上で私の身元引受人である叔父さんへの定期報告をするためだった。



「元気にしてたかい?最近は僕も仕事が忙しくてなかなか顔を出せなかったからね」

「さっきも言った通り、大丈夫です。ありがとうございます」

「そんなにかしこまらなくてもいいじゃないか。もっと楽にしてくれよ。そうだ、お夕飯は何が食べたい?」

「…夕方に友達と約束していますので。すみません」

「へぇ…そっか」



……もちろん、嘘だ。昼ならまだしも週末の夕方に待ち合わせの約束をする友達なんて、私にいるはずがない。でも一緒にいて疲れる相手と食事なんてごめんだった。

彼はどうも納得していないように見えたけど、ひとまず頷いてくれた。



「まぁ、分かった。ご飯はまた後ほど」

「……はい」

「うん、着いたね。あそこだよ」



四日前、個室があるカフェを予約しておくとメールを受けてたから、場所の選定に関しては彼に一任していた。

でも…よりにもよって、こんな僻地のラブホ街にあるカフェだなんて。つい顔をしかめてしまう。もちろん私の大げさかもしれないけど…

……いや、滑稽だな。わたしは何を思っているの。

もう、付き合ってもいない男の子に股を開いたというのに。



「いらっしゃいませ。ご予約の方ですか?」

「はい。四時に予約した杠哉斗とです」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」



カフェに入った後、私たちは店員さんの案内を受けて奥にある個室へ向かった。案内された部屋はカーテンじゃなく木製の引き戸がついていて、どうも話し声が漏れそうには見えない。



「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」

「じゃ、お願いしまー」

「私はホットコーヒーで、構いません」



いきなりの注文に彼も、店員さんも一瞬だけピタッと動きを止める。

でも彼はすぐしょうがないと言わんばかりに苦笑してから、カフェモカを注文した。気まずい空気の中で店員さんが去った後、彼はさっそく顔を緩めて言ってくる。



「だから、そんなに硬くならなくてもいいのに」

「…用件だけ、手短にお願いします」

「………本当に仕方ない子だね、君は。じゃ、さっそく本題に入ろうか」



そして一度息を吸ってから、身を乗り出してくる。



「前にも言ったけど……一人暮らしをやめて、僕たちと一緒に暮らさないかい?」

「…それは、この前にもはっきりと言いました。私は一人でいたいと」

「もちろん知っているとも。僕も話を蒸し返すのはあまり好きじゃないけど、でもどうしても心配でね。いくら考えても、君の傍には保護者が必要だから」

「私は、子守り役なんて頼んでません」

「…君が伯父おじさんの家族と一緒に暮らしていた頃に、どれほど辛い思いをしてきたのか……大まかには理解しているつもりだよ?だから葬式そうしきの後、お父さんも君に一人でいる時間を許可してくれたじゃないか」

「………」

「でも、もう時間切れだ。これ以上君を一人にするわけにはいかない。こんな言い方で申し訳ないけど、君はあまりにも危うい子だからね」



…危うい。

鋭いやいばみたいに心を突き刺してくるその表現に、私は何も言い返せなかった。確かにその通りだ。私も、自分が普通に育ってきたとは思わない。

私は、苦しかった。

ずっとずっと苦しかった。なんで生まれてきたのかと両親を恨むほどには痛かった。死にたいと思った時もあったし、それも一二回では済まなかった。

私が何も言わないでいると、彼もまた私の様子を伺いながら沈黙を保つ。

それからしばらく経って、ついに彼がなにか言い加えようとした時、ちょうど店員さんが注文したコーヒーを運んできて会話がまた途切れる。

そして店員さんが去ってから、また話が繰り返された。



「意固地にならずに、よく考えてくれないかな。ウチの両親も君のことを気に病んでいるし、きっと虐待ぎゃくたいしたりもしないはず。僕たちはただ、君が大人になるまで後ろ盾になって、君に正しい道を歩んで欲しいだけだよ。だから…」

「要りません、私には」

「…………」

「一人がいいんです。放っておいてください。忌まわしき父でも、一生働かなくて済むようなお金は残してくれましたから。私には、何も要りません」

「君は………」

「以前のようにその提案は、お断りさせていただきます」



言葉をさえぎられてもなお、彼は困ったように舌鼓だけを打ってまた私を見据えてくる。でも私にはこれ以上言うことなんてなかった。

そもそも私は目の前のこの人も、叔父さんたちもみんな信用していないのだ。

私が父と継母ままははに虐待されているのを知っていながらも、一度も助けてくれなかった大人たちだ。そんな人たちとまたひとつ屋根の下で生活しろというのは、正に拷問ごうもんに近い。

なのに今更君が心配だから、一緒に暮らそうだなんて……戯言ざれごとを。父が残した遺産を奪ってやるという宣言にしか聞こえない。

うとましい。虫唾が走る。ただ一人でいたかった。

わたしは、それ以上なにも望まないから。



「…本当に、君は意地っ張りだね」

「………」

「また来るよ。来月に会おう」

「いえ、要りません。これからは私が叔父さんたちに直接連絡しますので…」

「顔を合わせないと分からないことだってあるからね。だからこれだけは譲れないかな。僕は一人取り残された従妹いとこが、とっても心配なんだから」

「………」

「じゃ、僕は先に行くよ。またね、叶愛ちゃん」



そんな言葉だけ残して、彼は席を立って出て行った。

物静かな個室の中、私はためた息を吐いた天井を仰ぐ。



「………………」



冷たい。

彼の視線には、言葉の奥には暖かさというものが全く感じ取れない。あれは心配じゃなくて、憐れみでもなく…

ただ私をもてあそんで、面白がっているようにしか見えなくて。



「…………はいづか」



つい、私は手を伸ばしながらその名前を口にする。

私が知っている心配というのは、少なくともあの人よりは果てしなく暖かい。

握られた手に伝わってくる温度。ぶっきらぼうに投げてくる言葉。

顔色一つ変えずに、額を撫でてくれたあの手つき…

ああ………本当に、私は……



「……惨めな女」



こんなくだらない待ち合わせなんて取り消して、彼と一日中セックスした方が絶対よかったと思うなんて。

本当に、惨めな女。






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