番外編
それでも未来は続く
11月22日。今日は帆波と月子の命日。
「二人はどんな人だったの?」
渚が車を運転しながら問う。どんな人だっただろうか。三十年以上前の記憶に思いを馳せると、必然的にあのクソ女の顔が浮かぶ。高一の野外学習での班決めの時、私は一人余っていた。当時の私は友達が居なかったから。そんな私を私を誘ってくれたのは彼女だった。
『佐倉さん、余ってるよね。こっちちょうどあと一人足りないから入ってくれない?』
『えっ……』
『問題児と一緒は嫌だってさ』
『大丈夫だよ。佐倉さん、海はこう見えて良い人だから』
『まぁ、他に空いてる場所ないから佐倉さんに選択肢ないんだけど。どうしても嫌ならどっかと交渉してきて。どうせ誰も代わってくれないだろうけどね』
『問題児だもんね。海』
『問題児問題児うるさいな帆波。制服の件以外は何もしてねぇよ』
『この間タバコの件で澤部先生に注意されてなかった?』
『あれは冤罪。しかもさぁ、あいつ謝罪しねぇの。日頃の態度が悪いから疑われるんだって逆ギレしやがって』
『まぁ、海の日頃の態度が悪いのは事実だけど……冤罪で謝罪がないのはムカつくね』
『ほんっとムカつく』
『殴った?』
『殴りたかったけど堪えた。褒めて』
『偉い偉い』
当時の海は問題児として周りから避けられており、タバコを吸っているだのヤクザと繋がっているだの、さまざまな悪い噂があったが、噂通りの人には見えなかったし、恐らくその噂を信じていた人は少数だっただろう。何故なら、いつも一緒にいる二人は優等生で教師からの評価が高かったから。帆波は主に女子からは嫌われていたけれど、月子の方は男女共に人気があった。帆波は少々可愛い子ぶりっ子っぽいところがあるからそのせいだろう。私も正直、最初は海よりも帆波に対して苦手意識があった。しかし、すぐに打ち解けた。彼女は思ったよりサバサバしてとっつきやすかった。
『えー。佐倉さん、私のことそんな風に見てたんだー』
『う……ごめん』
『あははっ。別に怒ってないよ。勘違いされるのは慣れてるから。私も正直、佐倉さんのこととっつきにくいと思ってたし。海が声かけた時マジかって思った』
『しょ、正直ね……』
『ごめんね。けど、結果的には良かったよ。こうやって友達になれて。これからもよろしくね。美夜』
『……うん。よろしく。帆波、月子、それから……海』
『ん。よろしく』
『よろしくね。美夜』
『でもさぁ、私達、これで今以上に浮きそうだね。問題児の黒王子、優等生の白王子、腹黒ぶりっ子姫、で、氷姫』
帆波が順番に指差していく。氷姫というのは私を指しているらしかった。
『えぇ……何よそのあだ名……』
『クールだし美人だから冷たいイメージがあるんだろうね。話してみたら全然そんなことなかったけど。美夜、中学の同級生とか居ないの?』
『……うん。居ない』
高校は出来るだけ知り合いが居なさそうな学校を選んだ。私がレズビアンであることは噂になっていて、その噂から逃げたかったから。しかし私は人付き合いが得意ではなく、孤立していた。元々そうだったわけではない。自分がレズビアンであること、レズビアンは普通ではないこと、それに気づいてからはなんとなく他人との間に壁を作る癖がついてしまっていた。しかし、海達はその壁が見えないかのように最も簡単に内側に入り込んできた。恐らくそれは、彼女達が周りから浮いていたからだろう。普通ではない彼女たちだからこそ、居心地が良かったのだ。
野外学習でナイトハイクの途中、足を挫いた私を海が背負ってくれた。その時、もう二度と女性を好きにならないと誓っていたのに、私の心は最も簡単に彼女に落ちてしまった。
『海……お、重くない?』
『全然。帆波よりは軽いよ』
『はぁー!? 失礼な!』
『帆波は軽い方だと思うけど』
『いや、体重じゃなくて。気持ちが』
『あぁ……』
『ちょっと月子!? なんで納得してんのよ!』
『あ、あはは……で、でも、重い女の子って可愛いよね。……って、クラスの男子が言ってたよ。大丈夫大丈夫。帆波は可愛いよ』
『むぅ……てか、なんだかんだで海の方が重いでしょ。サバサバしてるように見せかけて絶対束縛激しいタイプだと思う』
『いや、帆波ほど束縛しないって』
『どうだか!』
海と帆波はいつもそんな感じで言い合っていた。
