9話  お見舞い

ゆずりは 叶愛かな



…体調が悪いのは、一昨日から知っていたけど。



「ケホッ…ああ…最悪」



でもまさか、こんなに悪化するなんて……

体は汗ばんでずっしりと重く、喉もカラカラで咳が出るたびにかすれて痛かった。頭もぐらぐらして何も考えられなくて…本当に、最悪。



「………」



…たぶん、最近色々と気にしていたからだろう。灰塚とあんなことをして、無意識に色々悩んでたから…

ああ…もういい。こんなに苦しめられるくらいなら、いっそのこといさぎよく死んじゃえばいいのに…

そう思った矢先、ピンポンと家の中にチャイム音が響き渡った。



「……え?」



…誰?先生?それともゆい?お見舞いに来てくれるような友達は、結しか思い浮かばない。でも結なら、先に来るって電話でも入れるはずなのに………



「…あ………」



考え始めたらまたちくちくと頭痛が走った。もう誰でもいいから、早く帰らせよう。

何とかして立ち上がって、私はふらつきながらもどうにかしてドアの前に立つ。歩くのも精一杯だったので、もうずいぶんと息も上がっていた。自然としかめっ面になる。

ドアのノブを捻ると、そこには想像もしなかった人物が立っていた。



「……え?」

「…こんにちは」

「……え…は、灰塚?」



お見舞い人は、なんと灰塚はいづかだった。片手にコンビニのビニール袋を提げたまま、少し驚いたように私を見下ろしている。

あまりにも意外だったから、私はついあんぐりと口を開けてしまう。

どうして…?どうして灰塚がここに?



「お見舞いも兼ねて、プリント渡しとか色々やるつもりだったけどな……」

「……え?」

「スマホ見てなかったの?一応、来ると連絡は入れておいたけど」

「…見てない」

「まぁ、確かに既読もつかなかったもんな。とりあえず上がっていい?今きついんだろ?」



そうは言ったものの、彼は私がとやかく言う前にドアを潜って、知らん顔で家に上がってきた。



「お前、何でクーリングパッチも付けてないんだよ」

「……勝手に他人の家に上がっておいて、最初の言葉がそれ?」

「その様子じゃ、まともに食事も取ってないんだろう?薬は飲んだのか?水分補給は?」

「…………」

「はぁ……」



すべて図星だったから、私は何も言い返せなかった。そもそも立っているのもしんどくてコンビニに行く力もなかったのだ。精々タオルに水をつけて額に乗せるのがすべてで。

でも一目見ただけでお見通しなんて…そんなに酷いのかな、私の格好。

とにかく彼は有無を言わせず私を部屋のベッドまで支えてくれた後、さっそくビニール袋の中にいるクーリングパッチを取り出した。



「体温計は?」

「一人暮らしなのに、あるはずないじゃん」

「お前な……」

「…なによ」

「…いや、なんでも」



ぶつぶつ言いながらも、彼はベッドの上に座って私の額にクーリングパッチをつけてくれる。

生温いタオルよりよっぽど冷たくて、私は思わず目を瞑りそうになった。



「喉は?水とか要るだろ?」

「…いい。大丈夫」

「ふうん、コンビニで食べ物とスポーツドリンクとか色々買ってきたから、ちゃんと水分補給してくれよ。ここのデスクに置いておくから」

「…ありがとう」

「今日はやたらと素直だな」



何がそんなにおかしいのか、彼は苦笑交じりの顔で私を眺めていた。子供扱いされるみたいで、少しだけムッとしてしまう。



「どうして来たの?私、この前にちゃんと言ってたじゃん。優しくしないでって」

「俺も先生に頼まれてきただけだ。あ、それと朝日向がお大事にってな」

「……先生が、あなたに頼んだの?結じゃなくて?」

「……それは」



担任の先生は、私が一人暮らしだということを知っている。それにどう考えたって、先生が灰塚にお見舞いを頼むのは筋が通っていない気がした。私たちは、付き合ってすらいないから。

