5話 誘い
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カバンから本を取り出そうとした時、ちょうど隣で
まぁ、五十嵐君って顔立ちは整っているけど、少し
「おはよう~叶愛ちゃん!灰塚君も!」
そんなことを考えていると、後ろから明るい声が聞こえてくる。
振り返ると、真っ先にサラサラな茶色の髪が目に入ってきた。胸元まで伸びている髪とすっと伸びた高い鼻と薄い唇、赤ちゃんみたいにつやつやな白い肌。
満面の笑みを
「おはよう、結」
「うん!五十嵐君もおはよう」
「お……お、おはよう。朝日向さん」
……照れてるな、五十嵐君。
申し訳ないけど、彼の反応を見ているとつい微笑ましい気分になってしまう。好きという感情がそのまま顔に出てるから。
でも結はまだ気づいていないのか、もしくは単に気づいてないふりをしてるのか。どちらかは分からないけど、いつも五十嵐君に平然と接していた。
「そうだ。今朝五十嵐君の動画見たよ!どうやってあの短時間で作ったの?アルバム出てからまだ二日も経ってないのに」
「あ……慣れたからね。曲の歌詞だって他の人がほぼネットにアップロードしてくれるし、僕はただそれを翻訳しただけだよ」
「ううん、絶対すごいと思う。動画見て感心しちゃった」
「…ありがとう」
五十嵐君は見る見るうちに顔を赤らめて俯いてしまった。まぁ、好きな相手に絶賛されて照れるのは普通だけど…でも五十嵐君は少し純粋すぎるんじゃないかな。そんなところが、彼の魅力かもしれないけど。
その一方、結は私の前の席に座っていた灰塚に視線を向けた。
「灰塚君も、バリアのアルバムずいぶん聞いたんじゃない?」
「それが…実はまだ聞いてないんだよ。週末に色々あったから」
「えっ、意外だね。灰塚君ならてっきり一日中聞くと思ってたのに」
「別に響也じゃないから」
「ちょっと、連…!」
慌てる五十嵐君を見て結は楽しそうにしている。いつも通りの穏やかな空気だった。
でも私は、彼が言ったことが気になって少し顔を
好きなアーティストの新曲を聞かなかった理由………それは、私のせいなの?
この前あんなことをしてしまったから……頭がごちゃごちゃになって、それどころじゃなかったから?
「………………」
「………………」
どれだけ見つめても、彼の笑顔からはなにも読み取れない。
彼は、今日初めて会った時からたった一度も私に視線をよこさなかった。改めてそれを自覚して、心臓がぎゅっと掴まれたような不快感を覚えてしまう。
……あなたはこの前の出来事を、なかったことにしたいわけ?
「あの曲めっちゃよかった!フィーチャリングした歌手さんもメロディーもすごく好みで、もう何回も聞いちゃったよ」
「そ…そうだよね!まだ二日しか経ってないけど、現地の反応もすごいよ。また新しい傑作を作り上げたと評論サイトでも絶賛されてたし」
五十嵐君と結が好きな歌手をネタにして話を盛り上げている中、私は露骨に灰塚を
何でこんな感情が浮かぶのかは、知らなかった。ただ無性に腹が立った。彼の立場から見ると、むしろ当たり前の行動かもしれないのに。
とにかく彼もそれ以上は無視できなかったのか、ついに首を回して私と視線を絡めてきた。
「…どうした?」
「……」
…ここで話すのは、無理かな。もう教室に人がいっぱいいるし。
だから、私はポケットからスマホを取り出して、彼にしか見れないような角度でこっそりスマホを指さした。
「………ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい~」
行動の意味を察したのか、彼は直ちに立ち上がってトイレに向かった。手を振りながら彼を見送った結は、また五十嵐君と話を盛り上げる。
私は適当に
…さて、どんな内容を送ればいいのかな。
「………」
いつも通り、とあの時の私は言っていたけど。
でもつくづく痛感してしまう。私たちはもう元の関係には戻れない。
