7話  優しくしないで

ゆずりは 叶愛かな



胃が痛い。

落ち着こう、落ち着こうと何度自分に言い聞かせても体が言うことを聞いてくれなかった。何を緊張しているの、わたし。別に好きな人とするわけでもないのに。



「…はああぁ」



浴室の鏡で映った私の顔は、みっともなく真っ赤になっていた。

こんな顔を彼に晒したと思うと、ますます恥ずかしくなってつい唇を噛んでしまう。

とにかくもう自分の顔を見ていられなくなったので、私は素早くシャワーブースに入ることにした。



「…本当、何を慌てているの」



頭に降りそそぐ水を浴びながら、私は嘲笑ちょうしょうする。

そう。今から開かれるのは恋人が愛し合う暖かいワンシーンではなく、ただ刺激に飢えている男女が性欲をぶつけ合う茶番劇にすぎないのだ。快楽以外には何の意味も込められていない。

しっかりしよう。私が望むのはたった一つ、彼の体だけだから。

いいじゃん、別に。こんな水臭い生活に、ちょっとしたスパイスを加えるだけだから。わたしにはもう、これ以上失うこともないし。



「……ふっ」



その事実を思い出した瞬間、なんだか急に心が軽くなった気がした。

まもなくシャワーを終えて下着をつけてから、私はほんの少しだけの間、横にあるガウンに目を向けた。



「………」



灰塚は、確かにこのガウンを着ていたっけ。でも…別に要らないんじゃないかな。

恥ずかしがることも、隠す必要もないから。彼も露骨的に誘われた方がきっと楽なはず。私たちは、セフレだから。

そのまま下着姿で浴室を出て、私は堂々と彼と目を合わせる。

すると、彼は全く予想しなかったのかその場で凍り付いてしまった。



「なっ……」



全身に刺さる男の視線。普段はこういった視線にさらされるのは嫌っていたけど、なぜか今はものすごく楽しかった。

だって、彼の表情が面白すぎるのだ。学年一位天才様のこんな間抜け顔なんて、きっと滅多には見れないものだ。私が、私の体で彼をとりこにしている。

その事実を悟った瞬間、私も一気に体が火照り始めた。

もっと火に油を注ぎたくて、私は挑発するように彼の膝の上に乗りかかる。嘲笑うような表情をして、正面から彼の顔を凝視した。



「ゆ…ゆずりは……」

「………情けない顔」

「………」

「……ねぇ」



そして彼の耳元で息を吹きかけてから、囁いた。



「今すぐ、しちゃう?」







その言葉が放たれた後、私たちは何も言わず一心不乱にお互いの体を求め始めた。

言い難い。あの感覚は、この感情は言葉だけでは表現できない気がした。正に言い知れないという表現がぴったりとハマっている。それでも…

とても暑い、ということだけは自信を持って言えた。

それは私が求めていた暑さで、この数年間ずっと願ってきた感触だった。人の体温は、いつも私を安心させるから。

だから、自分でも驚くくらいに乱れてしまって……終わるころにはお互い汗まみれになって、息を整えるのが精一杯で。

腰と体が重く、喉も乾いたのに全身が熱っぽくていきいきしてる感じがする。灰塚に教え込まれた刺激だ。

今までたった2回しかしなかったのに、もう溺れてしまいそうなほど気持ちよかった。




「はああ………ああ……うう……」

「……ふうう」



私がベッドで仰向けになって息を整えている最中、彼はペットボトル入っている水を飲みながら大きくため息をついていた。その息遣いには気持ちいい疲れが交えているような気がして、私は微かに笑ってから言う。



