第9話 寂しい気持ち
冷静に言葉を返してきた乃亜が、話を続けてくる。
「私がどうして下着姿のまま、お父さんのベッドの上に居たのか。それが聞きたいんだよね?」
真剣な表情で俺の事を見つめながら、そう言ってくる。
その声は、いつもよりも少し低かった。
「ああ。あれは一体、どう言うつもりだったんだ?」
俺も冷静に返す。
だが内心は、答えを聞くのが怖かった。
俺と乃亜の間にある境界線、それを乃亜が超えてくるのではないかとそんな恐怖心に駆られていた。もしもこの答えで、乃亜がその境界線を超えてくるような事があれば、俺たちの共同生活はここで終わる。
そして乃亜が、ゆっくりと口を開いた。
「……寂しかったの」
「え?」
「一人で寝ていると、時々ものすごく寂しくなる。私って寂しくなると、誰かの温もりを感じたくなってああ言う事をしてしまうの」
乃亜は体を震わせながらそう答えてくる。
その様子から、乃亜が嘘を言っているようには思えなかった。
「お前は馬鹿野郎だな」
「……ごめんなさい」
「本当に馬鹿野郎だ。もうお前は一人じゃないだろ。この家には俺がいるじゃねえか。だから、夜中に寂しさを感じたならあんな事をせずに普通に俺を起こしてくれ。そしたら、お前が落ち着くまで俺が話し相手になってやるから」
俺は全力で言いたい事を言った。
馬鹿なあいつに、一人じゃないと言う事をしっかりと感じて欲しかった。
寂しくなったら話し相手がいる。そう言う環境に今自分はいるのだと言う事を、ちゃんと認識させてやらないといけなかったんだ。
それくらいしか俺には出来ないから。そんな自分の無力さに、歯痒さを感じていた。
「……本当にいいの?」
乃亜が少しだけ、涙を流しながらそう言った。
「当たり前だ」
「……約束だよ」
「ああ、約束だ」
俺たちは小指を出し合い指切りをした。
すると乃亜が、涙を流しながら俺にニコッと微笑んだ。
「お父さんは、やっぱりいい人だね」
乃亜がそう言うと、洗面台の方へと歩いて行く。
俺はそのままソファで座り、乃亜から言われた言葉を脳内で再生した。
自分がいい人なのかどうか。その事について、自問自答を繰り返す。
乃亜は俺の事をいい人だとよく言ってくれる。だが俺は、自分の事を一度もそんな風には思った事がなかった。何故なら俺は、本当の自分を知っているからだ。他人にはまだ見せた事がない部分に本当の俺が存在する。他人への嫉妬や、妬み、身内を恨む感情。そんなモノを俺は自分の中に隠し持っていた。
そして次の日、俺と七峰は模擬企画書の仕上げに取り掛かっていた。
完成まで七峰を全力でサポートすると決めた俺は、少しだが七峰との信頼関係が築けてきたと思う。
「センパイ!もう何がなんだか分かりません!」
「ふざけてんのか!今まで何を学んできてたんだ!」
「地球が青いと言う事です!」
「だったら次は、三途の川がどんな所か確かめに行ってみるか!」
「遠慮しておきます。まだまだやりたい事とか沢山あるので」
そう言うと、七峰が逃げるように自分の席へと戻って行った。
やはり七峰と上手くやっていくには、まだまだ時間がかかりそうだ。
俺は七峰に振っている仕事が終わるまで、自分の仕事をしていた。
そんな時、今宮が部屋に入って来ていたのが見えた。
珍しいな。何か問題でもあったのだろうか。
今宮は商品企画とは別に、商品開発の方も兼任している。なので基本的には、俺たちのいる部屋とは別の場所で仕事をしているはずなのだが……。
今宮が段々と俺の席へと近づいてくるのが分かった。
なんだなんだ?俺が何かしてしまったと言う事なのか?
俺はとてもドキドキしながら、今宮が近づいて来るのを見ていた。
「お疲れ様、櫻井君」
「……お疲れ様です」
俺の席へとやって来た今宮は、少し笑みを浮かべながら挨拶をしてくる。
少し動揺しながらも、俺も挨拶を返す。
すると今宮が、すぐに本題を話し始めた。多分あまり時間がないのだろう。
「櫻井君、突然で申し訳ないのだけど明日から二日間、私のサポートをしてくれないかな?」
「……サポートですか?」
「ああ、明日明後日と私の補佐をしてくれていた小林と言う女の子が家庭の事情で休む事になったんだよ。だから二日間の間、私のサポートをしてくれる人を探しててね」
今宮が小さなジェスチャーを付けつつ、そう説明をしてきた。
理由は分かったが、なんでわざわざ俺を選んだんだ?
他にも社員なら沢山いるだろう。
そう感じた俺は、今宮に質問を投げ掛ける。
「理由は分かりましたけど、何で俺なんですか?」
「櫻井君が、私の中で一番信頼に値する人物だからだよ」
そう言われた俺は、自分の脈拍が加速するのが分かった。
あの今宮から、一番信頼されているって……。そんな夢みたいな事があるのだろうか。
俺は平常心を保ちつつ、クールに返事をする。
「そうですか。まあ、別に構いませんけど」
「そう言ってくれると思ったよ。櫻井君は、良い人だからね」
そう言って今宮は、小さな紙を俺のデスクに置いて帰っていった。
何故か今宮も乃亜と同じように、俺の事を良い人だと思っているようだ。
普通の人なら、好きな人から良い人だと思われる事は嬉しいと感じるだろう。
だが俺は違った。良い人だと思われる事に対して、不快な気持ちが俺の中に湧き上がってくるのだ。乃亜に対しても、今宮に対しても、そんな感情が湧き上がってしまう自分の事が許せなかった。
そして俺は、今宮が置いていった紙を見てみる。
そこには、LINEのIDと電話番号が書いてあった。
「まじで?」
ついボソッと呟いてしまった。
5年間も片思いをしている相手の連絡先だぜ?誰だって興奮するだろう。
俺は一瞬会社だと言う事も忘れ、全力で叫ぼうとしてしまった。
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