2話 空き教室
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部活もせず、成績はいつも中の下でこれといった特技もなし。文面だけで表現すると、彼女はどこにもあるごく普通の学生に見えるかもしれない。
でも、彼女にはそれを全部
人がむやみに近寄れないオーラを
それが、俺にとっての杠叶愛という存在だった。
『おはよう、灰塚』
『…おはよう』
もちろん、その雰囲気には彼女の美貌も
彫の深い顔立ちにスッと伸びた鼻筋、ピンク色の小さい唇。肩まで流れている綺麗なアッシュグレイの髪の毛。それと同じ色の虚ろな目。
まるで、
『勉強…飽きたりしないの?』
『さぁ、分からないな』
『やっぱり変わってるよね。灰塚って』
『……お前が言うなよ』
俺は間違いなく、彼女に興味を持っていた。
それは異性としての好感というよりは、珍しい物を見た時に感じる好奇心に近い。あまりにも他の人と違い過ぎるから、つい目が行ってしまうのだ。
同年代でこんなに変わった少女がいることも、そしてその少女が俺の隣の席に座っていることも、何もかもが不思議で仕方がなかった。
『勉強はどう?一位守れそう?』
『どうかな。守れたらいいけど』
『
『…お前にだけは言われたくなかった』
こっちは本気だというのに何が
彼女は意外と文学少女なのだ。授業に全く集中しないのが玉に瑕だけど。
『勉強しないの?来週の週明けから中間試験だろ?』
『私はあまり真面目じゃないからね』
『…後で赤点取るなよ』
『ふふっ、珍しいね。灰塚に心配されるなんて』
『は?』
目を丸くして聞き返す俺に、杠は相変わらず底知れない笑みを浮かべながら言う。
『灰塚、あまり他人のこと気にしないんでしょ?』
一瞬、心臓の奥をほじられたような感じがしてすぐに答えられなかったことを、俺は覚えている。
『……人並みには気にする方だと思うけど』
『絶対に違うよ?まぁ、そもそも私って灰塚のことろくに知らないし。気に障ったならごめんね?』
『別に…構わない』
『よかった』
頷いてから、彼女はすぐに手に取った本を開いて物語の世界に飛んで行った。
俺もそれ以上話すことはなかったので、開かれていたノートにまた目を移す。そしてクラスのざわついている空気が遠のいていくのを感じながら、笑った。
他人に興味がない………か。
なるほど、この有り様だと確かにそうかも……なんてことを思いながら。
その日の放課後、俺は人気のない校舎をうろついていた。
試験まで一週間を切ったその時期には、学校の図書館が生徒で満ち溢れていた。だからどこか空き教室にでも入って、静かに勉強したかったのだ。
もちろん、家で勉強するという選択肢があるけど……その手はあえて選ばなかった。
できる限り、家で時間を過ごしたくはなかったのだ。
とにかく空き教室を探し回っている途中、俺は思いもしなかった光景を目にする。
『えっ…』
誰もいない教室の隅っこ。そこには杠がいた。
窓の隙間から荒々しく風が吹き込んでいるのに、彼女は平然として本を読んでいる。カーテンが揺れている中でも集中しているその姿はどこか浮世離れしていて、俺はぼうっと立ち竦んでしまっていた。
そして、ふとこちらを振り向いた杠と目が合って、心臓がぎゅっと掴まれたような感覚に陥って。
さすがの杠も目を見開いて驚いていたけど、すぐに立ち上がって俺に近づいてきたのだ。
『やぁ、1時間ぶり』
『…なんだ、家には帰らないのか?』
『うん。灰塚は?図書館でテスト勉強するんじゃなかった?』
『結構にぎわっていたから、適当に空き教室にでも入って勉強するつもりだったけど…』
俺は彼女の肩越しに机の上にある文庫本を見て、苦笑を
『本当すごいな、杠』
『…なにそれ、嫌味?遠回しのディス?』
『そんなわけないだろう。純粋にすごいと思っただけ。テスト5日前に教科書じゃなくて小説を読んでるヤツ、きっとお前くらいだから』
『へぇ…皮肉にしか聞こえないんだけど』
『それは残念』
彼女は気に食わないようで目を細めていたけど、本当にさっきの言葉に他意はなかった。本当にすごいと思っていた。
こんな自由な行動は、俺にはできなかったから。
『入る?』
すぐに頭が追いつかなかった俺は、目をあちこちに転がして口をぽかんと開いた。
『……は?』
『一緒に、教室で時間を過ごさないかと聞いてるの』
『…いや、いいの?邪魔なんじゃ…』
『灰塚、けっこう陰キャだから邪魔にはならないかと』
『………誘う気あんのかお前』
『さっきの仕返し』
俺は歯を食いしばって、にまっと笑う杠を見つめることしかできなかった。
『とにかく、私は大丈夫。灰塚なら変に話しかけてこないだろうし、勉強しろとか小言を言われることもなさそうだし。どうする?』
『いや、テストだから少しぐらいは準備しろよ』
『…前言撤回。他を当たって』
『じゃあと2時間ぐらい、よろしくな』
『……私の話聞いてた?』
『仕返しだ。あと小言もこれで終わりにするから」
『へぇ…じゃぁ約束を破ったら、腹を切ってもらおうかな』
『代償が重すぎだろ……』
舌打ちしながら入った教室の中は廊下より空気が一段と肌寒くて、俺は思わず眉をひそめた。
『寒くもないの?』
『あっ、ごめん。今閉めるね』
『…本当すごいな、お前』
風邪でもひいたらどうするんだ、と言いかけたがさすがに切腹したくはなかったので、おとなしく彼女の隣の席に座ることにする。
それからはお互い無言で、各自やることをこやるだけだった。彼女は読書、俺は勉強。シャーペンが走る音とひらひらと紙をめくる音。適当に冷えていて静かな空気。
その距離感が、その雰囲気が、とてつもなく心地よくて。
気が付いたら、俺は翌日の放課後にもその教室に足を運んでいた。
『へぇ……』
彼女はただ淡く微笑むだけで特に俺を
『灰塚は家に帰らないの?』
『なるべく家にはいたくないからな』
『そっか』
お互い淡白な会話だけを繰り返しながら、俺と杠は静かにその時間を堪能した。学年が上がっても、その時間が崩れ去ることはなかった。
ものすごく、不思議なことなんだと思う。
何とも言えない宙ぶらりんな関係だ。恋人みたいにお互い約束をしているのでもなく、友達みたいに話を盛り上げる事もなく…ただ毎日2時間くらい、一緒に空間と時間を共有しているだけの関係。
でも、俺にとってあの時間は安らぎそのものだった。灰白色の中で見つけた彩りだった。
杠は、どう思っているのだろう。
「…………はあぁ」
目をつむればまたあの感触が
「………はっ」
結局、俺もしょうがないオスなんだと自覚して、また失笑するだけだった。
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