11話  お返し

ゆずりは 叶愛かな



灰塚が泊ってから三日が立って、目を開けたらいつの間にか月曜日になっていた。

そして私は、彼のおかげで風邪を治して無事に学校に来ていた。



「叶愛ちゃん!もう大丈夫なの?」

ゆい……うん。大丈夫。コンビニで色々買ってくれたの、灰塚はいづかから聞いた。ありがとうね」

「ふふっ、そう言われると悩んだ甲斐があったかも」

「うん……」



本当に明るい子…中学の時もそうだったけど、こういう生まれ持った明るさにはやっぱり憧れてしまう。

ちょっと複雑な思いが頭をもたげようとしたその時、ちょうど後ろからつっけんどんな声が聞こえてきた。



「おはよう」



なんの特色もない平坦な声色のはずなのに、何故か背筋が震え出す。

声の主、灰塚は私をじっと見据えてからほんの少しだけ笑った。



「よかったな」

「……おかげさまで。ありがとう」

「まぁ…うん、よかった」



……なんだろう、この気まずい空気。隣にいる結はなんかずっとにやにやしてるし。



「灰塚君~私への挨拶は?」

「あ、朝日向あさひな。おはよう」

「全然腑に落ちない…叶愛ちゃんにはもっと優しかったくせに」

「気のせいだろ、それ」

「ぜーーーーったいに!違うから!」



いつものように軽いノリでじゃれ合っている二人を見ると、何だか自分がバカみたいに思えてきた。

朝起きて学校に来る前まで、どうしたらいいのか色々と考えてたのだ。

灰塚には借りがある。お見舞いに来て色々面倒も見てくれたし、ちゃんと栄養を取るようにと、家に帰る前にまたコンビニでお粥と桃缶とかも買ってきてくれたのだ。

それに当たり前というか、私が眠っている間に彼は何にもしてこなかったし。



「あ!五十嵐いがらし君、おはよう!」

「お……お…おはよう。朝日向さん」

「……目の下にクマできてない?もしかして寝不足?」

「あ…夜中に、ライブ映像とかネットで探してたからね。それでちょっと…」

「もう~ダメだよ?ちゃんと睡眠時間を考えないと」

「はい……肝に銘じておきます」

「そこまではしなくてもいいのに」



…よし、今のうち。

クラスに入ってきた五十嵐君と結ちゃんが話し合っている隙間を利用して、私は灰塚に視線を合わせてからぼそりと用件を伝える。



「今日の放課後、教室」



この教室が示す意味を、彼ならちゃんと理解するはず。

そしてその期待を裏切らず、彼は一瞬目を丸くしたものの、すぐ苦笑を浮かべて肯いてくれた。







放課後、私は五日ぶりに空き教室で灰塚と顔を合わせていた。

相変わらず私は本を読んで、彼は勉強漬けになって、窓からは西日が差し込んでくる教室の中。いつもと変わらないままおおよそ一時間半くらい、私たちは話もせずにやることだけをやっていた。

普段ならもっとゆったりすることができる、私の好きな空気なんだけれども。でも今日はちょっと違った。

心がそわそわして、白と黒の色しか目に入ってこない。表面を上滑りしているだけで、内容が全然頭に入らなかった。

…誘うときは、いつもこうだ。

もう慣れてもおかしくはないというのに、どうしていつも緊張するんだろう……わたし。

とにかく最終下校時間も近づいているので、私は幾度か深呼吸をしてから切り出した。



「ね、灰塚」

「うん?」

「…この後、ウチ来る?」

「は?」

「…するかって聞いてるの」

「…………………は?」



…なによ。

言葉の意味はちゃんと届いてるはずなのに、その呆れた表情は一体なんなの?



「いや、ムリだろ?病み上がりだし」

「…気にしすぎ。もう大丈夫だから」

「お前……」



取っていたシャーペンを置いて、彼は据わった目をして私を見つめてきた。彼の視線に体が射貫いぬかれるような気がして、思わずそっぽを向いてしまう。

……それから、どれだけの時間が経ったのだろう。

ずっと黙々としていた灰塚は、ついに口を開いた。



「お返しのつもりなら、結構だけど」

「………え?」

「ていうか杠、本当にしたいと思ってるの?」



全く感情がこもってない平坦な口調が、かえって私の頭を煩わせる。

なによ、本当にしたいのかって。何でそんなことを聞くのよ。

いつもこうだ。真っ先に私を気にかける。自分から誘う事もない。

時間は大丈夫か、痛くないか、ちゃんと気持ちよかったのか。

私の警告を、お願いを無視することばかり言って、いつも私の心を削って行く。

それがムカついて、また私は同じことを口にした。



「物扱いしてって、言ったでしょう」

「…ゆずりは」

「尊重してくれるのは嬉しい。でも私はー」

「世の中にはな、無償の善意というものがあるんだよ」



灰塚にかけられたその言葉は、釘になって私の胸を突き刺してきた。

言おうとしたことも忘れてしまうほどの、大きな釘になって。



「俺は何らかの補償を求めてお前の看病をしてたんじゃない。だからお前が俺に負い目を感じる必要はないし、それとお前は別に物でもないし…」

「………」

「…とにかく、その誘いには答えられないな。ていうかお前は…」



そして仕方ないと言わんばかりの顔で、彼はため息をついて……いきなり、頓珍漢な言葉を投げてきた。



「……いや、そうだな。アイスがいいかも」

「…え?」

「どうしてもって言うなら、体じゃなくてアイスの方がいいかも。喫茶店とかのパフェならなおさらだな」

「………………」



この男は、いつもこうだ。

いつも大事な部分だけそっとして、私の心を汲んで自然にうまいことを言ってくる。

…本当に、大嫌い。

どうしてこの男はいつも余裕綽々しゃくしゃくなのか。彼も前にいると、自分がバカらしくなってくる。

だから、私はせめての恨みを込めて言い捨てた。



「…インポ?」

「………インぽじゃないのは先週、お前に証明したはずなんだが」

「それは………そ、そもそもあんた、性欲なさすぎじゃない?誘う時だっていつも私から―」

「じゃ、行くか。いい喫茶店知ってるから」



…話をそらした?!それに顔色一つ変えずに帰る準備してるし…!

