第4話:始まり
純白のドレスを着て、愛する人と愛を誓い合う。そんなシュチュエーションに、ずっと憧れていた。幼い頃の将来の夢に『お嫁さん』と書くほどに。
それが叶わないと知ったのは、小学校に上がってすぐのことだった。
私は、大好きな同級生の女の子に、大きくなったら結婚したいと申し出た。すると彼女は苦笑いしながらこう言った。
『美夜ちゃん、知らないの?女の子同士は結婚出来ないんだよ』
親に理由を聞いた。『恋愛は異性間でするものだから』『いつか、美夜も男の子を好きになる日が来るよ』そう返ってきた。
小学生高学年になってくると、周りは恋愛の話で盛り上がるようになった。私には、男の子をカッコいいと言う女の子達の気持ちが分からなかった。私が好きだったのは、女の子だったから。結婚したいと申し出たあの子のことが、変わらず、好きだったから。
『女の子が女の子に恋をすることってあり得るのかな』
同級生の子達に聞いた。誰かが言った。
『美夜ちゃんってやっぱりソッチ系なの?』
あの時の冷ややかな空気は、未だに忘れられない。
担任にも聞いてみた。すると担任はこう言った。
『大丈夫。思春期にはよくあることだから。大人になれば治るよ』
今だったらきっと、そんなことを言う教師はほとんど居ない。まだゼロではないとは言えないが、当時よりは少なくなっているだろう。しかし、当時はまだ、LGBTという言葉がまだ浸透していない、昭和の時代。同性愛は病気ではないと、義務教育では教えてくれなかった。
一度は、異性と付き合った。初めての恋人とのキスは、嫌悪しかなかった。
自分は病気だと思っていた。治さなければならないのだと思っていた。
そんな考えが変わったのは、高校生の頃。きっかけは、海との出会いだった。
「安藤、制服はちゃんと着てきなさい」
「着てるじゃん」
「お前は女子だろう。その制服は男子の制服だ」
「校則違反してないっすよ。学校規定の制服を着ろとしか書いてないんで。女子は女子の制服を着ろなんて、一切書いてないじゃないか。それにほら、僕にはスカートよりもズボンの方が似合ってるでしょ?」
「その僕っていう一人称もやめた方がいいぞ」
「一人称くらいいいじゃないですか。なんでも」
「はぁ……」
「ため息吐きたいのはこっちですよ」
彼女はいつも、男子の制服を着て登校していた。何度注意されても、頑なにスカートは穿かなかった。毎日毎日注意されていたから、学校中の有名人だった。
「海、また叱られてたね」
「こんなに似合ってるのにね。いいじゃんね別に」
「でしょ。カッコいいでしょ」
「「カッコいいカッコいい」」
心中した友人二人——帆波と月子——は、海と仲が良かった。三人はいつも一緒だった。
そこに私が入ったのは、一年の夏。野外学習の班決めの時に、海が余っていた誘ってくれて同じ班になった。海に恋をしたのも、それがきっかけ。ナイトハイクで足を挫いた私を背負ってくれたという、乙女チックな出来事がきっかけだった。
海はモテた。男からも、女からも。だけど、誰とも付き合わなかった。
彼女が同性愛者であるという噂が流れ始めたのは、秋頃だった。彼女はあっさりと噂を認めた。冷ややかな視線を向ける人々に、何がおかしいの?と、冷たい視線で返した。
その堂々とした姿に、私は勇気をもらった。そして打ち明けた。私も女性が好きなんだと。
海も打ち明けてくれた。自分には、三つ年上の大学生の女性の恋人がいるのだと。
そして、月子と帆波も、自分達は中学生の頃から付き合っていると打ち明けてくれた。恋人の話をする海は、乙女のように可愛らしかった。私はいつしか、そんな彼女に惹かれていったけれど、恋人から奪う気にはなれなかった。自分は、楽しそうに恋人の話をする彼女が好きなのだと、自分に言い聞かせていた。
それから一年後、彼女は恋人と別れた。恋人は、男性を選んだらしい。
その日から彼女は学校に来なくなり、やがてそのまま、私達に何も言わずに高校を中退した。
連絡も取れなくなってしまったが、高校三年になったある日、コンビニの前でタバコを吹かす、彼女によく似た人をたまたま見つけた。他人の空似だと思った。だけど、その人は、私を見つけると目を丸くして「美夜」と、私を呼んだ。海の声だった。
「……生きてたんだ。海」
「はぁ?勝手に殺すなよ」
「だって……今までどこに居たのよ……私に何も言わずに学校辞めて……実家にも行ったのよ。そしたら、帰ってないって……」
「……ごめんね。辞めるって言ったら君は止めるだろうと思って。面倒だから言わなかった」
「面倒ってあんたねぇ……!私がどれだけ心配したと思ってるのよ!」
「ごめんって。……本当はさ、学校辞めた日、そのまま死ぬつもりだったんだ」
「はぁ!?死ぬつもりってあんた……!」
「落ち着けよ。今はもう死ぬ気はないよ」
おいでと手招きされ、隣に行く。嫌いなはずのタバコの香りに、何故か色気を感じてしまった。タバコを吸う彼女が、あまりにも様になっていたせいだろう。
彼女の色気に酔いそうになる私をよそに、彼女は語り始めた。
高校を辞めた日、彼女は近くの駅へ向かったそうだ。電車に飛び込んで死ぬために。
