第六話

ふわふわと海に漂っているような、空を浮かんでいるような……

暖かく心地が良い場所でただ、穏やかに過ごしている。意識がはっきりしないまま、何も考えることなくただただ流されていく。

ふと、頭に響くように声が聞こえた。


『何がしたい?』


少年のような、青年のような、少女のような。どの声とも取れる、どの声とも取れないそんな声が響く。


(なに…が……?)


エリザベスはまだぼんやりとしたまま、その声に反応する。

うっすらと目を開ければ黄金の光に体が包まれていることが、なんとなく見てとれた。


『…どんな風になりたい?』


不思議な声がまた、聞こえる。少し困惑していたエリザベスの様子を見てか今度は質問を変えた。

エリザベスはその問いについて、はっきりと答える。


(お母様……お母様のように、賢明で優しい、人に…なりたい)


そう、優しいひとに。

今の自分とは離れている理想。誰にでも、どんな状況でも、相手を思いやる気持ちを忘れることなく、誰にでも寄り添えるように。

エリザベスの心に悲しさが溢れてくる。それに応えるように目からは涙が溢れ、ツゥと目の横に涙を流した。

父が憎かった。憎くて仕方がなかった。

お母様の面影があるというだけで、ひどく辛く当たってきたことも、新しい家族に対して少しでも気に入らない態度を取るとすぐに追い出したことも。

そんな憎しみが、いつの間にか義妹に向いていた。


(お母様だったら……)


お母様だったら、きっと。義妹のことをいじめず、正々堂々と父に抗議しにいくだろう。

けど、自分にはその勇気も力もなかった。そのせいで、弱い妹に矛先がむいた。

結局は、自分よりも弱い人を見て安心する父親と、何も変わりないとそう感じてしまう。


『いいや、いいや。そんなことはない』


優しい、全てを包み込むような声が聞こえる。


『自分の悪いところに気づいて変わりたい、とそう願える人間はそう多くない』


優しい声に、許そうとしてくれている声に、また涙が溢れてくる。


『大丈夫、君は母様のようになれるよ。美しく、強く、世界を守る剣となれる』


(ほん、とうに…?)


『あぁ、生きている限り、諦めない限り。君の前から希望が消えることはない』


ふわり、と暖かい風がエリザベスを包む。溜めていた涙を吹き飛ばすように、抱きしめるように。その風はどこまでも優しいままだ。


『さて、そろそろ起きよう。君のやりたいことを妨げるものはいない』


最後に一際強く、風が吹き抜ける。

少し開けていた目をギュッと閉じた。風の気配を感じなくなった頃にフッと目を開けるとそこは森の中だった。

少し左右に目を動かすと、赤茶の羽が目に入る。

ゆっくりと呼吸と共に動く羽毛が、エリザベスの頬に触れて少し痒い。

寄りかかっていた体を起こすと、頭上から低い声が聞こえた。


「目が覚めたか」


「…えぇ、こんなに眠れたのは久々ですわ。感謝いたします」


エリザベスに顔を向けていたウルラにしっかりと目線を合わせながら、ぺこりと頭を下げる。

ウルラはゆっくりと目を瞑った後、静かに前を向いた。


「スッキリした顔をしている。迷いは晴れたか」


そう尋ねてくる声は、ひどく優しくてエリザベスはまた泣きそうになってしまうが、なんとか堪えコクリと頷く。


「わたくしがどうなりたいか、そのことははっきりと見えました。でも…」


「でも?」


エリザベスはまだ少し悩む部分があった。それは


「なりたい人物像ははっきりと見えています。真似することもできます。でも、今のままでそれが保ち続けられるだろうか。

そして、殿下の許嫁として生きてきたわたくしに、これから何をすればいいのか…」


「じゃあ旅しよう!!!!!!!!」


「!?」


そう打ち解けると、ウルラの後ろからガバッと大声を上げながらミネルヴァが突っ込んでくる。

その顔はキラッキラの少年のような顔をしていて、ワクワクが抑えきれないような様子だ。

ミネルヴァはエリザベスがいない方の翼の中で休んでいたようで、頭に少し羽毛が乗っかっている。


「旅はいいよ!!旅は!!美しいこの世界は巡る価値がある!!見識も広がるし、強くなれるし、いいこと三昧だよ!!」


勢いよくマシンガントークをしてくるミネルヴァに少し圧倒される。

エリザベスの困った表情を見ても止まる様子はなく、所々聞き取れないほど早口で、テンションが上がりきっていることがよくわかる。

5分経ってもそのアップテンポな口調は止まることなく、話を全て要約すると「旅はいいもの」その一言だけで終わる。

しかし、ウルラが困っているエリザベスの表情を見て、ため息をついた後にコツッと嘴でミネルヴァを突く。

本人は軽くやったつもりなのだろうが、その大きな体から軽く突かれただけでも人は勢いよく倒れてしまうだろう。

目の前の賢者見れば、そのことがよくわかる。


「ひ、ひっど、い……」


「酷いのはどちらだ馬鹿者。娘の顔を見ろ」

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