6話  ラブホ

灰塚はいづか れん



家に帰ってから、俺はずっと部屋に閉じこもってバリアの新曲を聞いていた。雑念が交えないようヘッドホンをつけて、ボリュームもできる限り最大にして。

それでも、どうしてもあの言葉が頭から離れなかった。

あんなに待ち望んできたアーティストの新曲なのに、全然耳に入ってこない。何を考えているんだ、あいつは。

土曜日に空いてるかって。それに場所がよりにもよって、ラブホテル……



「……はあ」



さすがに集中できなかったので、俺はヘットフォンを外して深くため息を吐いた。何をやってるんだ、俺は。

きっと、ゆずりはの提案を拒むことだってできたはずだ。でも俺は逃げた。あの場所から、杠から逃げ出した。

理由は分かっている。あいつと同じく、俺も刺激が欲しいから。

あいつが与えてくれた快楽を忘れられていないから。



「ふう………」



土曜日の約束だってはっきり答えてはいなかったものの、杠なら俺の考えていることなんて簡単に察するだろう。ああ見えて人の感情に鋭いヤツだから。

滑稽だと思う。何の言葉も交わさずに、ふと目を開けたらこうなっていた。

セフレ。

自分とは無縁だと思っていたあの言葉が、頭の中でじわっと浮かんでくる。



「…………」



…いや、ただ俺の大げさなのか?杠ならきっと、軽い気持ちで俺を誘ったのに違いない。快楽という刺激が欲しいのは、向こうも同じだから。

彼女なら、変に意識したり悩んだりしないはず。俺が知っている杠叶愛ゆずりはかなはそういう人間だ。

あの時もそうだった。面白がって俺を挑発して、終わった後も平然と話しかけてきて。彼女が俺のように悩んでいるとはとても思えない。

だから、俺も気を軽くして接すればいいのだ。お互いの体を利用して、適当な快楽を得るだけの関係。

それが、セフレなんだから。








「……早いな、あいつ」



杠と約束をしてから10日間、俺たちはいつも通りに過ごしていた。クラスではお互いほとんどしゃべらず、放課後になったらいつもの教室に顔を合わせて、一緒に家に帰る日常の中。

お互い、セックスという話題は全く出さなかった。

でも、今日はいつもと違うだろう。



「来たね」

「…おはよう」

「うん、おはよう」



杠は、にっこりと笑って軽く手を振った。

単調で白いTシャツとロング丈のベージュ色のスカート。黒いサンダル。全体的に落ち着いてはいるけど、彼女の神秘的な銀色の髪とはそこまで似合っていない気がした。

でも、それでいいと思った。どうせこれはデートなんかじゃないから。



「早く来たね。私はてっきり定時ぴったりで来るかと思ってた」

「そっちこそ、いつからいたんだよ?今、待ち合わせ時間の20分前だけど」

「30分前、と言ったら?」

「…ごめん、待たせたな」

「ううん、気にしないで。暇だったから早く来ただけだし」

「そっか……」

「……うん」

「……入るか」

「そうだね」



お互いもじもじしてはいるものの、恋人特有のじれったい雰囲気ではなかった。当たり前だ。これはデートなんかじゃないから。

このバクバクと鳴る心臓は、これから訪れる快楽に対する期待にすぎない。

このドキドキは、彼女のものじゃない。



「…何だか、妙な雰囲気だね」

「……そうだな」



ラブホに入るの自体は初めてなのか、杠はぎこちなくロビーの中を見回してから、パネルに映ってあるボタンを押した。

それから空いた部屋を選択して料金を支払う前、彼女はまるで意見を訪ねるようにして俺を見上げてきた。



「…いいよね?」

「……まぁ、構わないよ。お金は…」

「大丈夫。お金の事は気にしなくていいよ」

「は?」



とっさのことで唖然あぜんとしていると、彼女は何だかはかなげな笑みを湛えてから言った。



「そういう女の子もいるんだよ?」



……どんな女の子だよ、と言いかけたがひとまず言葉に甘えることにした。借りを作りたくはないから、値段はこっそり覚えておくことにして。

カードキーを受け取って、俺たちはさっそくエレベーターに向う。それから部屋の前にたどり着くまで、ずっと沈黙を保ち続けた。



「……」

「……」



中に入ると、いかにもふかふかしそうな真っ白いベッドと二人分の枕、そしては大きなテレビが目に入ってきた。室内の照明はやや薄暗い赤で、ベッドの横にはワイン色のソファーが置いてある。