ということは…



「…結が、あなたに一任したんじゃない?」

「……正確に言うと、近くのコンビニでまでは一緒だった。でもその後は用事があるから、一人で行ってって頼まれてさ」

「…やっぱり私の言葉、無視してるじゃん。私、この前にちゃんと…!」

「しょうがないだろ。心配だから」

「…え?」

「……別に、普通だろ」



一瞬、心臓が大きく脈を打つ。

私の不満を断ち切るようにして放たれた冷たい口調。でも、中にこもっている意味はとんでもなく暖かくて…言葉に詰まって、せいぜい唇を震わせるのがすべてだった。

そこでさらに釘をさすように、彼は言い加える。



「それに例えお前がセフレでも、俺に心配されることを迷惑だと思っても、俺がそれを気にしなければならない理由はない」

「…屁理屈言わないで」

「へぇ、自分は他人にああしろこうしろと言っておきながら、いざ自分が他人に合わせるのはダメなのか?」

「それは……!」

「約束する。お前が元気になったらこんなお節介、焼かないから。でも今は大人しくしてくれよ。でないと本当に風邪が長引いてしまうから。それは、お前だっていやだろ?」



そんなことを言って、彼は答えも聞かずに買ってきたお粥の弁当を手に取って部屋から出て行った。

チクチク痛んでいた頭が、一気に白くなる。

なんで、どうして。優しくするなとあれだけ冷たく言ったのに。普通ならもっと……もっと、距離を置いたりするもんじゃない?

………どれだけ私を惨めにする気なの。これがあなたが言う普通なの?

答えのない悩みが頭の中をぐるぐると回って、ますます頭痛が激しくなる気がした。当然、答えなど出なかった。

私には、何もできなかった。



「これ食べて、早く寝ろよ」



彼は大きめの皿にお粥を盛り付けてトレイと共に運んでくる。本当に何気もない、あっけらかんとした表情だった。

その姿が、果てしなく怖くて。



「…いつまでいるつもり?」

「これ食べて、お前が寝たら帰る」

「……風邪うつるわよ。早く帰って」

「それは俺が決めることだね」

「………この」

「ぷふっ」



…腹立たしいけど、非常に腹立たしかったけど、私はあきらめるしかいなかった。



「…見られると、食べづらいんだけど」

「おっと…これは失礼」



彼がまた部屋から出た後、私はお粥が盛り付けられた皿を見下ろす。なんだか自分が情けなくて、つい自嘲してしまった。

そういえば、昔も今と似たようなことがあった気がする。たぶん、あれはユリがまだ生きていた頃……



「………いや」



考えてはいけない。すべて終わったから。もう取り返しがつかないから。

ぽかぽかと湯気が立つおかゆをすくって、頬張る。

久しぶりに食べるお粥の味は、ちょっとだけしょっぱかった。









『お姉ちゃん、お姉ちゃん!まだ体調悪いんでしょ?ちゃんと休んでよ』

『大丈夫…ほっといて』



ウソだ。全然大丈夫なんかじゃなかった。視界がぐるぐる回って、どうも勉強なんかできる状態ではなかった。

でも、仕方がない。私にはこれがすべてだから。

どこにでも受け入れてもらわない私が、生き残るための最終手段…

立ち止まってはいけないから。走らなきゃ。もっともっと、勉強しなきゃ……



『…お姉ちゃんは、頑張りすぎだよ』



必死にあがいている私を見て投げ出した妹の言葉が、そのまま胸に刺さってくる。思わずイラッとしてしまう。

こんなに私が悪あがきする理由、本当に分からないの?

