第2話:私の愛する恋人

「お帰り」


 家に帰ると、三つ年下の可愛らしい女性が出迎えてくれた。甲高くてよく通るアニメ声、私より十センチ以上低い背丈、見ているだけで癒されるふくよかな体型、豊満なバスト、開いているのか閉じているのか分からない細い目。海とは真逆のタイプのこの子が、私の今の恋人のなぎさだ。


「おお?ど、どげんした?大丈夫か?お友達となんかあったんか?」


 彼女には、友人に会いに行くと話した。その友人が、墓の中で眠っているという話はしていない。


「ごめんなさい。本当は、お墓参りに行ってきたの」


「お墓参り?」


「二十年以上前に、恋人と一緒にあの世へ旅立った友人のお墓」


「恋人と一緒にって……」


「ええ。そう。なぎの想像してる通りよ。彼女達は、この世で結ばれることを諦めて、あの世で一緒になることを選んだの」


「……そん人達に、うちとの結婚ば報告しに行ったと?」


「……ええ。そうよ。法が改正されたことを、どうしても伝えたかった」


「そっかぁ。……あの世で幸せに暮らしとーといいね」


「……」


「あ……ごめん、今んな……冷たかったかな」


「……ううん。私も同じ気持ち。……本当は、生きていてほしかった。私の花嫁姿を見せたかった。彼女達の花嫁姿を見たかった。けど……彼女達の選択を、責めることはしたくない。私も……同じことを考えたことは何度もあったから。こんな世界捨てて、二人だけの世界へ旅立とうかと誘ってくれる人が居たら、きっと——」


 ぐいっと身体を引き寄せられ、彼女の柔らかな脂肪に包まれる。震える声で「生きることをあきらめないでくれてありがとう」と言われ、涙が溢れた。


「一緒に、幸せになろうね」


「うん……」


「今日まで、ようがんばった」


「うん……」


 私はそのまま、彼女の腕の中で、子供のように泣き噦った。彼女は何も言わず、泣き止むまで私を抱きしめてくれていた。

 私はこの人が好きだ。愛している。あんなクソみたいな女よりよっぽど。なのに、一瞬でもあの女を求めた自分が、どうしても許せない。


『そこまで言うなら、最後に一回だけ、抱いてあげようか?』


 憎たらしい声が蘇る。


「渚」


「ん。なぁに?んっ——」


 耳に残る低めの声を掻き消したくて、彼女を求める。彼女は戸惑いながらも、抵抗はしなかった。それをいいことに私は、彼女の身体を弄る。柔らかくて、ふわふわで、女性らしい身体。あの女とは真逆の——。


「っ……!」


 思わず彼女を突き放す。彼女は荒い息を吐きながら、首を傾げた。


「……みゃ、みゃーちゃん……?どした?」


「……ごめんなさい」


「別に嫌じゃなかったよ?」


「……」


「……」


 ずいっ。と、突き放した彼女の身体が近づいた。そのままゆっくりと床に押し倒され、唇を奪われる。


「なぎ……」


「……抵抗せんと?」


「……しない」


「……そっか。なら遠慮のう抱くわ。ほれ、おいで」


 身体を引き上げられ、横抱きにされて寝室のベッドに下ろされた。私を見下ろす可愛らしいその姿が、似ても似つかないあの女に重なって、罪悪感から顔を逸らす。


「電気、消そうか」


 電気のリモコンに向かって伸びた手を止める。


「い、嫌……暗くしないで」


「えっ。恥ずかしいんだけど」


「ご、ごめん。けど……今日は……お願い……」


「……分かったよ」


 今、彼女の姿がはっきりと認識できなくなったら、余計にあの女に重ねてしまいそうで嫌だった。

 彼女のふっくらとした手が、舌が、唇が、私の身体を優しく愛撫する。愛撫の仕方も、手つきも、見た目も、何もかもが正反対なのに、彼女の姿に、声に、あの女が重なる。脳がバグを起こしている。