これだけ事も無げに反応されると、さすがにイラっとする。一体私をなんだと――



「目をそらすな!あなた、それでも男…!」

「……本当に魅力がなかったらな」

「え?」

「あんなに激しくしたりは、しないと思うぞ」

「………………………」

「…………そういうことだよ」



肩にカバンをかけてドアの方を向いている灰塚の耳たぶは、ほんの少しだけ赤くなっていて………私は顔に熱が上がるのを感じながら、俯いてしまった。



「…………うっ」



不思議な感情と同時に気恥ずかしさを覚えながら、結局私も彼に付いていくことしかできなかった。






彼が連れて来てくれた喫茶店は、ずいぶん古風で雰囲気のあるお店だった。周りにはおばさんたちが談笑をしていて、学生組は私たちしかいない。落ち着いていて、とても静かな空間。

彼が常連だと言ってた喫茶店がまさかこんな店だったなんて、思いもしなかった。まぁ、おしゃれでがやがやしているところよりはよっぽどマシだけど……

それに灰塚は店のマスターとも面識があるらしくて、少し無駄話をしてから目当てのパフェを注文した。



「隣は彼女さんかい?」

「えっと……友達でいい?」

「何で私を見るの………ただの、クラスメイトです」

「だそうですね」

「はぁ?!」

「はははっ、本当に変わってるね。れん君は」



…この男、厄介事ばかり投げてきて。

おかげで少しハラハラしたけど、マスターは特に気にする様子もなく注文を受けて去っていった。

間もなくして、注文したパフェが机の上に置かれる。



「じゃ、いただきます」

「……すごく甘そう」



私たちが注文したパフェはバニラのアイスをベースにして、さらに生クリームとチョコシロップが掛けられていた。バナナとケーキも一切れ加わっていて、いかにもカロリーが高そうに見える。

一口味わうと、すぐに口の中で甘みが広がっていく。

あまり男子高生が好むとは思えないビジュアルと味なのに、彼は眉をひそめる事もなく、幸せそうにパフェを食べ続けた。



「…絶対、苦々しいコーヒーばかり飲むと思ってたのに」

「聞こえてるぞ」

「聞こえよがしに話したから。甘いもの好きなの?」

「まぁ…俺、どっちらかというと甘党あまとうだし。これでストレスも少しは解消できるから。ていうか、なんでそんな不思議な目で見てるんだよ」

「なんか、意外すぎて言葉が出てこない……」



…まぁ、灰塚はそっけないように見えて、案外細かい部分まで気にしたりするから。結局、灰塚も人間なんだと思うと、ちょっとだけ親近感が湧いてくる。



「あ、そうだ。わたし今週の土曜日には会えない。先約があるから」

「は?誰と?」

「……意外そうな反応、結構ムカつくんだけど」

「いや、ごめん。朝日向と会うの?」

「それは……あまり、言いたくない」



……くだらない家庭事情なんか、彼にはあまり知られたくなかった。

言葉を濁していると、灰塚も素早く私の意図を汲んで肯いてくれた。



「じゃ、今週は会えないな。実は俺も日曜日に響也と約束があるから」

「…そうなんだ」

「お前の体調の件もあるし、来週の週末にでも会おうか」



……おかしい。

どう考えても灰塚はおかしい。普通の男子高生ならもっと悶々もんもんとするんじゃないの?なんでこんなあっさりと言い切れるの?私がエッチなだけ…?

誘うときも私からだし、平日にだって全くしないし、週末もたった一日だけで会ってるし…おかしい。

この男には、性欲というものがないの…?



「……刺激に飢えているんじゃなかったの?」

「は?なんだよ、いきなり」

「あなた、いつもさっぱりしてるから…思春期の男の子としては、ちょっとおかしいじゃないかと思って」

「あ…いや、刺激に飢えているのは本当だけど」



彼は、訳のわからない笑みを浮かべてから言った。



「まぁ、強いて言うなら俺の気性のせいかな。俺、あまり物事に執着したりしないんだよ。それに、別にお前とあれを………するのだけが、すべてじゃないし」

「……………え?」

「…なに驚いてるんだ?別に…その、セックスじゃなくたっていいだろ?」



…するのだけがすべてじゃないって、どういうこと?

セフレなんでしょ?セックスだけがすべてじゃないの?



「ゆずりは?」

「……………」



どんどん頭がくらくらしてきて、訳が分からなくなってくる。

違うものを見てる。

そんな感じがした。彼が求めるのは私の体、私も同じく彼の体だけを求めているというのに。

彼は、一体わたしから何を見出したんだろう。

私の何を見つけて、私と一緒にいてくれるのだろう。

そんなことを思うだけでも、自然と体が震えて出した。

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