第7話:過去はもう振り返らない
それから五年後に、結婚して子供を産んだと風の噂で聞いた。あれほど男を毛嫌いして、異性愛主義の世界を死ぬほど憎んでいた彼女が、男と結婚して子供まで作ったなんて、信じたくなかった。信じられなくて、嘘だと言ってほしくて、彼女に電話をかけた。
電話番号はまだ変わっておらず、電話越しに、懐かしい声が私の名前を呼んだ。
「……結婚したって、聞いて」
「……あぁ、その話?」
「……嘘よね?」
「いや、本当だよ」
「……海外に行くってこと?」
「国は出ないよ。……出る必要はないから」
電話越しに、赤子の泣き声が聞こえた。それと「海ちゃーん! 助けてー!」と、彼女の名前を呼ぶ男性の声も。
「ごめん! ちょっとまってて!」
「……海……なんで……? だって、あんたは……」
「……もう切ってもいい? 子育てって思った以上に大変でさ……夫も休みを取ってくれたんだけ——「なんでなのよ!」
思わず叫んだ。その後何を言ったから覚えていない。だけど、酷い罵詈雑言を浴びせたことは覚えている。だけど彼女は、途中で電話を切ることなく、最後まで黙って聞いていた。
「……で、どうしたいの? より戻したい?」
「戻したいわけないでしょ……あんたみたいな女と……!」
「……だよね。安心した。戻したいって言われても困っちゃうからさ。家庭があるから。……切るね。僕は暇じゃ無いんだ。何年も前に別れた恋人にわざわざ電話をかけて、今更不平不満をぶつけてくる君と違ってね。じゃ。今度は僕みたいなクズに引っかからないように気をつけなよ」
ぷつりと電話が切れる。もう一度かけた頃にはもう、着信拒否にされていた。
私はその日、浴びるように酒を飲んだ。そして翌日、目を覚ますと、視界いっぱいに見知らぬ天井が広がっていた。隣には見知らぬ女が裸で寝ていた。それが渚だった。
昨晩の記憶は一切無かったが、彼女と目が合うと、走馬灯のように蘇った。誘ったのは、彼女の方だった。
「……覚えてない感じです?」
「……ごめんなさい。全く」
「そ、そうですか。うちの名前くらいは……」
「……ごめんなさい。全く」
「……じゃあ、改めて自己紹介しますね。
「……私は佐倉美夜よ。普通の会社員」
「あ、佐倉さんのことはもう色々聞きました」
「そ、そう……」
「……あの。……うち、佐倉さんに一目惚れで。……順番逆になっちゃったんやけど……その……お付き合い、してもらえませんか?」
そうして私は、始まり方に不安を覚えながらも、彼女と付き合うことになった。
始まり方は最低だった。けど、接するうちに、私も自然と彼女を愛するようになった。
そして今日。
目の前の鏡には、純白のウェディングドレスを着た私が写っている。隣には、同じくウェディングドレスを着た恋人。
これを着て、もう一人の花嫁と一緒に神の前で愛を誓い合う。それがずっと、私の夢だった、叶わない夢だと思っていた。夢は夢のまま、儚く散ると思っていた。
涙で視界が歪む。せっかく、綺麗にメイクをしてもらったのに。
「泣くの早いよ。みゃーちゃん」
そう笑う愛しい人も、涙声だった。
「人のこと言えないじゃない」
互いに涙を拭いあって、笑い合う。
もう既に幸せを感じていると、コンコンと控室のドアがノックされる。
「……よっ。美夜。約束通り来てやったよ。誰の結婚式とも被らなかったら行くって約束だったからね」
入って来たのは、ブラックスーツ姿の海だった。ムカつくくらい様になっている。一緒にやってきた、同じくブラックスーツ姿の男性が霞むほどに。
「この人が僕の夫の
彼女に親指で差された童顔で地味な男性は、少し気まずそうな顔をして頭を下げた。
気弱そうな男だった。海の好きなタイプとは何もかもが真逆だった。性別も含めて。
「で、これ。プレゼント」
そう言って彼女は紙袋を私に渡した。中身はワイン。
「……ありがとう」
「……それからこれ」
もう一つ渡したのは、何も書いていない一枚の真っ白なDVD。
「……何この怪しげなDVD」
「ビデオメッセージ」
「ビデオメッセージ? 誰から?」
「そりゃ、出席出来なかった君の友人から」
「だから、誰なのよ」
「見れば分かる」
「……なんで言わないのよ」
「見て確かめてほしいから」
「怪しげな映像じゃないでしょうね」
「ただのビデオメッセージだってば。じゃ、確かに渡したから。ちゃんと見てね。捨てんなよ。絶対に。ちゃんと見ろよ」
そう何度も念押しをして、彼女は夫と一緒に控室を後にした。
しばらくして、式が始まった。
ふと海の方を見ると、彼女は一枚の写真立てを持っていた。遠くてどんな写真かは見えなかったが、見えなくとも、誰が写っている写真なのかは想像がついた。
「病めるときも、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、お互いを愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
幼い頃から見ていた夢は、紆余曲折を得て、人生の折り返し地点まできてようやく叶った。もっと早く法が改正していたらきっと、未来は全く別のものになっていただろう。
愛を誓い合い合う相手はきっと別の人だったし、海の腕に抱かれて参加した人達も、自分達の足で来てくれていた。
どうしようもない悔しさはある。あるけれど、人生は一方通行だ。歩いてきた道はもう引き返せない。どれだけ悔やんだって、初めて私の心を照らした一番星にも、星になった友人達にも、もう二度と、手は届かない。
だけど、今隣に並ぶ彼女を愛していないわけではない。妥協したわけでもない。だから、隣に並ぶ恋人と永遠の愛を誓うかと問われれば、答えに迷いなんて、一切ない。
「誓います」
隣に並ぶ恋人も神父から同じことを問われて、迷わず同じ返事をした。
「では、誓いのキスを」
その日私は、愛する恋人の女性と、神の前で愛を誓い合い、キスを交わした。かつて、苦しいほど愛した女に見守られながら。
過去はもう振り返らない。私は今日から、未来を歩むんだ。幼い頃からずっと夢に見ていた、愛する女性との幸せな未来を。
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