海が女性と付き合っているという噂が流れ始めた時、相手は帆波だと思った。それくらい仲が良かったというのもあるが、月子と帆波は恋人というよりは、姉妹みたいな関係だと思っていた。月子が姉で、帆波は姉が大好きな妹。その好きが恋愛感情だと思えなかったのは当時の私が同性同士の恋愛を想定していなかったのもあるが、帆波の恋人である月子が海に対して妬いている感じには見えなかったというのもあるかも知れない。むしろ月子は言い合う二人をいつも後ろから微笑ましそうに見守っていた。
『月子、妬いたりしないの?』
『誰に? 海に?』
『うん』
『多少はあるけど……あの二人が言い合ってるの見るの好きなんだよね。喧嘩するほど仲が良いとはこのことだなぁって』
『不安はないの? 海に帆波を取られるかもって』
『あははっ。それは全く無いよ。海は帆波に手出したりしないし、帆波も海のこと好きにならないって信じてるから。だって海は彼女さんのこと大事にしてるし……帆波は私のこと大好きだし』
『うわっ、凄い自信』
『ううん。自信なんてないよ。信じてるのは自分じゃなくて、あの二人のこと。……私はね、自分のことあまり好きじゃないの。でも、私の大好きな人が私のことを大好きって言ってくれる。私の分まで私を愛してくれる。だから私はその分彼女を愛せるんだ。……海は帆波のこと重いって言うけど、多分、私の方が重いと思う。私はもう、帆波が居ない世界で生きていけないもん』
二人の計画はいつから練られていたのだろうか。分からないが、多分、この頃はまだ希望はあった。希望はあったけれど、月子が言った『帆波が居ない世界で生きていけない』という言葉もまた、本音だったのだろう。
「……みゃーちゃん、着いたよ」
渚の声で追憶から現実に戻る。大好きな二人の親友に二度と会えない現実に。腕に熱い雫が落ちる。
「……お茶、買うて来ようか」
「……ううん。ここに居て」
「……ん。分かった。落ち着いたら降りようね」
「うん……」
二人の墓に行くのはあの日が初めてだった。海と再会したあの日。海とは最悪な別れ方をして、二度と会いたくないとずっと思っていたが、なんだかんだで今はたまに会う仲だ。なんなら付き合っていた頃より今の方が良好な関係かもしれない。あの日再会しなければそうはならなかっただろう。人生は何があるか分からないとはよく言ったものだ。そう思いながら渚と墓へ向かう。
墓の前には三人の人影があった。海とその夫と、一人の女性。その女性はどことなく、帆波に似ていた。そういえば帆波には姉が居た。私は会ったことなかったが。
女性は二人に深く頭を下げ、去って行った。女性とすれ違い、墓へ向かう。
「……海、今の、帆波のお姉さん?」
墓の前に立つ彼女に問う。彼女は振り返らずに静かに頷いた。
「……そっか」
それ以上は特に会話もなく、彼女達の隣で線香をあげる。
この国は変わった。差別が無くなったとは言えないが、確実に良い方向に変わっていっている。だけど、そこに二人はいない。幸せを、喜びを分かち合いたかった。
「……美夜。この後暇?」
「は? 何よ。ナンパ?」
「あほか。何期待してんだよ。頼まれたって抱いてやらねえよ」
「誰も期待してないし頼まないわよ! てか、お互いの恋人が居る前でよく堂々とそんなこと言えるわねこのクズ!」
「別れた後にネチネチ言ってくる女よりはマシだと思いまーす」
帆波の姉に何か言われて感傷に浸っていると思ったのにいつも通りだ。呆れた。
「ネチネチしてるのはどっちよ。その件はもう終わったでしょ」
「終わらせなかったのはそっちじゃん」
「もう終わらせた。……あんたが夫も子供も大事にしてるのは伝わったから」
海の娘の海菜も、息子の湊も、夫の麗音さんも、皆良い人だ。このクズ女の家族とは思えないほど。二人の子供はきっと、私が付き合っていたクズ女ではなく、私が惚れた優しくてカッコいい女性に育てられたのだろう。あの頃の海に。そして彼女が性別の壁を越えるほど愛したこの優男に。
「何ニヤついてんだよ」
海がその優男に蹴りを入れる。痛い痛いと言いながらも、彼は笑顔を崩さない。ふと見ると、渚も微笑ましそうな顔をしていた。
「何よ渚」
「喧嘩するほど仲が良かとはこんことやなあ思うて」
そう言う彼女を見て私と海はきっと、同じ人の顔を思い浮かべただろう。ここには居ないあの子の顔を。
海の方を見ると、涙で濡れていた。それに触発されたのか、私の目からも涙が溢れる。それぞれの恋人の胸で泣く私達はきっと、同じ人達に思いを馳せていた。ここには居ない、死ぬまでもう会えない親友達に。
一番星にはもう届かない 三郎 @sabu_saburou
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