あなたのせいでしょう。

あなたが私を覆い隠すから。生まれつきの才能は変えられないと、あなたが何度も私の頭にり込んでくるから。

体が震え出す。なんで自分はこんなにも惨めなのか。なんでこんなに悔しいのかが分からない。



『…テスト、頑張ってね』



なのにこんな頭のおかしい姉を、妹はぎゅっと抱きしめてくれる。

心配の色が交じった顔で、私を元気づけようとしてくれる。

その事実が私をどこまでも、そこの知れない泥沼に浸らせた。



『…うん』

『がんばって、お姉ちゃん。わたし、お姉ちゃんのこと大好きだよ?』

『…………うん』

『うん。でもね…』



そして妹は、私の顔に手を添えて…



「お姉ちゃんは、違うよね?」



そんなことを、言ってきた。



「なっ………」



全身の血が、一気に冷えていく。



「お姉ちゃんは私のこと、大嫌いだったじゃん?私なんか消えてしまえばいいって何度も思ってたくせに。知ってるよ?わたし」

「ち……ちがっ……」

「違わない~違わない~なにが違うの?私のこと、ずっと大嫌いだったくせに。ねぇ、認めようよ~ずっとずっと、私を憎んでいたんでしょ?」

「あ………ああああ……」

「嬉しかった?すっきりした?すっきりするよね?だって私がいなくなるのを、お姉ちゃんはずっと待ってたんだもん」

「……やめて……こんなのイヤ……こんなの、私は……!!」

「聞いてみたいな~どんな気持ちだったのか、私はと~~っても気になる~」

「あ……あああああああああああ!!」

「ねぇ、杠叶愛」



そして、ユリは笑って。




「私が死んで、嬉しかった?」




ずっと手に持っていた包丁を、私の胸に刺してきた。









「………りは?ゆずりは?」

「あ……くっ……あぐっ……」

「……ちょっ、ゆずりは!しっかりしろ!ゆずりは!!!」

「………………はっ!」



まぶたを開いた時、もう他界した妹はどこにもいなかった。

ただ、目を白黒させて私の肩を掴んでいる灰塚だけが、視界に映っていた。



「…大丈夫か?」

「………あ」



思わず、手で自分の胸元をあちこち触ってみる。

死んでない。穴なんてあいてない。包丁なども刺さっていない。心臓もどくんどくんと鳴っている。

…ああ。また、あの夢……

顔を上げると、灰塚はまだ困惑しきった顔で私を見つめている。少しだけ、その事実に驚いてしまった。

…こんな顔もするんだ。いつもはあんなに飄々ひょうひょうとしてるのに。



「…痛い」

「……あっ、ごめん」



自覚してなかったのか、彼は慌てながらもパッと手を離したくれた。

…初めてセックスした時だって、こんな慌てっぷりは見せなかったのに。



「…落ち着いたか?大丈夫?」

「……うん」



……そっか。私、灰塚が買ってきたお粥を食べてからそのまま寝て。

そしてユリが出てくる夢を見てうなされて、灰塚が起こしてくれて。また、灰塚に助けられて……

……ダメ。



「…いつ、帰るの?」

「お前……」

「もう夕方でしょ。早く帰った方がいいんじゃない?」

「…………」



唐突に言った言葉に彼は何を考えているのか、ぐっと唇を引き結ぶ。灰塚は何も言わずただ私を見据えていた。私は、帰って欲しかった。

これ以上、彼に甘えたくなかった。

私はかぶりを振って、また乾いた声色を放つ。



「帰って。私はもう平気だから」

「…………」

「本当に、あなたが心配する事は何もないから。今朝よりは少し体調もよくなったし。あなたもせっかくの金曜日を無駄にしたくはないんでしょう?だから…」

「泊まっていく」

「………………え?」



………え?

今、灰塚がなんて言ったの?



「聞こえなかったか?泊まっていく」

「なっ……や、やだよ」

「いや、今日は泊めてもらう。せっかくの金曜日をもっと有益に使うためにな」

「い、いやだと言ってるでしょ。帰って」

「……お前、普通に考えてこのまま帰られると本気で思ってるの?」



彼は見たこともないくらいに顔をしかめて、私をなじるように言ってきた。



「誰も看病してくれない状態で、冷蔵庫の中はほぼ空っぽだし、まともに食事も取ってないし、寝付いたと思ったらいきなり泣き出したり悲鳴をあげたりするし。なのにいざ起きたらなんて?自分は大丈夫です?」

「うっ……」

「こんなのセフレ…クラスメイトじゃなくて、赤の他人だって心配になるじゃねぇか。だから悪いけど、二言は認めない。迷惑だとは分かっているけど、今日はこの家に泊めてもらう」

「迷惑なの、分かっていれば…」

「そんな正論は、後でいくらでも聞いてやるから」



シニカルに答えてから、彼は自分のスマホをいじり始めた。それはたぶん、両親への報告…



「家に連絡してくるから、待ってろ」

「………」



答えも聞かず、彼はそのまま外へ出て行ってしまった。

家のドアが閉まる音を聞きながら、私はまた小さく嘆く。

だから、あんな風に言ったのに。

優しくしないでって、物扱いしてって。あなたの普通を、私は理解できないから。

怖い。怖い。私は俯いて、また大きなため息を吐く。

それでも心臓は、なかなか落ち着いてはくれなかった。


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