しかし、そこをたまたま通りかかった男性に止められ、説教をされたらしい。『人はどうせいつか必ず死ぬのだから、最後まで生きないともったいないよ』と。
「で、なんやかんやで、そのおっさんが経営する店で働かせてもらってる」
「な、なにそれ。怪しいお店じゃないよね?」
「バーだよ。ただの。まぁ、今は、そっちは副業なんだけどね」
「本業は?」
「……」
「……言えない仕事なの?」
「風俗嬢」
「はぁ!? ちょっと! あんた……」
「大丈夫。客は女性だから」
「いや、そうじゃなくて……そもそも未成年でしょう!?」
「僕はもう高校生じゃないし、十八歳以上だから法的には問題無いよ。別に僕は知らない女抱くことに抵抗ないし、むしろ好きだし。天職だよ」
「あぁそう……元気そうで安心した」
「ははっ。顔と言葉が一致してねぇけど」
私はずっと、海が好きだった。だから、身体を売ってるなんてサラッと言われて、ショックを受けないわけがなかった。
「……吸う? タバコ」
「……美味しいの?」
「いや。全く」
「じゃあなんで吸ってんの……」
「……長生きはしたくないじゃん。こんな異性愛主義のクソみたいな世界で」
「……寿命縮めるために吸ってるってこと?」
「そ。……美夜は? 長生きしたい?」
「……今の現状じゃ、したいとは言えない」
「だよねー。ほら、吸え吸え」
笑いながら差し出してきたタバコを、一本貰う。ライターはくれなかった。
「ライターは?」
問うと彼女はふっと笑って、自分の咥えているタバコを指差した。
「……普通にライター貸してよ」
「一回やってみたかったんだ。シガーキス」
「……はぁ。しょうがないわね」
タバコを咥えたまま、近づけ、先端をくっつける。必然的に、彼女との距離が近づいて、心臓が高鳴った。
お互いに息を吸いこむ。火がつき、タバコの煙が肺の中に入り込み、むせ返った。
「ははっ。最初はみんな蒸せるもんだよねぇ」
そう笑って平然とタバコを吸い、煙を吐く彼女の横顔が、あまりにも色っぽくて、私の心臓が握りつぶされるのではないかと思うほどにきゅっと締め付けられ、目が離せなくなる。
誤魔化してきた想いは、もうこれ以上誤魔化すことは出来なかった。彼女はとっくに、恋人と別れていた。だから、恋人の話をしている彼女が好きだなんて言い訳は通用しなかった。
私の熱視線に気付いた彼女は、タバコを口から離して顔を近づけ、何食わぬ顔で私の唇を奪った。
彼女との初めてのキスは、タバコの味がした。
理解が追いつく前に、彼女はもう一度私の唇を奪う。咄嗟に、彼女を突き飛ばした。
「な、何すんのよ!」
「だって。して欲しそうな顔してたから」
「し、してないわよ!」
「あぁそう?ごめんごめん」
彼女はそう、悪びれる様子もなくヘラヘラ笑いながら適当に謝って、何事も無かったかのようにまたタバコを咥えなおした。
悔しくて、そのタバコを取り上げて、今度は私が彼女の唇を奪った。
離すと、彼女は「下手くそ」と煽るように笑って、また唇を重ねた。そして囁く。
「やっぱしたかったんじゃん。キス。美夜さ、僕のこと好きでしょ」
好きだと答えたら負けな気がして、好きじゃないと強がった。
「誰が……あんたみたいな女……」
「……ふぅん。まぁ、どっちでも構わないんだけどさ、この後暇? うち来ない? 今僕ね、一人暮らししてんの」
「……連れ込み放題ね」
「連れ込んだことないよ。仕事でする時はホテル行くし、本命の女は居ない」
「本命じゃない女は居るのね」
彼女は平然と「居るよ」と答えた。何が悪いのと言わんばかりに。心がちくりと傷んだ。
「好きじゃない女は家に連れ込まない。けど、君ならうちに入れてあげてもいい」
ここで甘い誘惑に乗れば、後戻り出来なくなることは分かりきっていた。だから拒んだ。
「絶対嫌。誰が行くもんですか」
「ん。分かった。じゃあ僕は帰るね」
私が拒むと、彼女はあっさりと諦めて立ち去ろうとした。連絡先も交換しておらず、ここで別れたら二度と会えなくなることは分かりきっていた。気付けば私は、遠ざかっていく彼女の背中を追いかけて、腕を掴んで引き止めていた。彼女は足を止めて、振り返り、呆れたように笑う。
「やっぱ抱かれたいんじゃん」
「ち、違う!」
「じゃあ抱きたい? 僕、そっちはあんまり好きじゃないけど、美夜になら良いよ」
「っ……そういうことじゃない!」
「なら、手を離して」
「嫌……離したくない……」
「……離さないならこのまま連れ帰って抱く。家の中に入ったら合意したことにするから、嫌ならそれまでに離して。忠告はしたからね」
そう言って、彼女は私の手に指を絡めて、手を引いて歩き始めた。
引っかかっているだけで握り込まれていない手は、私が離せばいつだって離せた。離すべきであることは、頭では理解していた。だけど、離せなかった。離したら、もう二度と会えなくなると分かっていたから。離したくない気持ちが勝ってしまい、私は彼女の手をしっかりと握りしめて、手を引かれるがままに彼女の家に向かった。
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