3話 刺激
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格好いいよねと、クラスの誰かが彼について言ったことを思い出す。
不動の学年一位である天才。顔も良くて誰に対してもそこそこ優しく接して、まるでエリートという文字を象ったような優等生。感情が薄くていつもクールな雰囲気を醸し出すクラスメイト。
………時々、人間として必要な何かを欠いているようにさえ見える男の子。
「………」
まさかそんな彼と体を重ねるなんて。予想外の展開すぎてつい失笑が出てしまう。
『何読んでるの?』
『うん?』
いつものように、空き教室で時間をつぶしていた時のこと。彼にそんな質問をされて、私はかなり驚いていた。
あの灰塚が私について何かを質問するなんて、想像もしてなかったから。
『…言っても分からないと思うよ?洋書だから』
『図書館で借りた本じゃないの?』
『うん、私が直接買った本』
『へぇ…洋書が好きなのか』
『そうだね。文芸とかはあまり読まないかな』
その返答が意外だったのか、彼は少し首を傾げてまた訪ねてきた。
『どうして?好きな理由とかあるの?』
『うん…強いて言うなら、事件が突発的に起こるから?』
『……は?』
『洋書はね、だいたい平和な場面でいきなり事件が起こるの。そして登場人物たちは平然とそれを受け入れるようにしてるけど、内側では徐々に壊れていくんだよね。その時の感情の描写が、なんかすごく刺激的に感じられて」
「へぇ………」
私の説明を聞いた後、彼はまるで感心したように口をあんぐり開けてから苦笑を浮かべた。
『………さすが文学少女』
『ちょっと、今の皮肉だったんでしょ』
『いや?純粋な尊敬だよ。そっか、刺激か…」
灰塚は、その単語を噛みしめるように呟いていた。
『飢えているもんね、灰塚は』
『……は?』
『だって灰塚、いつも刺激に飢えているように見えるから』
とっさの思いつきで言っただけのに、彼はまるでショックを受けたようにぼうっとしていた。
そしてずいぶんと間をおいてから、彼はようやく口を開いた。
『確かに……それはそうかも」
『……否定しないんだ』
『そりゃ事実だからな。そういう杠だって、俺と同じだろ?』
『うん、そうかも?』
『少しは否定してくれよ…』
灰塚は間延びした声に対し、私はただ笑うことしかできなかった。
だって、本当のことだから。私は新しい刺激が欲しかった。力強い何かで心を引っ張られたかった。
灰色だらけの世界に、色があって欲しかった。
でもこんなことを口に出しても彼に迷惑なだけだし、何より私と彼はそこまで腹を割った間柄でもない。
だから適当な愛想笑いだけ浮かべていたら、いつの間に最終下校時間になっていた。
『そういえば、前から聞きたかったんだけどな』
『うん?』
『杠って、なんでいつもこの教室にいるの?』
『さぁね………帰る場所がないから?」
『……………は?』
『ぷふっ、冗談だよ?わたしちゃんと一人暮らししてるから。でも今の質問、答えたくはないかな』
『そっか……分かった。帰ろうぜ』
『うん』
それ以上の深追いをすることもなく、彼はしらっとした顔で立ち上がる。本当に変わってるなと、つい感心してしまう。
灰塚には下心というものが、全くないのかもしれないと思った。
彼は深追いもせず粘っこい行動もせず、いつも素で私と接してくれる。そして私と同じく、二人でいるこの時間を楽しんでくれる。
私たちはお互いに対して、異性としての感情より先に同質感を抱いていた。
『これからもよろしくね?』
『…は?』
『だから、この教室』
すぐに言葉の意味を察して、彼は口角を上げて答えてくれた。
『うん、よろしくな』
やっぱりそうだよねと、心の中で彼の答えを納得する。
だって私たちは、この時間を新しい刺激として見なしているのだから。
「はああぁ…」
布団をかぶって息を吸い込むと、いつもとは違う匂いがした。
私の匂いじゃない。彼の匂いだ。
「………」
なんだか、人生の行方を決める舵が壊れたような感覚だった。さっきの行為が頭から離れてくれなかった。
高校生なのに、たかがセックス一度で混乱しすぎているのかもしれない。
でも……初めてだったから。
あんなに体がぎゅっと
「…夕飯の準備、しなきゃ」
ベッドから体を起こそうとしたとき、
この痛みが、私があんなに待ち望んだ刺激なのかな……それともバカな私に下される罰?
灰塚が立ち去ってから、ずっと宙に浮いているような気分だった。
幸せや喜びとはちょっと違う。だったら嫌な感情?いや、それも違う。
痛かったけど、至福とは程遠い感じだったけど、灰塚とした行為は決して嫌ではなかった。
なにより、最後はそれなりに気持ちよかったし。
やや濡れた肌の感触、自分の体じゃないみたいな浮遊感と全身に巡る熱。気持ち悪いという感情は、一切浮かばなかった。
「…バカだな、私」
中学生の頃に、一度だけこの行為について思いふけた時があった。あの時は心から愛して、私のすべてを受け入れてくれる人と結ばれたいと神様に願っていたっけ。
なのに今はこの有り様。堂々と好きでもない男の子と初体験して、勝手に心臓をバクバクさせるなんて……滑稽だと思う。
でもいいんじゃないかと納得した。どうせ神様なんかこの世にいないんだから。
「…………」
夕飯用の米を研ぎながら、私は無意識にずっと考えを巡らせた。
これから、どうすればいいのだろう。
彼には今まで通り、と言ったけれど本当に以前のように接することができるか私には自信がなかった。
だったら落ち着くまで、彼と距離を置いた方がいいんじゃないかと思う。常識的に考えて、この関係は
それに私はともかく、この事は彼に迷惑だったのかもしれないし。
「ふう……」
だとしたら、彼は私と会いたがらないはず。
だったら私も彼と距離を置いたまま、また昔のように一人でのんびりしていればいい。そう、いつも通りだ。
彼に合わせて行動すればいい。それだけのこと。
「………………」
なのに、その妥当な結論がどうしても腑に落ちなかった。
あの温もり、吐息、異物感、表情、快楽。
そしてあの空き教室でずっと顔を合わせてきた、気が合う男の子。
彼が消えればすべて消える。私はまた空っぽになる。これは愛情とか、そんな
愛情とは少し違う、もっと薄暗いなにかだ。心の中でくゆらせている、私という人間の本性。
「……もし」
もし、彼も私と同じで……またしたいと願っているのなら。
じゃ別に、歪んでいていてもいいじゃん。世界には色んな関係があるのだから。
彼はどう思っているのだろう。もし彼に拒まれたら、さっきの話は痛い女の妄想になってしまうけど。
……でも灰塚なら。
私と同じく、刺激と色を追い求めるあの男の子なら。
もし灰塚がこの関係を受け入れてくれるのなら……その時には、本当の意味で戻れなくなるかもしれない。
「…………」
…でもそんなことは、どうでもよかった。人々が言う倫理観とか、正しいあり方とか……本当に、どうでもよかった。
ずっと苦しんできたから。ずっと……報われなかったから。
だから少しだけは、快楽に身を委ねてもいいじゃん。私の人生って、もう2年前に終わってしまったから。
………ごめんね、灰塚。
私は小さく呟いてから、口角を上げた。
「勝手にあなたを利用して…ごめんね」
私は、そう謝ることしかできなかった。
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