ちょうどいいと思った。俺たちには日差しより、この薄暗い照明の方がよっぽどお似合いだから。

杠はそのソファーに腰かけてから、俺を見て何かを言いたそうに口をパクパクし始める。部屋の色合いのせいか、普段より頬が少し上気したように見えた。



「……えっと、その……」

「……」



前回は成り行きだったから気付かなかったけど、いざこれからする、と思うと何だかんだで緊張してしまう。

………まぁ、恋仲ではないけど……こんな場面ではしっかりリードしなきゃ。



「…とりあえずシャワー浴びるか。お先に入る?」

「…………いえ。その、灰塚が先に行って。私、後の方がいい」

「分かった。じゃ…」



何とかしてポーカーフェイスを維持したまま、俺は光の速度で浴室に入る。

そして完全に一人になった瞬間、俺は溜めてきた大きな息を吐いた。

…バカか、俺は。何でこんなに震えているんだよ。



「ふうう……」



一度経験したから、きっと何気なくできるはず。大丈夫……大丈夫……

自分にそう何度も言い聞かせながら、念を入れて体を洗い始める。嫌な思いをさせたくはないし、なによりもこれは相手に対しての礼儀だから。

時間をかけてシャワーを終えて、手洗いと歯磨きまで済ました後、俺はガウンを着て外へ出た。

その直後に、杠と目があってしまう。



「……シャワー、終わったけど」

「あ……わ…分かった。失礼します」



………いや、何で敬語?

突っ込むよりも先に、杠はまるで走るみたいにして浴室に入って行った。

……そっか。あいつも緊張してるのか…

なんだか妙な安心感が湧いて少し苦笑してから、俺はさっきまで杠が座っていたソファーに身を委ねた。

ソファーにはまだうっすらとした杠の残り香と体温が残っていて、少し変な気持ちになってくる。



「……はぁあああ」



…いや、しっかりしろよ俺。変態じゃあるまいし。いや、変態かもしれないけど…

……ダメだ。テレビでも見て落ち着こう。



「ふうう…」



そしてテレビをつけてから15分くらい立って、ようやく浴室のドアが閉まる音がした。たぶん、杠もシャワーを終えたのだろう。

ガウンを着ているはずだから遠慮なく杠に目を向けようとした、その瞬間――

俺は、言葉通り凍り付いてしまった。



「………」

「なっ……」



目に入ったのは、黒いレースの下着を身につけた杠の姿。

潤いがあってシミひとつない白い肌。適切なボリューム感と共に、確かな存在感を発揮している胸、細くくびれた腰回り。

普段の杠からは想像もできないほどの、妖艶さが漂っていて………



「へぇ………」

「…………」



…………こいつ。

いや、初めての時も綺麗だとは思ってはいたけど、でもこれは…



「……………」



浴室に入る前とは違って、まるで別人になったかのように、彼女は堂々と俺と目を合わせながらソファーの上にあるリモコンを手に取って、テレビを消す。

静寂せいじゃくの中で、彼女は慌てる俺の顔を見てクスリと笑って。

俺の膝の上に乗っかって、そのまま首に両腕を回してきた。

全身に、今まで感じたことのない柔らかい感触が走る。



「ゆ…ゆずりは……」

「………情けない顔」

「………」

「……ねぇ」



それから杠は身を乗り出して、俺の耳元になにかを囁いてきた。



「今すぐ、しちゃう?」



そんな、呪いのような言葉を。

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