「なぎ……激しくして……何も考えられないくらい激しく……頭の中、まっさらにして……」


「……ん」


 彼女は何も聞かず、私の要望に応えた。

 愛しい彼女の名前を何度も呼んで、脳のバグの修復を試みる。それでもバグは治らない。


「美夜……」


「っ……やだ……みゃーちゃんって呼んで……」


 あの女は、その呼び方をしないから。私をみゃーちゃんと呼ぶのは、彼女だけだから。

 触れ合いながら、繰り返し呼び合い、そのまま絶頂に達したところで、ようやくバグが治った。


「っ……なぎ……」


 涙がぽろぽろと溢れる。それを見て彼女はハッとして、手を止めて私を抱き寄せた。


「痛かった?」


「違うの……私……なぎのこと……」


「うちのこと?」


「大好きよ……大好きなのに……」


「うん」


「今日、元カノに会ってしまって……最初から同性婚が許されている世界だったらって、色々、考えちゃって……」


「あー……」


「ごめんなさい……ごめんなさい渚……」


「……うちのこと好き?」


「好きよ」


「元カノさんより?」


「好きよ。愛してる。あんなクズよりよっぽど」


「クズだったの?」


「私以外にも何人も女がいたから」


「うわぁ……」


「しかもそいつ、最終的に男と結婚したの」


「あぁ……」


「……けど……」


 久しぶりに会った彼女は、元気そうだった。前はもっと生気が無かったのに。幸せって言ってたのは、本当なのだろう。

 女性にしか興味なかった彼女が、男性と、男性を愛する女性を死ぬほど嫌っていた彼女が、性別を超えるほど愛した男性とは一体、どんな人だったのだろう。何がどうなって、男に惚れたのだろう。考えたって、想像したって、全く理解出来ない。

 異性愛主義の世界はクソだとか言っていたくせに。どうしてそちら側に行ってしまったの。どうして。どうして、私じゃ駄目だったの。

 目の前に愛する人が居るのにそんなことを考えてしまい、自己嫌悪に苛まれる。


「……みゃーちゃん。今でもそん人が憎か?」


「……憎いわ。一生許せない」


「ほんじゃ、式に呼ぼうか」


「……はぁ!?」


 何故そうなるのだろうか。二度と会いたくない、顔も見たくない元カノを式に呼ぶなんて。


「うちは、女同士でも幸せになれるんだよって、そん人に見せつけてやりたい。みゃーちゃんがそこまで執着する人ん顔、見てみたいし」


「……招待するにしたって、連絡先は——」


 連絡先も住所も知らない。だけど、彼女がどこかでバーを開いていることは知っている。そのバーの名前なら分かる。


「……仕事先なら調べれば分かるけど、あの女にもう一度会うのは気が引けるわね」


「うちも一緒に行くよ。どういう仕事してる人?」


「……バーテンダー。モヒートっていう店を経営してるって、噂で聞いた」


「モヒート……えっ。モヒート?」


「何?知ってるの?」


「巷で有名なセクマイバーだよ。本当は違うんだけど、実質そうなってるって」


 そう言って彼女は店の口コミを見せてくれた。


『ずっとゲイとして生きてきましたが、先日、初めて女性に恋をしました。自分のアイデンティティが壊されるようで、怖くなって彼女に告白出来ないでいた時に、たまたまこの店に立ち寄りました。マスターも、似たような葛藤を抱えながら男性と結婚したそうです。彼女の話を聞いて、僕は自分の恋心に素直になることが出来ました。どんな人間も受け入れてくれる、素敵なバーでした』


 他にも、さまざまな肯定的な口コミが多くあった。そのほとんどが、マイノリティなセクシャリティを持つ人によるものだった。


「まぁ……これ見よーと、ここんマスターがみゃーちゃんの元カノさんとは、到底思えんけど」


『彼はたまたま男だっただけ。彼に関しては、性別は関係なかった。僕は彼が男だったから好きになったわけじゃない。女でも好きになってた』


 あの女の言葉が蘇る。理解出来ない。だけど、私もずっと、理解出来ないと言われて生きてきたことをふと思い出す。辛かった。憎かった。異性愛主義の世界が、異性を愛する者達が。

 だから、彼女があちら側に行くと知った時、裏切られた気になった。別れた後だったにもかかわらず、わざわざ彼女に電話をして、責めた。散々責め立てた。

 そして今日もまた、当時を掘り返して責めた。あの時彼女は、どんな顔をしていたのだろうか。どんな葛藤を抱えて、男と結婚することを選んだのだろうか。


「……みゃーちゃん?」


「……やっぱり、バーには一人で行ってもいい?」


「……ん。分かった」


「……いいの? 私……あの女のこと、まだ好きなんだよ? 酔って、間違いを犯すかもしれないよ?」


「……うちは、みゃーちゃんのこと信じとるから。それに……この口コミに書いてある通りの人なら、大丈夫でしょ。行っておいで」


「……」


「一緒に行った方がいい?」


「……妬いてくれないの?」


「目立つところにマーキングしておいてあげようか?」


「そ、それは遠慮しておく。……ごめんね。ありがとう。……大好きだよ。誰よりも、大好き」


「……うん」


 憎かった。異性愛主義の世界が、異性を愛する者達が。あの人も同じ気持ちだった。いや、きっと、私以上に全てを憎んでいた。

 そんな人が何故男性を選んだのだろうか。


『先に煽ったのはそっちだろ』


『何年も前のことを今更ほじくり返して』


 そう言った彼女は、どういう顔をしていたっけ。思い出せない。見ていなかった。彼女に対する憎しみで溢れていて、彼女の気持ちを考える余裕なんてなかったから。

 理解出来ない、信じられない。仲間だった人達にそう罵られて、彼女の中にも、葛藤はあったのだろうか。

 知りたい。理解したい。そして謝りたい。今になってようやく、そんな思いが芽生えた。

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