「……余った水、私もちょうだい。喉かわいた」

「………いや、これ、俺が口つけたものだぞ?」

「…………え?」

「なんだよ?」

「いえ……その、今さら…?いいから、ちょうだい」



上半身だけ起こして彼が持っていたペットボトルを横取りした後、私は一気に余っていた分を飲み干した。本当に、今さら何を気にしているんだが。

………本番の時なんて、最後はあんなに激しくしてたくせに。

いや、でも確かにキスはしてこなかったから、案外気にするとこなのかな。

もちろん、彼がキスをしたいって言うのなら私は別に構わないけど……どうにも、こっちから足を踏み出す気にはならなかった。

私はさっきの行為だけでも十分、満足だったから。



「大丈夫か?」



空になったペットボトルを部屋の隅にあるゴミ箱に捨てて戻ってきたら、突然にして彼がそんなことを言い出した。

その言葉に、私はわけが分からなくなってしまう。



「…え?」

「痛くなかったか?」

「…………」



…………え?

なに…言ってるの?この人は。頭が真っ白になって、私はしばしぼうっと立ちすくんでしまう。

数秒経ってようやく、彼が私を心配してくれていると気づいて、思わず私は吹き出してしまった。



「ぷふっ…あははは」

「…何で笑うんだよ」

「いや、だって…あはははは!」



変な人だな、本当。

根が優しいのか、それともただのバカなのか。とにかくこれ以上不機嫌になる前に、私は辛うじて笑いを止めて彼の横に座った。

お互い一糸まとわない状態でこんなことを言い出すのは、さすがにちょっと違和感があったけど……あんなことまでしてしまったし、いいっか。



「私、別にあなたの恋人じゃないよ」

「……知ってるよ、それくらい」

「なら、なんでそんな不安そうな顔で心配してくれるの?あっ、あれか。痛かったら私が拒むから、これからも私としたいという下心があって…」

「それは、ない」



きっぱりと断言されて、私は少し驚いてしまった。こんなに低い彼の声は、今まで聞いたことがない。

目を丸くして見返すと、彼は半分呆れたような口調で言った。



「…いや、全くないとは言い難いけど。でも具合が気になるのは本当だから。恋人じゃなくたって相手に痛い思いはさせたくないし……こっちも気を使うのが当たり前だろ」

「………」

「…なんだよ、その意外そうな顔。俺をなんだと思っていたんだ。別に普通だろ」

「……ふつう?」



普通…なの?これが?

なんか、私が知っている一般的なセフレの関係とは違うような気がした。いや、セフレになったのは灰塚が初めてだけど…

でもてっきり、もっと雑で、乱暴に扱われると思っていたのだ。

彼の目的は間違いなく私の体だけだから、私がどう思うが全く気にしないとばかり思っていた。なのに…



「………………」



………ダメ。

いつの間にか、心の中に反抗心が芽生えてくる。



「優しくしないで」



そして思わず、こんな言葉を口走ってしまった。

彼は意味不明だと言わんばかりの顔で、首を傾げる。



「は?」

「セフレなんでしょ。優しくするくらいならいっそのこと物扱いしてよ。そんな気遣い、私は要らないから」

「お前…なに言って」

「それに、さっき見てたでしょ?……自分で言うのもあれだけど、あの乱れっぷりは、痛がる女の子にしては少々激しすぎたんじゃないかな」

「…………」



………しくじった。

こんな場面で言う言葉じゃなかったのに。なのに考える隙も無く、口が勝手に動いてしまった。

はぁ、面倒くさい女だな…わたし。彼は純粋に私のことを心配してくれてるんだから、素直にありがとうって返せばいいものを。

つくづく、こんなみっともない自分が嫌になる。でも仕方ないのだ。

……怖いから。

ものすごく怖いから。他人の好意なんか、所詮は薄っぺらくて信用できないもの。私には毒にしかならない。

だから、体だけがいい。

それほど露骨的で安心できる線を、私はまだ知らない。



「…わかったよ」

「…うん」



彼が何を理解したのかは、私には全く分からなかったけど。

ただ私がどれだけ器の小さくて惨めな女なのかは、はっきりと伝えられたんだと思った。ただ快楽だけを求めて腰を振るような女だと思うに違いない。

そして私は、そのことに安心感を覚えてしまって……また自分が嫌になって、反吐が出そうになった。

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