友達でも、恋人でも、かといってただのクラスメイトでもないあの曖昧な関係性は、もう戻ってこない。
残された選択肢はこのまま赤の他人になるか、それとも他人には言えない秘密の関係になるか、その二択のみ。
何度も思い悩んで、何度もメッセージを打って消して……結局、私は大きく深呼吸をしてから、短めなメッセージを送った。
『放課後に、教室で待ってる』
もちろん、あの空き教室を指しているということくらい、彼ならすぐに分かるだろう。
心臓がバクバク高鳴る。スマホをポケットにしまって、私はもう一度深呼吸をする。
さっきまでメッセージを打っていた手先は、まるで氷のように冷え切っていた。
帰りのHRが終わってから、私は見向きもせずに階段を駆け登って例の空き教室に入る。
単純に、灰塚の顔を見るのが怖かったのだ。
メッセージに既読がついた後も、トイレから帰ってきた後も灰塚はいつも通りだったから。授業を真面目に受けて、お昼休みは五十嵐君とだべりながらイヤホンで音楽を聴いて、午後にはまた勉強して。
来るかもしれないという淡い期待だけを抱いて、私はいつもの席で本を読み始める。5分が経った。それから10分。15分。20分……
それでも、どれくらい時間が経っても、教室の扉は開かなかった。
「…………」
…まぁ。
仕方ないよね。知っていたじゃない。
苦笑したまま、私は天井を仰いで溜めた息を吐く。
知っていた。ここ数ヶ月がおかしかったのだ。彼は私と住む世界が違うから。彼は学年一位の秀才で聞いた話によると家柄もよく、そこそこ人気もあるのだ。私なんかとは大違いだ。
彼が自ら泥沼の入るような選択をするはずがない。分かっていた。でも……
……なんだろう、これ。告白して振られたわけでもないのに。
なんでわたし今、こんなに惨めなんだろう。
「本当…バカみたい」
本当に、このまま生きていてもいいのかな…なんてバカな考えを巡らせながら、私は再び息を吐く。
そして、本を閉じてもう帰ろうとしたその時に―
ガラリ、と引き戸がぶつかる音がした。
「…………」
「…なんだよ、自分で呼んでおいてその顔」
「いや………」
数十秒経って、ようやく口が動いてくれた。
「……来ないと、思ってたから」
「……」
魂が抜けたようにぼうっとしている私を横切って、彼は私の隣の席に腰かける。
教室でも同じである、私の左側の席に。
「……お前が言ったんだろ?なにも変わらないって」
「………」
「じゃ、いつも通りにやるだけだよ」
図々しいとさえ思われるその言い草に、私は言葉に詰まってしまう。
……変わったんじゃないの?
私の勘違い?意識しているのは私だけ?それは……それは……
………ずるいよ。
ダメ。認めない。心の中で色んな感情が混ざりあって黒になっていく。濁りをたくさん含んだまま、どんどん沈んで。
「…ねぇ」
「…なんだ?」
「ごめん。わたしウソついてた」
「………………」
「セックスって、それくらいのことじゃない?ものすごい力があるから。簡単に何かを変えて、何かを壊す力が………あるじゃない」
灰塚はようやく私を見てくれる。彼の瞳は、今まで見たことがないほど揺らいでいた。
そこで私は安心する。ああ、同じなんだと気づく。彼も意識しているのが分かって、嬉しさがせり上がってきた。
そりゃ、仕方がないよね。まだ幼い私たちにとって、あの行為は刺激が強すぎるもんね。
あんなに激しかった瞬間、忘れられるはずがないから。
「変わったよ?私たち」
「…………何が言いたいの?」
「そうね……」
露骨に投げかけた言葉に、彼は一瞬びくっとしてまるで吸い込むように私を見据える。何か言いたげなのに必死で我慢しているような、複雑な表情だった。
そこに釘を差すように、私は言う。
「来週の土曜日、時間空いてる?」
これは、やはりというべきか分からないけど。
彼は、首を横には振らなかった。
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