第5話:選択肢なんてなかった
「美夜、やっぱ僕のこと好きでしょ」
寝室にタバコの煙を充満させながら、彼女は言う。
『美夜。可愛いよ。もっと声聞かせて』
私を甘やかす優しくて色気のある声が頭から離れない。彼女に触れられて沸騰した身体の熱は、未だ冷めない。彼女に優しく抱かれて、幸せだった。同時に、悔しかった。私の以外人にも同じことをしていることが不快で仕方ないことが。恋心を抱いている事実を否定できないことが。
悔しくて黙っていると、彼女はタバコを置いて、私を背後から抱きしめた。わずかな膨らみが背中に当たり、シルクのように滑らかな素肌の感触が伝わる。
ドキドキしてしまう私に、彼女は囁く。「僕は君が好きだよ」と。その一言で、私の心臓はさらに加速した。冷めかけた身体が、再び沸騰してしまう。するりと、彼女の手が私の腰を撫でる。これ以上この女に落ちてはいけないと、頭の中で激しい警鐘がなった。腰に絡みつく彼女の手を振り払う。
「……私以外にも同じことしてるくせに」
「仕事だから」
「……仕事、辞めて」
「ごめん。仕事は辞められない」
「……私が好きなら、辞めて」
「無理」
「辞めてくれないと付き合えない」
「別に僕は付き合いたいとは言ってない。好きだとは言ったけど」
「っ……あんなに優しく抱いておきながら……!」
思わず振り返り、彼女の頬を叩いた。彼女は動じずに、私に冷たく笑ってこう返す。
「ごめんね。僕はもう、どれだけ女を抱いたって、愛されたって、全く満たされないんだ。……穴が空いてるんだ。誰かに温めてもらったって、すぐに冷めてしまう。幸せをもらったって、ぽろぽろと溢れ落ちていく。虚しくて、寂しくてたまらなくなる」
虚な目をして、彼女は淡々と語る。まるで他人事のように。
「だからごめんね。僕は、常に人の温もりを感じていないと駄目なんだ。点滴みたいなもんだよ。これが無くなったら僕は死んでしまう」
「……依存症ね」
「自覚はある。だからさ」
彼女は私を抱いたまま、ころんと横に転がる上に乗っかった私に囁く。
「僕を愛しているというのなら、直してみせてよ。僕の心に空いた穴を。君の愛で修復して」
「……他の女も抱くけど愛してなんて……そんなの……勝手すぎるわよ……」
「……分かってるよ。だから、断って」
支離滅裂なことを言って優しく笑う彼女のその瞳の奥は、闇に染まっていた。
彼女はとっくに壊れていた。きっと、恋人にフラれたあの日から。
壊れた彼女を、偶然見つけたどこの誰かも知らない男性が拾って、呪いをかけた。『どうせいつか死ぬんだから今死ぬのはもったいない』と、優しくも残酷な呪いの言葉を。彼女はきっと、その呪いのせいでこの世界を離れられなくなってしまっただけなのだろう。
それさえなければきっと、私は彼女に囚われることはなかっただろう。だけど、二度と彼女に触れることもなかった。
どちらが良かったかと問われると、今になれば、生きてくれていて良かったと言える。彼女がこの世を去っていたらきっと、当時の私は後を追いかけていたから。
結局私は、彼女に恋をしたその日からずっと、彼女に囚われていたのだと思う。そんな私に、選択肢なんてなかった。
「あんたを繋ぎ止められるなら、なんでもする」
「そう言うと思ったよ」と、彼女は複雑そうに笑った。
こうして、私は彼女と付き合うことになった。彼女は私に優しくしてくれた。だけど、宣言通り、仕事はやめてくれなかったし、仕事以外でも遊びまくっていた。生きる為だと、僕にとっては点滴なんだと、心から愛しているのは君だけだと、そう何度も言い張って。
彼女を手放すきっかけとなったのは、二十歳になった年。忘れもしない、11月22日。
月子と帆波が、人生の最期に選んだ日だった。
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